映画制作『絆王子と無限の一歩』不登校についてみんなで話し合うための映画作り

不登校のことを知ってもらうための企画『絆王子と無限の一歩』の制作を行います。この映画は不登校の当事者・ご家族の方・支援者・学校への取材を元に制作。同時並行で支援者や当事者のインタビュー記事の作成を行い、トーク付きの上映会を通してより深く不登校への理解を深める作品にします。

現在の支援総額

86,000

5%

目標金額は1,500,000円

支援者数

11

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/09/14に募集を開始し、 11人の支援により 86,000円の資金を集め、 2022/10/31に募集を終了しました

映画制作『絆王子と無限の一歩』不登校についてみんなで話し合うための映画作り

現在の支援総額

86,000

5%達成

終了

目標金額1,500,000

支援者数11

このプロジェクトは、2022/09/14に募集を開始し、 11人の支援により 86,000円の資金を集め、 2022/10/31に募集を終了しました

不登校のことを知ってもらうための企画『絆王子と無限の一歩』の制作を行います。この映画は不登校の当事者・ご家族の方・支援者・学校への取材を元に制作。同時並行で支援者や当事者のインタビュー記事の作成を行い、トーク付きの上映会を通してより深く不登校への理解を深める作品にします。

このプロジェクトを見た人はこちらもチェックしています

不登校支援へインタビュー第二弾今回は放課後等デイサービスの「臨床心理士」さんに取材いたします!ところで、「デイサービス」とはどんなイメージがありますか?お年寄りや障害のある方の憩いの場で、介護士さんが働いているイメージではないですか?放課後?デイサービス?イメージが湧きづらいと思います。放課後等デイサービスとは?放課後等デイサービスとは心身に障害や発達に特性をもつ子どもたちが、放課後や休日に通う療育を行うまたは居場所を提供する福祉サービスです。簡単に話すと障害や特性のある子に向けた専門家のいる学童クラブのイメージで、特性に合わせた学習を行う指導員や言語・理学・作業療法士、心理士さんが働いています。市区町村、施設によっては不登校の子どもが午前中から利用している施設もあります。放課後等デイサービスの臨床心理士とはどんなお仕事なのかインタビューして参ります!※放課後等デイサービスには預かりに特化したところ、個別の専門療育に特化したところなど様々あり、今回は前者です。施設によって取り組みは異なります。※市区町村によって不登校の子どもが利用できない場合があります。放課後等デイサービスとはどんな施設ですか?A先生:障害をもった子ども達の、学校や幼稚園・保育園以外で居場所となる、「お預かり」がベースの施設です。ただ、放課後の時間一緒に過ごすだけではなくて、その子の特性を理解し成長するためのお手伝いをしています。得意は伸ばし、苦手には一緒に向き合う。背伸びすれば出来るようになることは、モチベーションになるものを探してやってみるきっかけを作る。そして、その子が持っている力を最大限活かして、その子なりの豊かな生活を実現するために伴走します。ただ、施設の大切なキーワードは「お預かり」。安全で快適な居場所を子どもたちに届けること、そして、保護者の方の自分時間を取っていただくということに大きな価値があると思っています。保護者の方にとって、障害を抱えている子供と一緒に暮らしていくことは私達にも想像できないような世界があるでしょうから。SST(ソーシャルスキルトレーニング)とは?りんだ:放課後デイサービスを調べさせてもらった時にSST(ソーシャルスキルトレーニング)という言葉が出てきたのですが、どういったことをされているのですか?A先生:SSTとは「認知行動療法」という技法を用いて、社会で人と関わりながら生きていく上で求められる適切な言動を身につけていくためのトレーニングでソーシャル(社会性)とついているのは、社会で生きていくために必要な力を身につけること。私なんかは例えば、ご飯を食べることや服を着ることも SSTの一環じゃないかと考えています。