こんにちは、事務局長の新石です。
いつも応援していただき誠にありがとうございます。ついにご支援者の人数が40人に到達しました! ありがとうございます! パワーがみなぎって、今しかできない情報発信をどんどんやろうという気持ちが強まっています。感謝です。クラウドファンディングは人間をトランス状態にするんですね(日常にもどるのが怖い…)。週末のオンライン・イベントなど、これからもがんばりますのでご都合があえば、ぜひご参加ください。
クラファン本文にあるとおり、教室継続のためには資金の問題もありますが、そもそも活動が全面的に禁止されているなか、裁縫教室を今後どうしていくのかが大問題です。知恵を絞らないといけません(とはいえ簡単にアイディアは出てきません 泣)
…ですが、最近「もしかしてコレなら」という可能性をようやく少し感じはじめました。このクラファン期間中に仲間たちとアイディアを出し合いながら「こっちだ~!」という展望を打ち出したいと思っています。
さて、本日は応援メッセージをお寄せいただいたBAJ会員の平田喜代枝さんから事務所に届いたお手紙と写真、そして裁縫製品サンプルをご紹介します。先日のドーエイミンの記事をお読みになり、かつて彼女が生徒だった頃の写真や、昔の裁縫トレーニングの写真をたくさん送ってくださいました。日本のサポーターから講師ドーエイミンへのエールです。裁縫教室の過去、現在、そして未来までがみえてくるようでした。
以下、手紙のことばを抜粋しながら写真をみていきます。ぜひお読みください。
それにしてもドーエイミン若いですね!
(平田さんより送られた写真アルバム。ドーエイミンがいます)
お手紙より:「洋裁訓練の授業の始めに、私の持参した手作り服の教材として生徒の皆さんにベストの上着を自分達で選んでもらって、ファンションショー♪を開き、楽しい時間でした。たぶん?! この写真はドーエイミンさんでは?」
(平田さん作成の当時の裁縫教室とサポーターの関係図)
かつてマウンドーの裁縫教室を日本から支える「裁縫サポーター」というグループがありました。裁縫教室がはじまったのは1999年。準備は1998年から始まりました。これまで男性向けだった技術研修の活動に加え、女性向けのトレーニングを立ち上げようと服飾デザイン学校で学ばれた専門家の方がプログラムを考えてくださいました。
(1999年 日本中から集まった裁縫箱の寄贈)
当時、新聞に取り上げられたこともあり、全国から裁縫箱がたくさん届き、ご寄付も集まりました。そして、その盛り上がりを受けて、裁縫教室の運営、デザイン助言、広報などを支援する「裁縫サポーター」のグループが日本国内で発足しました。その後2007年頃までサポーターの活動はつづきました。
(2004年 裁縫サポーターのイベント。ミャンマー布でテディベア製作)
平田さんはその頃のメンバーの一人でした。家庭科の教師だった経験のある方で、テキストや製品見本やデザインを現地スタッフたちに寄り添いながら考えてくださいました。
2004年にはマウンドーを訪問し、裁縫教室の女性たちと直接交流しました。ドーエイミンをはじめ現地講師にさまざまなアイディアと技術を授けてくださいました。
(2004年 村落で実施した裁縫訓練)
ところで、みなさま、本文にある「応援メッセージ」はご覧になりましたか?
上記の写真をご覧になったいま、さらに感動的なメッセージだと実感できると思います。ここにも載せますね!
また、平田さんからは裁縫製品のサンプルとデザインもいただきました。ドーエイミンに渡してほしいとのことでした。
お手紙より:「こちらは作品製作のヒントになれば・・・と思います」
先日の記事で報告したとおり、講師のドーエイミンはいま事務所に通勤しながら、再開のチャンスを待っています。新しいデザインや技術を学ぶことにも積極的です。待機中のドーエイミンへ手紙、写真、サンプル、かならず届けたいと思います。
サポーター平田さんからの手紙と写真、そしてあらたな裁縫製品サンプルとデザインは、これからの裁縫教室の運営を考える上で、とても大切な示唆をいただいたのではないかと感じています。
もしかしたら教室に集まれなくても、できることがあるのかもしれません。
「やれることをやろう!」というのは私たちが裁縫教室を再開したときの気持ちでした。
いまその気持ちをまた思い出しています。
今後ともどうぞ応援よろしくおねがいします。私たちはあきらめません。