一審判決に対する弁護団の見解
タトゥー裁判は、ひとつの職業の存続をかけた裁判です。
大阪地裁の判決は、この国からひとつの職業を葬り去るものでした。
この国で脈々と受け継がれてきた歴史や、それを生活の糧としている人々に対してなんの配慮もない、納得できる理由もない、判決でした。
タトゥー裁判の争点は、タトゥーを彫る行為が、医師法17条の「医業」にあたるか否か、です。
一審判決は、タトゥーを彫る行為は、「医業」にあたると判断しました。
しかし、「医」というのは「病気やけがを治すこと」です。
弁護団は、「医業」というには、少なくともこのような「医」の領域に関連する行為でなければならないという主張をしています。これは「医業」という言葉からして、当然ではないでしょうか。
私たちは、刑罰を定めた法律があることによって、「それをしたら罰を受ける」=「それをしてはならない」ことを理解し、それをしない限りは自由でいられることになります。
つまり、刑罰を受ける行為を法律によって明確にすることで、私たちは自分の「自由」を理解することができます(これを「罪刑法定主義」といいます)。
一審判決のように、法律の言葉から読み取ることのできる本来の意味からかけ離れた解釈を許すとどうなるでしょう。ずっと「自由」だと思っていたことが、突然、違法とされ、犯罪者とされてしまうのです。
わが国の長い司法の歴史において、「医療」とはまったく関係のない行為が「医業」にあたるのかどうかが争われるのは、今回が初めてです。
なぜこれまで、争われたことがなかったのでしょうか?
それは、「医療と関係のない行為は『医業』ではない」と当然に考えられてきたからにちがいありません。
彫り師という職業は、江戸時代より前から続いてきました。
これまで、医師免許が必要だとされたことはありませんでした。
ところが、新しい法律が制定されたわけでもないのに、突然、法律の解釈だけで、「医師免許が必要だ」というのは、あまりにも横暴です。
彫り師にとって、タトゥーを彫る行為は、「職業の自由」、「表現の自由」として、憲法上保障される権利でもあります。タトゥーを彫る行為が、国民の生命と健康のために一定の制限を受けるとしても、それは、「職業の自由」や「表現の自由」に対する必要最小限の制限でなくてはなりません。
ニューヨーク州では、タトゥーを施術する行為は「許可制」、イギリスやカリフォルニア州では「登録制」、ドイツやフランスでは「届出制」となっています。海外の主要な国々では、タトゥーを施術する行為に医師免許を要求するところはありません。
医師免許まで要求しなくても、「国民の生命と健康」を守る方法はあります。タトゥーを彫る行為に医師免許を求めることは、彫り師に保障される憲法上の権利を侵害することになるのです。
しかし、一審判決には、社会に根づき、憲法で保障された「職業」と「表現」に対する熟慮を、一切見ることができません。
この不当な判決に、屈するわけにはいきません。私たちは、正しい法解釈を求め、これからも闘い続けます。
多くの方々からご支援をいただき、本当にありがとうございます。どうかこれからもタトゥー裁判の経過に注目してください。