社会活動に必要な力を上手に習得するトレーニングの中で、無理に苦手なことをやらせるのではなく、自分のできることをどう形にしていくのかを突き詰めていくのがSSTかなと感じています。例えば「目が見えない人にそれでも視力を使って物を見なさい」というのはむずかしいでしょう?つまり、その子が社会で生きやすい自分でいられたらいいのです。りんだ:A先生が心理士として、子ども達一人一人にどのように接しているのかを伺ってもよろしいですかA先生:中々難しく、痛い質問が飛んできました(笑)心理士であり SSTの専門家だからこそこの施設で働かせてもらっているけども、実情として一人一人と向き合う時間は足りていません。これは心理士としてはすごくもどかしい部分です。「一人一人が違うということをわかっていますよ」と個人の特性<個別性>に向き合う専門家ですから、しっかり個人を見つめたいです。しかしデイサービスという施設である以上難しい。今 SST がしっかりできているかと言うと、満足はしていません。ただ子どもと一緒に過ごす職員として心がけていることは、その子のためになるならば嫌われる覚悟で接することです。専門的じゃないことでも長い目で関わる。今日だけの関係だったら楽しく過ごしてもらうのが一番だけど、私たち職員も、子ども達もこの地域で生きていくことを考えたら、本当に子供のためになるように関わりたいなと思っています。放デイと不登校りんだ:今、私たちが作成している映画(『絆王子と無限の一歩』)では不登校のお話ということもありお聞きしたいのですが、放課後等デイサービスの方でも学校に通級することが厳しいお子さんは実際いらっしゃったりするんですか?A先生:そういうケースもありますね。りんだ:そういった場合、放課後等デイサービスの関わりってどうなりますか?A先生:さっきも一人一人<個別性>と言ったように、「ゴールがどこにあるのか」学校に行くことがゴールなのか、学校に行かなくてもその子が社会の中で生きていけることがゴールなのかによって違います。「苦手なことにも挑戦してほしい」という保護者のニーズをそのまま受け入れるのは本来あるべき姿ではないように個人的には思っていて、「学校に行けるようにしてください」と言われたら、それを目指すことを考えますが、しかし学校には行けなくてもいいから「死にたい」と言う子どもについて、「生きていて欲しい」と願う保護者の方もいる。そんな風に追い詰められているご家庭に、「学校に行くためには」という目標は合ってないじゃないですか。多様化している社会では、個人の持つ学校の価値もそれぞれ違うだろうし、どこをゴールにするかによって、その子の直近の目標も変わります。放課後等デイサービスだから「不登校の子にはこうします」という共通目標のようなものはありません。保護者の方との関り方りんだ:保護者の方との関わりについてもお話しいただいていますが、放課後等デイサービス保護者の方にも配慮するということは大きいですか?前にインタビューした教育支援センターのお話で、子供と一番密接な保護者の方のケアをすることも教育支援センターの役割だと伺ったので、放課後等デイサービスでもやはりそうなのかなと。A先生:大きいと思いますりんだ:親御さんと接していく中で、どこまで踏み込むべきか。支援や相談に乗られることがあると思うのですが、その保護者の方と接していく中で気を付けていることや、子どもの状態をどこまで共有するのかなどを伺うことできますか?A先生:保護者の方の支援で気をつけることは、踏み込み過ぎないことです。「特別扱いしすぎない」とも言い換えられます。「しんどい」という感情は底がなく、子どもの悩みを抱えている保護者の方の不安は掘れば掘るほど出てきます。私たちはその不安の全てを受け止めきれるわけじゃない。24時間のサービスではないし、保護者の方へは大前提子どもへのサービスをしている上で対応できる限りという枠組みを持たなければいけません。ビジネスなので、「ここまではできるけどここからは出来ない」という制限がある。個人としては甘えていただきたいし助けたい気持ちもあるけれど、それでは長続きしないと思います。