皆様、こんにちは。
本日もう一度、夜分に失礼いたします。
明日はもっと早い時間に投稿できると思いますので……。
「数十年に一度」の記録的寒波が日本列島に到来、とニュースでも流れていますね。
風邪など召しませぬよう、皆様お気をつけくださいませ。
私は、今日の夕方、京都から神戸に移動してきました。
京都の空の色合いも、寒々しく、心なしか雪色に近づいていたような。
そして、神戸の夜。
神戸は昔から、私にはいろいろと縁のある街です。
日本酒の街でもありますし。
直接足を運んでこそ「わかる」ことがたくさんあります。
コロナ禍以降、リモートだテレワークだと、
「移動しない」「直接人と会わない」まま「事を終わらせる」というのが増えました。
もちろん私もそういう手段を利用しますし、プラスになることもさまざまあります。
しかし!
そのような手段では「埋められない」ことも、人間の世界にはもろもろあります。
私は、あくまでもリモートなどは補助手段として考えます。
なぜなら、
「人が生きている」こと自体が究極のアナログであり、
ここを取り違えると、
「人は機械に使われるために生きる」
ことになってしまう
からです。
特に少年期は、「直接人とやり取りする」ことによって、「生き方」の基本を学んでいく時期です。
人は、人を通してしか学べません。
「非認知能力」を高めるには、学校など協働の場で経験を積むことが貴重な糧となります。
私は12歳のときから電車通学をしていましたが、そこから学んだことも少なくなかったと今も思います。
一方で最近は、学びに関しても「移動の時間は無駄」と主張する人もいます。
けれども、電車通学で毎日同じところを通っても、毎日少しずつ何かが違います。それも社会勉強のひとつです。
学校という “現場” もさることながら、感性豊かなティーンエイジャーにとっては、電車通学の道すがら、その場その場の空気に触れて感じることが豊かな学びなのですから。
そのような、さりげない時空間から、自分のやりたいことが見つかったりもするものです。
五感を使って、自分のアンテナに引っかかるものを味わい、咀嚼していく。
生きてる!って思えますよね。
そうして青年期まで学び続けた子は、大人になってからも「機械の奴隷」にならず、アナログの軸から適切にデジタルを使いこなせるようになるでしょう。
だから、
現場は素敵!