皆様、ご支援有難うございます。(写真はリターンの図録)
本日、8月27日は初代廣岡久右衛門冨政の344回忌です。
以下、大阪くらしの今昔館(特別展図録)「商都大坂の豪商・加島屋 あきない町家くらし」から引用します。
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廣岡家は西本願寺の有力門徒で、北御堂の講中総代でした。
西本願寺の日記によると、初代の冨政はたびたび本願寺に参上し、
季節の礼や節句の祝儀の進物を贈っています。
本山から下賜された「方便法身像」(阿弥陀如来像)は、
本願寺良如(1630~1662門主)が冨政(法名教西)に与えたものです。
(今回の修復対象の掛け軸のことです)
「廣岡氏系図」には冨政の妻、禄について「母は京西本願寺寂如様御腹揚徳院殿寂照様女也」としており、寂如とは兄妹であったと記しています。近年、禄(法名如意)が西本願寺の女官に宛てた書状も発見されました。
冨政が延宝八年(1680年)に没したおりには、二代の正吉が本願寺に銀子二十貫目、金子100両を献上し、寂如が小広間で対面し返礼しています。更に元禄十五年(1702)の禄の三回忌には、寂如自身が読経しており、深い関係がうかがえます。
廣岡家は江戸時代を通じて本願寺と強い絆で結ばれ、宝暦元年(1751)には西本願寺の学林(僧侶の教育機関)の講堂修復を支援し、天明八年(1788)の大火でも学林の再建に尽力しました。本願寺門主の和歌懐紙や書画が数多く残されているのはその表れと言えます。
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8/11の活動報告でもお知らせしましたが、
皆様のおかげで、本願寺良如(1630~1662門主)が冨政(法名教西)に与えた
「方便法身像」(阿弥陀如来像)を修復に出すことが出来ました(感謝!)
又、予算オーバーですが、
もう1幅の「方便法身像」(約230年前の本願寺 門主法如筆)も修復に出しました。
修復完成予定は、来年の4~7月の予定です。
修復については取材が入りそうです。
掲載されましたら、お知らせします。
引き続き、応援を宜しくお願い致します。
今日もご先祖様のお力添えを頂戴できますようにお願いします。
大阪の豪商・加島屋 第10代 廣岡久右衛門正直の孫
神戸中医学院(芦屋薬膳)代表 西野久子(旧姓:廣岡)