下町画廊 VOL VOLARE[ボルボラーレ]のプロデューサー写真家・高島史於の娘の舞です。
過去の家族のLINEや私の記憶を頼りに、このプロジェクトがどう進んでいったのか、残していきたいと思います。
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確か2022年9月くらいのこと、弟が床屋の2階の今後について話したいということで、姉と私の3人で会議が行われました。
1階の工房のDIYもだいたい終わり、自分のビジネスも少し新体制で動きが出てきたころでした。
弟としては、2階をこのまま物置き(一応父の作品がありますが、、、)状態でずっとお金を垂れ流しにしているんだったら、ギャラリーにして、人の流れができた方が、何か面白い化学反応が起こって、自分のビジネスにもいい影響がでるのではないかと思い始めたみたいでした。
ただ、2階のDIYとなると、金銭面でも体力的にも厳しいから、姉二人に手伝って欲しいということでした。
父のギャラリーなので、弟一人に負担をかけるわけにはいかないので、なんとなく「じゃあ、みんなで協力してやっていこうか!」という流れになってきました。
そして、いろいろ話していく中で、、、
「俺、なんか、嫌な予感してて、ピーパー(弟は父のことをピーパーと呼びます)は、このままぽっくり逝きそうな気がするんだよね。だから、最後の親孝行のつもりでギャラリーを実現させてあげたいんだよね」
と、真剣な表情で話し始めました。
そんな話を聞いて、感動して、涙する、姉二人、、、、、、、
とはならず、、、
「へ~~~~~~~~(そんなこと思ってたんだ~、でも、史於はまだ死なないから大丈夫だよ。ま、死んでも幸せだったから大丈夫だよ)」
と、思った薄情な姉でした。
姉はどう思ったかわかりませんが、姉も「へ~~~~~~~~」と言っていたので、同じことを思っていたと思います。
そんなこんなで、この会議で一気にギャラリーが現実味を帯びてきたのでした。