子どもを育てることは長期戦だから、今耐えて頑張っているところに心の蛇口をひねるとドバドバ溢れるモノがあると思うから、上手にスッキリさせて楽にしてあげることが必要だと考えます。でも今は我々でその役割を担えているかと聞かれたら、それは十分ではないでしょう。子ども達と同じ時間を一緒に過ごすだけでも精一杯で、それがウチの放課後等デイサービスの実情です。SST でさえ十分だとは言い切れませんし。放デイの臨床心理士のやりがいは?りんだ:SST など、お仕事をされている中で子供たちを見ていてやりがいを感じる所ってどういうところですか?A先生:何でしょう、大きなエピソードはそんなになくて、日常が続いているだけですね。子どもたち自身が障害を抱えて生きていく、保護者の方が障害を抱えている子どもが自分の子どもとして育てていくということは、日々感動的なエピソードがあるわけではないと感じています。「現状維持」というのはすごく大事。今日も大きな事故なく元気に1日が終わって、みんなの一日が平和に終わったということがこの仕事・生活のなかで大切なことであると私は感じています。ただ一例をあげるとするならば、1年と少し関わった子のことですかね。家から出られない状態から関わり始めて、定期的に SST を受け入れてくれるようになりました。そこから1年くらいで、その子の学校の校長先生がその子の頑張りを認めてくれて、週3回デイサービスに通っていることを出席扱いにしてくれるまでに評価されたことがとても嬉しかった。それを得るために色々あってすごく大変だったことのご褒美と考えています。だけれど日々そんなことがあるわけじゃなくて、とりあえずみんなで生活をできているというのがやりがいです。働こうと思ったきっかけりんだ:最後の質問なんですけど、この放課後等デイサービスで心理士として働こうと思われたきっかけはなんですか?A先生:これは正直に答えるのが面白いんでしょうね(笑)じゃあ2パターンお話しましょうか!1つは、お給料が良かったんです。心理士って本当に正社員の求人が少ない。時給としては高いんですけれど、正社員で働きたい気持ちはありました。安定した正社員で、お給料が高いというが魅力的でした。でも、心理士としては、条件面さえ良ければどこでもいいわけじゃなくて・・・。だから2つめとしては、私はどこで働くにしても「会えるアイドル」みたいに「会える心理士」という「地べたに近い心理士」を目指せることを重視しました。心理士のいるクリニックは、病院でも会うための予約が3か月待ちとか、1回のカウンセリング代が8000円とかすごく敷居が高い。スクールカウンセラーとかはいるけれども、生活をする中で心理士と出会いにくいなと考えています。私は生活していく上で、小学校の先生くらい身近に心理士がいていいと思っています。そのために福祉の業界は地域社会に開けている。そんなに高い敷居までみんなに登ってきてもらうんじゃなくて、同じ地続きの場所で生きている、そんな心理士になりたかったっていうのがあります。この2つの理由から放課後等デイサービスと思いました。りんだ:では以上で質問を終わりますお時間頂き本当にありがとうございましたありがとうございました〇取材後記「現状維持が大切」何か大きな支援をするというのではなく日々の生活の積み重ねを守ることこそ大切で、その先にこそ子どもの成長や努力が結ばれることがたまにご褒美のように現れる。心理士さんやカウンセラーさんってどこか遠い人のような存在でしたが、一緒に地域で生きていく心理士さん、そんな人がどこかにいてくれると感じるだけで心強いですし、そんな身近な心理士さんがどの地域にもいてくれる。そんな時代が訪れたら良いなと思いました。告知とまりぎクリエーターズでは「不登校の支援者のこと・支援の現場のことを知って欲しい」という思いで、支援者の方や当事者の方へのインタビューを行い、不登校を題材にした映画『絆王子と無限の一歩』の制作を行っています。もっと支援の現場のことを知りたい・知って欲しい、当事者の声を聴きたい、映画楽しみ!など今後とも私たちの活動に応援してくださる方は是非、ご支援をお願いいたします!クラウドファンディングのページhttps://camp-fire.jp/projects/view/620053


