
場所:浦嶋神社境内日時:毎年3月16日夕日沈む刻 花納め : 毎年3月17日午前9時 祈念祭 : 午前10時 延年祭 消掛神事 福棒、おみくじ 翁会奉納: 午前10時半頃から翁三番叟奉納浦嶋子に最もゆかりのある三野家一門をはじめとした関係者が3月17日に浦嶋神社に参集長寿・五穀豊穣・豊漁・商売繁盛・所業繁栄・家内安全・延命息災招福を祈願します。棒祭、福祭とも言われ、くじで福棒を引き当てた人は願いが叶うとされています。この神事は真綿を使った全国でも数少ない神事の一つでもあります。この真綿を使い、繭玉を作ります。竹の輪切りチシャの木コシアブラノの樹を削った物に真綿を包んで作ります。これを明神華と言います。祭りが行われる約一週間前に神事を執り行う三野家を中心とした関係者で作られます。神事が全て終了後に翁三番叟が奉納されます。神社にはかつてお抱えの猿楽師が在籍していました。干天が続いたときの雨乞いの祈りや、屋根の葺替え等重要な神事の節目に上演されたものと伝えられます。「とうとうたらり、たらりたらり・・・」で始まる観世能の流れを汲む翁三番叟。正式名称は、河来見翁三番叟です。筒川上地区の河来見という集落で長年、受け継がれていましたが昭和38年の豪雪を境に離村に拍車がかかりました。戦後は世帯数50を超えていた集落は平成に入ると10世帯前後にまで減り、三番叟の継承も高齢化世帯の増加と後継者不在で長らく途絶えていました。昭和60年代に商工会が地域お越しの一環でこの河来見翁三番叟の復活を計りました。河来見集落からの後継者輩出は事実上、不可能だった為、浦嶋神社周辺の本庄地区の青壮年者を中心にメンバーを募り翁会を結成。翁会結成後、翁三番叟を知る河来見在住者及び離村した河来見出身者の古老達から2年間に渡り翁三番叟の指導を受け継承しました。教える方も数十年のブランクがあり思い出しながら教えたと聞きます。教わる側は勿論一から初めての事を教わります。双方、継承に向け必死だったと聞きます。今思えば、これがなければ現在の河来見翁三番叟は消えて無くなっていたモノとなります。今では舞手である三役の一つ黒色域尉も初代継承者から数えて6代目となります。約2ヶ月前から週2回の練習と指導を受け、今年晴れて第6代目黒色尉の初舞台となります。そんな継承の歴史も知った上で見る翁三番叟もまた、感慨深く見れるのではと思います。華やかな衣装をまとった狂言師が浦嶋神社の拝殿でゆるやかに舞う姿は、見物客を幻想の世界にいざないます。コロナ禍で 2年間自粛していましたが、晴れて復活の奉納舞台となります。