気がつけばクラウドファンディングもラスト2日!多大なるご協力、本当にありがとうございます...。まだ現場は完成しませんが、最新の現状をご報告させていただきます!2階寝室とリネン室。左にある穴が階段、そこから奥がフローリングの寝室になります。反対側。カーブを描いた作りが特徴的な天井の寝室こちらは畳敷になりますバスタブ1。足をのばして寛げる広さバスタブ2。カーブを描いた形状天井と壁は檜の板茶室サウナ予定地。手前が水風呂、シャワー室、奥が脱衣とサウナ。写真外左側が外気浴場です!こんな感じで、あと1ヶ月が工事的にはラストスパートです。まだまだ写真で伝わりづらいですが、必ず良いものになるはず!3月は全国旅行割もありますので、ぜひ遊びに来てくださいm(_ _)mラスト2日、ご協力よろしくお願いいたします!いつもありがとうございます!ひといき 米田
旅 の付いた活動報告
こんにちは。早いもので成人式も終わり、今月もあと2/3!目標金額大きく中々厳しいですが...拡散のご協力よろしくお願いいたしますm(_ _)mさて、本日は一昨日時点での蔵サウナの工事現場をご報告させていただきます。蔵の入り口。通り道には屋根もつけます蔵サウナ1階。箱階段は既存のものを流用。脱衣所、シャワー、水風呂、サウナがこのスペースに収まります。3〜4人は同時に利用できそうです蔵の2階(暗くてすみません)。今は板張りですが、濡れても大丈夫な畳を敷いて寛ぎスペースになります。ここの梁、天井はそのまま見えるようにする予定です蔵に残っていた色々。木桶は、ロウリュ用の水桶にしようかな、と。壁の呪文のような何かは、板の順番、目標です天保4年...か?(1833年)その右上は分からない...↑天明4年説(1784年)も浮上...!?昔の板は幅がバラバラなので、番号を振ってハマるようにしているようですこんな感じの蔵サウナ進捗状況でした。そろそろ場所によってはこの上から防水の壁をはったりするため、現場が見たい!という方はご一報ください。また、今週中にリターンを少し追加させていただこうと思います。ご協力、引き続きよろしくお願いいたします!ありがとうございます。ひといき 米田
明けましておめでとうございます!あっという間に2023年、工事完了もあと2ヶ月程度の予定です。本日ですが、新しい宿泊棟の図面を投稿させて頂きます。※11月時点のもので、現状でも少し間取りが変わっておりますが、大きく変わることもないはずです...。どちらもですが、俗に言う「うなぎの寝床」状の町屋で、間口は狭く、奥に長い造りとなっています。道路に向かって前後で部屋が分かれており、土間の通路を通って客室、サウナ室へ向かいます。薬草蔵付きサウナ棟。寝室が畳敷にマットレス or フローリング+ベッドの違い。また、現時点で既に蔵サウナの2階は全面畳敷きの休憩室になる予定に変わりました。汗茶室サウナ棟。こちらはやや間口が広く、サウナは狭目(2名がちょうど良い?)です。また、ベッドのあるお部屋に関しては、エキストラベッドが隠れ家風の2段ベッドに!(予定)従来の客室は狭さから2名さま限定で、ご家族連れやグループのお客様のお問い合わせをお断りさせて頂いておりました...。ですが、今回の新しい宿泊棟ではご家族などもOK!場合によっては、2室ご利用で1棟丸々貸切も可能です♪その場合はもちろん付随のサウナもずーっと貸切利用OK!ぜひご家族、3世帯でもご利用ください^^
なぜ、町家を残すのか?それは、活気のある地域が好きだから、活気のある地域でいて欲しいからです。町家は、その土地のアイデンティティー、コミュニティ、郷土愛、帰属意識に繋がると思っています。サザエさん的な、3世代でちゃぶ台囲んで、縁側で、という風景に裕福な時代の日本を思うのかもしれませんし、町家のある景色が更地や駐車場に変わり、ガラパゴス化していくのが嫌なのかもしれません。昔話ですが、私が長く育った盛岡も、伝統ある建物がいともかんたんに駐車場へ変わって行きました。例えば地元の人はわかる、創業明治5年、上の橋の丸竹茶屋さん。河川敷の散歩、肉の米内の焼き肉、藤原養蜂所で蜂蜜アイス、そのまま見晴らしの良い天満宮か、南下して肴町までなどなど...その北の端が、後継おらずであっという間に取り壊しへ。久しぶりに帰省もしましたが、駐車場...この気持ちの喪失感といったら本当に酷いものです。更には鉈屋町のかわてつさんも倒産・差押となるとここも更地になるのか...とhttps://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/rekishi/1009379/1009399.htmlhttps://www.iwate-np.co.jp/article/2022/4/2/112780そんな盛岡の一例ですが、話は戻り、無くした町家は戻りませんし、それはきっと、そこを心象風景としていた誰かの、故郷へ帰ってきた気持ちの喪失に繋がるのではないかな、と思うのです。そうすると、他所へ勉強や仕事に行った人たちの帰る機会も減り、結果として地域の活気が失われていくのだと思うのです。ただ、町屋の保存はお金と手間がかかります!涙誰かが無理をして維持するのではなく、ビジネスとして、地域の人も、訪れる人も、働く人も喜ぶ様なそんな町屋の保存、ひいては活気のある地域づくりに寄与したいと思うのでした。日々小話すみません!ご協力よろしくお願いします〜