こんにちは、バリュープラス アーカイヴ プロジェクトです。
先日動画として発信した三池敏夫さんインタビューの全文を、こちらの記事で公開いたします。
三池さんは特撮美術監督として、ゴジラシリーズ、ウルトラマンシリーズ、平成ガメラシリーズと数多の特撮作品に中心スタッフとして参加してきました。また近年は、認定NPO法人ATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の発起人の一人として、残された特撮作品の資料を保存・研究するアーカイブ活動にも積極的に取り組まれています。
今回はその三池さんに、発掘されたピープロ特撮4作品のフィルムを実際にご覧になっていただきました。そして、
ピープロ特撮そのものの魅力、
その写真資料としての価値、
そして特撮作品の資料アーカイブの意義について、
様々な観点で語っていただきました。
──三池さんはATAC(アニメ特撮アーカイブ機構)の中心メンバーとして、特撮作品に関する制作資料・中間制作物を未来に残すためのアーカイブ活動をされています。今回発掘されたピープロ特撮のフィルムの写真資料の価値について、アーカイブの観点からはどのように考えられていますか?
三池 特撮のアーカイブ運動をやっているわけですけど、世の中がブームの時には溢れかえっていたものが、やっぱり10年20年するとびっくりするぐらいを失われていくんですよね。怪獣ブーム・変身ブームの頃は、町中が本当にもう怪獣とかヒーローで溢れていて、その時には当たり前のようにあった写真とかが、いつの間にか無くなってしまうんですよ。
今回のピープロ作品の資料も、これまで出たことのない写真もあるだろうし、キャラクターの格好良いポーズの写真も魅力的なんですけど、作り手側の立場から言うと舞台裏、先ほど話が出たクレーンで吊っているとかですね。そういう撮影の舞台裏の資料があるのが、とても大事なことなんです。そういう資料も、やっぱり「ちゃんと残そう」という意志がないと間違いなく消えていくんですよ。資料がどんどん失われている。当時撮影に直接携わっていた人たちも居なくなっていて、今回フィルムが発掘された中で一番古い作品の『快傑ライオン丸』なんかは、50年以上も経った現在では多くの関係者が亡くなっているわけです。写真という形で残っている資料を永久に残すための努力というのは、非常に重要なことです。
『風雲ライオン丸』より。
レギュラーキャスト3人とライオン丸。獅子丸とライオン丸が並ぶ、劇中ではあり得ない写真だ。『風雲』がちょうど50年前の作品であり、このフィルムをはじめとする資料もそれだけ古いもの。一刻も早いアーカイブ化が必要である。
三池 もちろん文字情報や絵、紙の資料も大事なんですよ。台本だったり、スケジュール表だったり、絵コンテだったりも貴重なんですけど、それらと比べても写真資料の重要性は特に高いですね。撮影当時の状況そのものを直接知ることができます。見る人にも分かりやすく伝わるし、その価値も理解しやすい。そういう意味でも、写真資料をアーカイブとして残していくことは本当に大事だと思います。
──今回のプロジェクトは、フィルムのアーカイブをクラウドファンディングで行おうという試みですが、将来的にはどういう展開に繋がっていくと良いと思われますか?
三池 もうちょっと「アーカイブ」ということ自体の価値を世の中が認めて、私は特撮専門でやっていますけど、映画文化というものを後世に残すための施設や組織を映画業界全体でもっと作っていかないといけないな、という思いはあります。アニメ特撮アーカイブ機構という組織の活動は、映画の中でもアニメと特撮に特化しているんですけど、そういう過去の作品に関する資料を将来に残したい。それは自分たちがそういう作品が好きで、アニメや特撮作品に育てられたっていうのが原動力ではあるんですけど、将来自分たちがいなくなってからでも、世界に誇れる日本の文化として末永く残っていくことこそが最大の願いです。
──「アニメと特撮」という領域を考えますと、渡辺善夫さんのマットアートをはじめ、ピープロ作品って特撮作品の中にアニメ―ションを多用しているわけで、その2つのジャンルを積極的に融合していた先駆者でもあるわけですよね。
三池 ピープロはそもそも、アニメと特撮の両方で作品を制作した珍しい会社なんです。『マグマ大使』で初めて特撮作品を制作するより前に『0戦はやと』(64年)を制作して、日本最初の本格テレビアニメ『鉄腕アトム』(65年)も下請けで制作しています。
そもそも子ども向けの番組って、最初の特撮ブームの頃は「アニメーションだ」「特撮だ」っていう区別は、観る側もそれほど意識はしていなかったんです。
──いわゆる「テレビまんが」の時代ですよね。
三池 その通りです。テレビまんがみたいな形で、放送枠もアニメと特撮を連続して再放送するようなことはよくやっていましたよね。そういう時代を、ピープロは色濃く反映している会社であり、作品だと思います。
──そうした「子ども文化」の担い手だったピープロ作品ですが、今後その貴重な資料のアーカイブをますます進めていかなくてはなりません。最後に、このクラウドファンディングに協力してくださっている皆さんに向けて、三池さんからメッセージをお願いします。
三池 現在のアーカイブ活動の現状でいくと、無くなった会社に関する資料ってどうしても保存が難しく散逸してしまうんです。東宝、東映、大映を引き継いだ角川(現KADOKAWA)、それから円谷プロダクションと、それぞれ今でも現役で新作を作っている会社であれば、そういう資料と共に自社の歴史をちゃんと残せる。でもピープロは今、権利を管理する会社として社名は残っていますけど、制作会社としての実績は無いですから。資料はどんどん失われているし、新たな資料の発掘も、こういう機会がないとなかなか難しいですよね。
つまりピープロは、特撮文化の中でも発掘や保存といった活動が一番遅れてしまった会社だと思うんですよ。だから今回、こういう形でピープロ作品を未来に残そうという動きは大歓迎ですし、ぜひ皆さんにご協力いただきたいなと思います。
(聞き手・構成:馬場裕也)
特撮美術監督 三池敏夫 プロフィール
1961年熊本県出身。1984年九州大学工学部卒業後、矢島信男特撮監督に師事。東映テレビヒーローシリーズに参加した後1989年フリーとなり、東宝のゴジラシリーズ、大映のガメラシリーズ、円谷プロのウルトラマンシリーズなどに特撮美術として参加する。2008年再び特撮研究所に所属。代表作は『超人機メタルダー』(1987)、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003)、『男たちの大和』(2005)、『日本沈没』(2006)、『ウルトラマンサーガ』(2012)、『巨神兵東京に現わる』(2012)、『のぼうの城』(2012)、『シン・ゴジラ』(2016)、『Fukushima50』(2020)、『シン・ウルトラマン』(2022) など。
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