はじめに自己紹介とまりぎクリエイターズのりんだです。現在大学生として学校に通学していますが、中学時代不登校を経験し、当時適応指導教室という名称の施設へ通級していました。現在では教育支援センターという施設名になっています。今回実際に私が施設でお世話になった先生に、教育支援センターや不登校について当時の事も振り返りながらお話しさせていただきました。教育支援センターとは?主に小中学校を長期で休んでいる子どものために、学籍のある学校とは別に教育委員会等が用意した公的機関のことです。¹⁾文部科学省では、教育支援センターの目的は不登校児童生徒の集団生活への適応、情緒の安定、基礎学力の補充、基本的生活習慣の改善等のための相談、指導(学習指導含む。以下同じ。)を行うことにより、その社会的自立に資することを基本とすると定められています²⁾。 私が通級していた当時は学校に登校することを目的としていましたが、平成28年度から不登校児童生徒に対する教育機会の確保のための場の一つとして位置づけされました。N先生について N先生は、学校でいう一般的な教師と生徒という関係よりもとても身近で親身に相談に乗ってくださる存在でした。当時は一人の生徒につき一人の先生がその生徒の担当教諭として受けもっており、私を担当してくださった先生がN先生でした。○数年前から適応指導教室が教育支援センターに名称が変わりましたが、どういう違いがあるんですか?ー適応指導教室という言葉のイメージー先生:一先生個人としては「適応指導」という言葉のイメージには、違和感があってん。適応できてないものを適用できるように指導すると捉えることもできるじゃない。社会に不適応な子どもがいて、その子を正す指導をしている施設!みたいな感じで。赴任した頃にね、施設の取り組みとして水族館に行くことがあって、予約した時に水族館の方にどういう団体さんって聞かれたことがありました。「適応指導教室です」って答えたら、ちょっと煙たい感じで対応されてね。適応指導っていう言葉を全然知らない人が聞いたら、社会に馴染めない子達を更生する施設が来るのかなって受け止めるみたいで。先方も遠慮がちに仰らはるんやけれど、「適応指導に通っている子ども」への抵抗感がすごく伝わってくる感じでした。少しやんちゃな子も一定数いる時代だったこともあって、全く適応指導について知らない人はそう捉えることもある。ここに通ってくれていた、りんだちゃんが「社会に対して不適応だったんですか?」って言われたら、そういう事ではないし。そのように捉えられてしまうと、否定された気持ちになりますね。ー「適応指導」から「教育支援センター」という名称に変わったことについて-見合う言葉がないから、という意味で、まだ教育支援センターの方がしっくりくるのかなって思います。きっかけは文科省からの「教育支援センター」っていう名称にしますよという通達があったことでした。確かに子ども一人一人の抱えているものへの克服に対して支援している施設であり、勉強のサポートも請け負ってます。その為、総合的に考えると教育支援センターの方がいいとは思う。ただ、支援という言葉は使いやすいけれど、膨大なイメージを持ってしまう言葉でもあるから、完璧やとはよう言えません。でも「適応指導教室」よりはいいかも、「私適応指導教室に通ってますってあんまり言いたくないでしょ?」りんだ:自分は適応指導教室に過去通ってたって言ってますね(笑)。今まで適応指導教室という名前について考えたことがありませんでした。確かに不適応って言われるとそうなりますね。先生のお話を伺って、指導より支援してもらっていると言えた方がいいと思いました。先生:インタビューってこんな感じで進めて、ほんまにいいの?りんだ:むしろとてもいいと思います!先生ご自身の考えや意見をききたかったので。○教育支援センターの取り組みとして今と昔(勤務当初)で変わったことは?ー赴任当初と昨今の生徒の通う要因の違いー先生:先生が最初に赴任した当初……施設に通う生徒たちは、元々エネルギーはあるけれど人間関係などの外的要因があって、学校に通えない子が多かってん。いじめや、先輩後輩の上下関係や教科担任制などの新しい制度についていけんかったり。ここ最近は、理由がわからないけども集団にうまく入れないことが原因だったりします。