本プロジェクトはAll-in方式を採用し、プロジェクトは実行されるので、プロジェクト期間中に支援者リストが入手できることがわかりました。私の勘違いでした。今、ご支援くださったみなさまの顔を思い浮かべながら、この場を借りてあらためてお礼申し上げたいと思います。
ところで、クラウドファンディングを実行してみて、多くの気づきがありました。その一つは、面と向かって「お金ください」とはいえないのに、クラウドファンディングだとできてしまうということです。心理的障壁を軽々とクリアしてしまうこのメカニズムは何なのでしょう。現在ご支援くださった12名の方にお会いして、「お金ください」とは口が裂けてもいえません。不思議です。
「クラウドファンディング」といえば、何となく良くて、「物乞い」といえばネガティブです。もちろん、リターンがあるので同等に扱えませんが、これも論文のテーマになると思いました。心理学でも法学でも、経済学でも、どの切り口でも一定のボリュームの論稿が書けそうです。宗教学でもありです。「托鉢とクラウドファンディングの比較研究」なんかどうでしょう。
また、株式で資金調達することともかなり違うように思います。特に上場会社の資金調達との違いは、支援者の顔が見えるということでしょうか。株式投資型クラウドファンディングというのもあるようですが、寄付型あるいは購入型のクラウドファンディングとは相当性質が違うようです。金融商品取引法の第一人者の講義を受け、その先生の基本書も通読し、投資ファンドに関する論文も書きましたが、このクラウドファンディングの機能はほとんど理解できていないことを白状しなければなりません。
ただ一点いえることは、株式上場で資金調達をして、横領したとか、上場しても一向に利益が出ないという事例があることに比べて、クラウドファンディングの場合は、その資金を持って国外逃亡するようなリスクは限りなく低いのではないかということです。このように顔の見える支援者がいる限り、なかなか裏切れない。理論上は、不特定多数の支援者が想定される制度ですが、見知らぬ人が支援者になる可能性はとても低いようです。さらにリターンも過度なものではないし、無形のサービスの部分もあるので、時間をかけてお返ししていくことができるのもメリットだと気づきました。
ということで、クラウドファンディングは、オーナーにも支援者にも過度な負荷をかけない、持続可能な次世代のファイナンスなのかもしれません。他人のお金と善意を調達し、無形のリターンで返していく。さらに非常に強い絆もできるのであれば、クラウドファンディングを実行した価値はあったといえます。本当にありがとうございます!