みなさん、おはようございます。
ついに今日が最終日となりました。
「最終日に何を伝えたいだろう?」と自分に問いました。
それはやっぱり「未来につながっていく」ということ。
クラファンの終わりがゴールではないということ。
これまで私を支えてきてくれたことの大きな大きなひとつは、教え子の存在でした。
彼らに「先生」として出会ったこと
「先生」として出会った責任
「教え子たちに恥じない人でいる・そういう生き方をする」
その思いが、どんなにつらいときも支えてくれていました。
私自身がお世話になってきた先生方をいつまでも「先生」と慕い、「先生」と呼ぶように、
私の教え子にもそういう面があります。
まちで遭遇すれば、大人になっていても彼らは私を「西川先生」「すみれ先生」と呼びます。
今は海外の子も教えているので、「先生」と呼ばない子もいますが、「大人」として頼ってくれるという意味では、今も昔も変わりません。
少し話しは変わりますが、昨日、久しぶりに自分のピアノの演奏を録画しました。
母はとても厳しい人なので、大人になって趣味で久しぶりに弾いたときも子どもの頃と変わらず、「左手がうるさい」「右のメロディが走ってる」「音を踏み外してる」・・・などなど・・・^^;
幾度となく、耳にタコができるくらい聞いてきたこの言葉、そう酷評されることはわかっているのに、録画した動画をやっぱり一番に母に送ってしまっていました。
やっぱりどこかに母(親)に認められたい、ほめてほしい、喜んでほしい・・・
その思いが心の奥にずっとずっとあるのだと思います。
三つ子の魂百までと言いますが、やはり子どもの頃の出会い・経験はずっとずっと大人になっても残るものだと思います。
その子ども時代に、子どもたちと出会う大人としての責任
私はそれをしっかり自覚しながらも
押しつけがましくならず、ナチュラルにしなやかに
子どもたちに伴走していきたいと思っています。
以下の写真は、
左から2006年3月の小学5年生
真ん中は2006年3月に中学を卒業した子の子どもと一緒に(私の子どもではありません^^;)
右端は2006年3月に小学校を卒業した子たちとの同窓会
となっています。
卒業した後もずっとつながり続ける。
私の先生方がそうしてくれたように、私も子どもたちとこれからも、そういう関係を築いていきたいを思っています。
悪いお知らせのときばかり連絡してくる教え子もいます。
でもそれは、「つらいときに頼りたいと思える存在」になれているのかもしれないとも思っています。
だとしたら、彼らにとって安心できる存在でありたいと思っています。
人生いいときばかりじゃないから、つらいときも悲しいときも楽しいときもうれしいときも、どんな時でもしっかり寄り添える伴走者でいたいと思っています。
このプロジェクトをとおして出会う子どもたちともそういう関係を築いていきたいと思っています。
これからもお見守り・応援のほど、何卒、よろしくお願いいたします。