心身の不調や新型コロナの影響、起立性調節障害で起きたくても起きれなかったり。ただ現場の体感として学者ではないので因果関係はわからないけれど、家庭環境も影響しているようには感じるかな。「親が揃っている=幸せ」とは思ってへんのやけれど、家族の形が歪だったり、親との関係に不和がある子どもが多いのね。幼少期の中から何かしらうまくいってなかった子どもが成長過程に影を落とし、本来ぎゅーって抱きしめてもらうところをしてもらえなかったことがほとんど。親も親で何か事情があってそうなってるんだとは思うけども、そういう心のしんどさを抱えてそれが学校に行けないっていう形にあらわれている場合があるんやわ。何か学校で出来なかったっていうよりも、心の問題で突き詰めたら家庭環境が原因であるケースもよくあって。他にも発達障害により、情報の整理やコミュニケーションがうまくいかないなどが発端となることもある。その子が嫌々でも頑張って薬を飲んで治そうとして、それでも治らないのはその子の責任じゃないのに、その子が抱えてるしんどさとか全部“その子自身”の問題にされてしまう。それが学校に行くのがしんどい、に結びちゃうことが年々増えてきたっていう感じがしてますね。ー昔と昨今でのアプローチの違いと所感ー先生:外的要因が主な問題だったころは、例えばいじめだったら両方の話を聴いて和解をしたり、学校に何かアプローチができてん。やけど今は、人間関係の上手くいってないところを交通整理したらスッキリするっていうわけではないですね。一人一人の要望に合わせた個別支援が求められていると感じる。それが主な違いかなあ。教師だけではどうしようもできないことも勿論ね、あります。関係機関、例えば心理士さんのカウンセリングを受けたり、発達検査を受けることでその子の特性を周りが理解することが支援に繋がるなら、そういった繋がりが必要。その中で言語療法作業療法や理学療法などの療育機能的な部分を補ってもらったり、心療内科にかかってお薬を処方してもらっている子もいます。ここだけ紐解いてあげたら解決するということはなく、複雑です。世の中に対する漠然とした不安を持つ子どもも多い。複雑さを増したことから、時代の移り変わりを感じます。○先生自身が心がけてる事って何かありますか先生:とりあえず横並びを意識してお話をすることです。関わっていかないといけないとわからないこともあるし、誰にだって心が開けるわけでもないから、一括りにはできないけれど。「先生」って子どもたちはみんな私のことを呼んでくれます。しかし、学校行けない子にとって先生という言葉自体に苦手意識があるし、すごいハードルが高かったりもすると思うねん。だから向き合ってしゃべるのは、追い詰められているようでしんどいんちゃうかなあ。だから初めての人とは横並びを意識していておしゃべりしてる。目を合わさずに済んで、その子が逃げられる距離。なんとなく寄り添ってもらえる感じはするんちゃうかなって。名前はすぐに覚えてね。そして、その子の好きそうなこととか勉強がどうとか言うんじゃなくて、まず褒めます。施設に来てくれるだけで、まず「頑張ったね」と認めてあげて、来たことが良かったと言ってもらえるようにしたいです。ここは制服じゃなくて私服やからそれも一つの自己主張で、着せ替えされて来てるかもしれんけど何かしら自分で選んでその子なりに「これを着ていこう」って出てきます。そこでエネルギーを使っているわけだから、今日はこんな色を着てきたんだとかズボン履いてきたとか今日髪くくってきたなど。来た時に、挨拶はもちろんだけど声をかけるようにしてます。声をかけると嬉しそうにするので。あなたのことを見てるよっていう姿勢をこちらがみせることで、何か伝わるものがあるんやって話しかけてます。勉強を始める時は前からじゃなくて、横から今日は何するんって声かけます。教えるというよりは、一緒にやろうやって。先生も算数苦手やねんって言いながら。一緒にその時間を過ごすことや悩むこと、この問題を解けたとかもう1ページもできたとか、ちっちゃな達成感を共有したりして。そうして、「今日すごく緊張してきたけど、また来てやってもいいかな」くらいに思って貰えればなぁと。あと別れ際に「また明日ね」って言っと「明日また来なあかん」って気持ちになるので、「またねー」とか「またいつでも待ってるよー」とか時間を言わんようにしてます。