こんにちは、事務局長の新石正治です。
本日は裁縫教室の講師スタッフのインタビューをご紹介します。
名前はドーエイエイミンです。もともと彼女は初期の裁縫教室の参加者の一人で、優秀だったために訓練卒業後は講師としてBAJに入職した大ベテランです。私は親しみを込めてドーエイミンと呼んでいます。
長年、裁縫教室の活動に関わってきた彼女がいま伝えたいことはなにか。
聞き取りは10月末にオンラインでおこないました。ぜひお読みください。
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■ あらためて名前と担当業務をおしえてください
「エイエイミンです。裁縫教室のファシリテーター(講師)をしています。」
■ BAJとの関わりを教えてください。いつごろからBAJに参加していますか?
「1999年に裁縫の訓練生として参加しました。2000年にトレーニングが完了したあとは、BAJが訓練生たちの仕事創出のために町中に開設した裁縫製品のショールームで働いていました」
(1999年の裁縫訓練生の集合写真。手前の一番左がドーエイミン)
「その後、2001年から2012年まで本格的にBAJの裁縫訓練の講師として働くことになりました。しかし、2012年の騒乱(※1)のときは裁縫訓練継続が難しくなって契約が一時なくなりました。2013年に再び入職しましたが、2017年の戦闘(※2)によって裁縫訓練が無期限の中断状態になったあとは、シトウェ事務所に異動しました。そのときはUN Womenのプロジェクト(※3)で9か月間ファシリテーターをやりました。その後またマウンドー事務所に戻り、別の事業でファシリテーターを続け、今年6月に裁縫教室の講師として再び働くことになりました」
※1 2012年の騒乱 … ラカイン族とムスリム系住民とのあいだに起こった騒乱。戒厳令が出され国軍が介入した。このときも多くの難民および国内避難民が発生した。
※2 2017年の戦闘 … 2017年8月25日にムスリムの過激派グループが警察施設を襲撃したことがきっかけに起こった国軍の掃討作戦とそれに伴う大量の難民発生といった一連の出来事を指す。このとき以来、BAJは裁縫訓練をはじめとした、学びの場を通じた民族融和をはかる平和的共存事業を中止せざるを得なくなった。
※3 UN Womenのプロジェクト … 2018年~2019年に実施したラカイン州の女性の収入向上とエンパワメントを目指す事業。ドーエイミンは裁縫講師として参加。
(2017年8月、村に泊まり込みで裁縫技術を教えていた頃)
(同じく2017年8月。この写真撮影から約10日後に戦闘が発生した)
■ 裁縫教室では何を教えていますか?
「裁縫訓練は、村落部からの参加者が多く、ムスリムの参加者もいるので、裁縫の技術はもちろんですが、ミャンマー語の読み書き、計算、保健衛生の知識なども教えています」
■ 6月に裁縫教室が再開できると聞いたときは、どんなふうに感じましたか?
「うれしかったです。地域コミュニティのために裁縫技術を教えるチャンスが再び巡ってきたからです。これまで多くの訓練生たちが私たちのトレーニングに満足しています。今回の参加者たちも興味を持って積極的に取り組んでいます」
■ これまで裁縫訓練で教えてきて、一番うれしかったことはなんですか?
「訓練生たちが卒業後に働きに出て、学んだ技術を活かしているとわかったときです。そうやって技術を使って自分の生活や家族を支えていると知ったとき、彼女たちの人生に役立ったんだと実感します」
■ 残念ながら現在裁縫教室は中断していますが、いま何をしていますか?
「トレーニングは中断していますが、毎日事務所に通勤して、新しい裁縫技術を勉強したり、事務所の同僚のための作業着を仕立てたりしています。また、9月後半から訓練生が来られなくなったため、東京からリクエストがあった裁縫製品(編注:クラウドファンディングのリターン品)の一部を私が引き継いで作っています」
■ さいごに日本の支援者の方へメッセージをお願いします。
「日本からのご支援に厚く御礼申し上げます。裁縫教室運営のために日本から多くのご支援があることを知っています。訓練生たちにも日本からのご寄付で実現している教室であることを伝えています。ミャンマーはまだまだ開発が進んでいない国です。どうかこれからも私たちの国を支えてください。寄付者のみなさまのご健康とご多幸を祈念しています」
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インタビューは以上です。
クラウドファンディング残り20日を切りました。これからも私たちのことをまだまだお伝えしていきます。
裁縫教室を継続していく力と勇気を私たちにください。一緒にミャンマーを盛り上げていきましょう。
引き続き応援よろしくおねがいします。
事務局長 新石正治 拝
インタビューのさいごに笑顔が見られてよかったです。