「努力」という種、「tsunagari」という花
自己紹介
南東北第二病院の理学療法士の齋藤頼亮(サイトウヨシアキ)と申します。
現在は主に回復期リ ハビリテーション病棟で働いています。
理学療法士13年目、急性期・外来・訪問リハビリを経験し、現在は主に回復期リハビリテーション病棟で働いています。
一般社団法人tsunagariとの出会い ..
彼が病気を患った14歳の時、私は3年目でした。
当時、月に1度グループ内のリハビリスタッフが集 まる場があり、1月の集まりの時に急性期で担当していたOTさんから、「今度14歳が行くから」と 伝えられました。
1月だったこともあり、勝手に「中2か...すぐに修学旅行とかあるなぁ...」と思っていました。 しかし回復期に転院して来てから「あれ?15歳?!中3?!中学校の卒業式と高校の入学式あ るじゃん!」と、驚いたのを覚えています。どうやら入院中に誕生日を迎えたようでした。
彼は私よりも身長が高く、体格もよかったことに加え、体の麻痺も重度。歩行練習では長下肢装具(股関節から足先までの下肢各部位に装着する装具)を使用していました。転院して1週間ほどは介助量が多く、私の腕がちぎれるのでは ないかと思う時もありましたね。
少しずつ介助量も減り、長い装具と杖を使って歩くことが可能となりました。当時の彼を考えると、なかなか難しいことだと思います。
リハビリ を行う中で危険場面はそれほど無かったので、彼に「1人で歩きたい?」と聞きました。
嬉しそうな 顔で「うん」と即答でした。
そこで「長下肢装具と一本杖で歩行自立」と。
次の日、彼は「昨日自主練で2万歩、歩いたら足の裏にマメができた」と。正直、「ありゃー」 とは思いましたね。少し歩く量を減らし、毎日のように歩く自主トレを行っていました。
中学校の卒業式で、体育館に入るには階段を登ることが必要でした。その時はお兄さんが手伝ってくれるとのことで、体育館を想定し、どう手助けすればいい のか一緒に練習しましたね。
彼は 卒業式で壇上にあがることはできなかったけれど、名前を呼ばれ立ち上がり、校長先生が壇上の下まで降りて来て、卒業証書を受け取ることができました。
高校は入学前に彼と一緒に学校へ環境を見に行き、装具着脱のための椅子や靴箱の調整だったり、階段の様子を確認したりしましたね。実際に、病院では毎日リハビリで1階から4階まで階段を登る練習を頑張っていた姿を覚えています。
入学式直前、彼から「入学式に行きたくない」との発言が聞かれました。しかし私はちょっと強い口 調で「行ってこい!」と言ったことがあります。まだ子供だった彼にとっては少し怖かったのかもしれません。
しかし、当日入学式を終えて病院に戻ってくると「階段は大丈夫だった。あのクラスなら行ってもいい かな」と前向きな発言が聞かれるようになりました。
リハリビリの途中で、私の異動が決まってしまったため、申し訳ない気持ちもありましたね。充実した日々を送っているようだと同期から教えてもらい安心しましたね。
今回のフェスを応援する理由
いわゆる「普通」の学校生活ではなかったと思います。しかし、家族や友達のサポートがあり、高校生活を送ることができたのだと思います。
その時だけではないと思いますが、「ヒト」と のつながりを誰よりも感じて感謝しているのが、松川力也くんだと思います。
その想いがいつもベースにある彼の活動は、つながりを創るだけでなく、強固なものにすることで地域社会に大い に貢献すると思います。
今回のフェスが盛り上がることを期待しています!!