りんだ:自分の中学時代をめちゃくちゃ思い出しました。先生の話してた事をめっちゃやってもらってたなって本当に。先生:でも、あえてしてるんじゃなくて、遊びの中でだってほんまにすごいことしてたら、先生も教えて欲しいし、一緒にその時間を過ごしていくことを大事に接してるんよ。○施設に通えない子どもへの支援センターへの取り組み先生:少なくとも保護者さんとはしっかり連絡を取り合うようにしてます。ほったらかしは絶対してへん。お手紙を送ったりとか。家庭訪問したい気持ちはいっぱいやけど立場的にはできないし、その子が来てほしい時と来てほしくない時があります。その子のコンディション……今は誰にも関わってほしくないっていうときに入ったらよくないから。家から一歩も出ない我が子がおると、お母さん自身が不安になります。お母さんが不安になったりイライラするとやっぱね、悪循環です。お母さんがゆったり構えてて、「今はしんどいんだね、お家を出たくないんだよね」って、いつでも見守ってるし応援してるよって言えるようになったらいいんやけれど、なかなか世の中のお母さんはそうはいきません。やからこそ、お母さんへの支援を頑張ります。家庭環境でのその子を直接そのサポートするのはお母さんです。昔話の『おおきなかぶ』みたいにおじいさんが引っ張って、その次におばあさんが引っ張ってみたいな話はあるけれど、一番支援しているお母さんがいて支援が広がっていきますから。まずはお母さんの話し相手になって、その後に様子を聞いたりしてます。元々学校に通えてた子やったら、当時仲良かった子に助けてもらってお手紙とかを送ることもあります。先生からの手紙より、友達からの手紙の方が嬉しいやろうし。心優しいお友達がいることがあるんで。いつか何かが響くかもしれない、エネルギーが高まった時に。長い時間がかかるかもしれないけれど。後は外に出れるようになったときに時間割全部とかハードルが高いものを求めるのではなく、顔を見るだけ・プリントを取りに来るだけ、ここに来てくれるだけでいいよとか。起立性調節障害とかの子は特に時間帯がしんどかったら出てきやすい夕方とか、お天気が良くなってきたしお散歩がてらに寄ってねとか。通級を求めるんじゃなく、まずは気軽に来てくれたらええなぁと思ってます。りんだ:自分も先生に来てもらったこと思い出します。○子どもとずっと関わってて印象に残ったこととかってエピソード先生:りんだちゃんが来てくれたことかなぁ。エネルギーを与えると言うとおこがましいかもしれないけれど、ここにはエネルギーが低い子達が来るわけでしょ。だから元気になって欲しいからエネルギーを与えてる。でも先生も一人の人間やからさ、持ってるいいエネルギーを与えてるし、同時に負のエネルギーを同時にもらってるっていうのがあるやん。でも、りんだちゃんみたいに、こうやって卒業してもたまに元気な姿を見せてくれたり、昨日も大学に行けるようになりましたって卒業生が報告に来てくれると、すごい嬉しいし頑張らなって思う。それはやっぱり、ここにいる人たちみんな元気に頑張れてて、笑っていてくれたらそれでいい。健康で元気で、毎日生きとったら色々あると思うんやけれど、それはきっと誰にでもあるから。でも笑顔で楽しく、人を嫌いにならず、社会を嫌いにならずいてくれたらなんかそれが嬉しいなって。たくさんエピソードはあるけど、みんなが頑張ってる姿を見れるんが一番嬉しいかなと思っています。その他には中学校生活の最後の立志式(※施設での卒業式)での立志の言葉。自分なりの言葉で短い言葉であれ長い言葉であれ、それぞれの3年間があったなと感じること、それを自分の言葉で表現できる成長ぶりが嬉しいしありがたい。ご縁があってここに来てくれたわけから、全部が奇跡やん。楽しく機嫌よく学校に行けてたら、私と出会わかなかったんやけれど。何かしらがあってしんどくてここに来てくれたから、先生と出会えたんかなぁと。全部意味がないってことはないんちゃうかなと。そう思って出ていって欲しいなって。しんどかったその事実、それはリセットできないけれど。過去を、これはこれで出会いもあったし知らん学校の子ともお友達になれたしちょっと元気になれたし、次にも繋がるから肯定的に自分にいられるバネにして欲しい。否定ばかりじゃなくて肯定的に卒業してくれたらそれがやりがいやし、それがエピソードやと思います。りんだ:私も不登校で挫折を経験したけども今になって一切後悔していなくてしてなくて。先生:あの時があるから今こうして特別な思い出ができて、お友達とか出来たんやってプラスに受け入れてくれたら嬉しいよねって思います。りんだ:本当に先生に出会えたことがほんと嬉しかった。 ○教育支援センターの最終目標は学校復帰?先生:最終目標を学校復帰と言わなくなりました。文科省からの通達があって、学校復帰と言えなくなりました。元々は学校復帰を目指す、そこに向かっていくように支援をするというのが目標でした。でも教育観とか価値観が色々変わっていく中で、学校に戻るだけが全てじゃないそこに至らない子達が沢山いるでしょうと。その子のニーズに合った教育の機会・場をってなっています。ただこの流れは、学校の先生にとっては すごくジレンマだと思ってて。小中学校はそこに必要な学びがあるから「義務教育」という名前が与えられている。最初から来なくていいよって選択肢があると、「義務教育」の根幹が崩れてしまう。難しいですね。でもとにかくここに来る子達に関しては、学校復帰っていうところを課題設定にするのは辞めました。そこにはまらない子とかしんどい子には個別の支援が必要やからです。全員が学校支援に当てはまる訳では無い、ともっとハードルを下げてあげないといけません。ただ一例として、うちの市では集団活動に特化した施設と個別対応に特化した施設があります。その内の集団活動に特化した施設の方の子どもたちには、学校の復帰も目標ににしてあげるべきやと思います。そのため配慮しすぎて学校復帰を言わないのもよくないとも考えているし、高いハードルを与えてあげるべきタイミングもあれば、まだまだそれは無理って言う子もいます。だから一律の目標は立てられない、子どもによって支援する目標が違うよってところで、学校復帰っていう文言が消えました。りんだ:私が聞きたかったところをすごく聞けた。今までこの施設での思い出って本当に素晴らしくて代えがたいものだったけれど、適応指導教室って元々本来最初は学校復帰を目的としていたとこじゃないですか。何かそこだけすごく自分の中で不安があって別に復帰しなくてもってずっと思ってたから、チャレンジデーとして学校に行かないと行けなかった金曜日は自分の中ではしんどかった。先生:学校で学ぶことは社会へ出るためにいろんな要素が詰まっていて、自分で判断して考える能力や生きるための力を形成してくれます。だけど、やっぱり行きにくい場所ならなるべく行きたくないでしょう。その子にとって何が正解なのかはわからないけど、その子自身で正解を選べることがすごく大事で、義務教育だけじゃなくて、教育支援センターもあるフリースクールもある心理士さんとかドクターとの繋がりもある。私もこの10年の間で価値観はいっぱい変わりました。最初は高校へ行かさないといけないと思ってました。中卒は絶対困るから行くべきやと今でも思うけど。だからその子が押し付けじゃなくて高校ぐらいは行っといた方がいいかなって思えるように話をするようにはしてます。一番大切なことは、今日一日よかったなと思えて、それを積み重ねること。そう考えてます。りんだ:貴重なお話ありがとうございました。編集後記 今回インタビューを行ってみて、私自身も当時の事が鮮明に思い出されました。N先生のお話を伺いながら、実際N先生にしていただいたことや、逆にこんな思いで生徒と接していたんだという新たな発見も自分の中で見つかりました。 私にとって中学時代は本当に辛かったし、通級することが精一杯でした。その為大人になって改めて、私は当時こんなに支えられていたのだと気づかされました。そしてその経験は今の私自身の支えになっています。 また今回のインタビューで、今辛い思いを抱えている子供たちに、私がどのように支援することが出来るかをより具体的に考えることが出来ました。〇告知 映画作成+クラファン実施中とまりぎクリエーターズでは、より不登校のことを知ってもらうために不登校を題材にした映画『絆王子と無限の一歩』の制作を行っております今後とも支援の現場や不登校についての取材を行って参りますので、よろしければご支援の程、よろしくお願いします


とまりぎクリエーターズとは?「これから羽ばたく人を応援する」をコンセプトに活動する企画集団です。主な活動としては、演劇を中心に写真・映像企画など芸術企画、表現を通して不登校・発達障害の認知を広げる企画や福祉施設での巡業公演表現を学びたい学生へのWSなどを展開しています!メンバーは企画の「八柳まごいち」歌うたいの「cOsmOs」カメラや歌や朗読や脚本と模索中の「清原ふわり」新人の「りんだ」の4人で構成されています!この記事では、とまりぎがどんな団体か知ってもらうためここまでの軌跡をお話します!〇旗揚げ公演『ヒバリは巣立っても、』(2021年3月)発達特性を題材にしたオンライン演劇とトークの企画『ヒバリは巣立ても、』発達特性をもつ元不登校の教育実習生「ヒバリ」とかつての担任でうつ病を乗り越えて復職した「田平」それぞれの葛藤と成長を描く物語です!最初は、八柳・cOsmOs・清原の3人でスタートしました!旗揚げはどんな公演をしたい?と関係者こみではなしあったところ、「明るくてキャッチーなモノの方がいいのでは?」「カッコいい殺陣芝居をしたい」などいろんな意見がでましたが、「これからの指針となるような作品にしたい」という思いから発達障害を扱い取材を重ね「特別支援学級」を舞台にしたこの作品の制作に至ったのです!演劇とトークの企画という事で本編の配信の後はゲストの方とのトークを実施し深めるイベントとなりました。〇学生応援企画!オンライン演劇祭『とまりぎコレクション』(2021年9月)朗読と身体表現で魅せる作品『いつか、これから死んじゃう君と、』四季を題材にした歌に乗せ時代の変化を映す『蝶語華馨』思春期の魔法を信じられなくなることへの変化を切り取る『Greceful World』の3作品を上演した。次の公演はどうし ようかと思ったときコロナ渦で舞台活動の再会に社会的にも後ろめたさがある時代でした。学生劇団では大学から公演許可が下りず、自分たちで公演するにも厳しい状態でした。「せっかく大学で演劇部に入ったのに1階も演劇をしたことがない」そんな状況を打破するためにオンライン演劇祭「とまりぎコレクション」を実施しました!アクション・朗読・公募に分かれて、それぞれのチームで演劇をまなぶ機会を作りました!清原ふわりが朗読班で脚本デビュー、ヒバリ・朗読班と連続で出演していた、りんださんが加入となります!〇清原カメラ・脚本の修行期とまたび 作品集「いつか、これから死んじゃうきみと、」撮影:清原ふわりモデル:りんだ 桜木ひまり撮影:清原ふわりモデル:ゆのみやゆた大きな舞台ができない期間「何かできる表現はないのか?」と模索の時期が続きます。その中で出たのが写真と朗読映像や絵本動画の企画です!不慣れなことが多く戸惑いの連続でしたが、清原の写真や脚本が評価をされ始めて、メンバー全員がクリエーターでありたいという新しいとまりぎの形が見えだしました。〇尼崎市演劇祭にむけて(2022年2月)大卑屈世界平和論の劇中より2022年2月 尼崎市演劇祭にお誘いを頂きまして、初の生舞台を踏むぞ!と思いきや、オミクロン株の流行があり、上演を断念。。。ただ、断念だけで終わりたくないと子ども部屋演劇を製作!新しい形を試し続けました!〇旗揚げ初の生舞台!子ども向けパフォーマンス『童子隊』(2022年7月)しばらくは大きな演劇の上演はなかなかできなかったものの、じつはその裏で児童福祉施設に向けて鬼退治を元にした新型コロナ対策の公演を児童福祉施設で行っていたんです。その集大成として広い会場で『童子隊』という演劇パフォーマンスを開催することになりました!お世話になっている児童福祉施設の子どもたちを中心に、最年少は2歳から観劇していただき、無事に初舞台を終えられました!〇NEXT 映画制作「絆王子と無限の一歩」今、とまりぎクリエーターズは不登校のことを話し合うための映画『絆王子と無限の一歩』の上映を目指しています。この作品は高校の演劇の大会に出れなかった通信制高校に通う不登校経験を持つ生徒たちの実話を繋ぎ合わせて脚本を作成。大学生の演劇祭「おおさか学生演劇祭」に出場するために書いた血の通った作品です。不登校への理解が進んできたとされる昨今ですが上手く支援と繋がれない人からの相談や理不尽な思いを受けている子どもたちと出会うことが多々ありこの作品を作ることを決めました。そしてコロナ渦に左右されることなく、より幅広い人に観てもらうことを考えた結果、「映画を作りたい」という結論にいたりました。そんな夢物語を描いていると、俳優であり映像クリエーターでもある竹田くんが監督に名乗り出てくれて幅広いアーティストの緒花さんもやってきました。そして続々と人が集まってきて今に至ります。あくまでちっちゃな福祉劇団である僕らと長編映画へ初監督の竹田監督。知らないことばかりで悪戦苦闘の日々。そしてお金がありません(笑)是非、応援していただけたら嬉しいです!今後の、とまりぎの活動に是非、ご期待ください!


新しいアイデアや挑戦を、アプリで見つけるcampfireにアプリが登場しました!
App Storeからダウンロード Google Playで手に入れよう
スマートフォンでQRコードを読み取って、アプリをダウンロード!