2022年夏にお母さんさがしを始めてからおよそ一年半、先月『母をさがす ー GIベビー、ベルさんの戦後』が刊行され、充足感に包まれて久方振りにまったりしたのも束の間、さっそくベルさんから「お兄さんに連絡してみたい」と電話がありました。本を読んでくださった方はご承知と思いますが、「お兄さん」とは、一昨年まで名前も知らなかったお父さんの息子、ベルさんの母違いの兄のことです。「えっちゃん忙しいんでしょ? 時間があるときでいいから。ゆっくりでいいからね」わたしを気遣ってそう言ってくれるベルさんですが、きっと本を読んであらためて「次の夢」に向かいたくなったんだろうな、と思うと、腰を上げないわけにはいきません。弟ジニヤさんと妹たちにアプローチしたときと同様に、まずはお兄さん宛の手紙の文面を考え、ベルさんに読んでもらいました。「すごく良く書けてる。これでいい」許可が出たので、ベルさんにはそれを手書きの手紙にするようお願いしました。一方で、わたしはその手紙の英訳と、別に簡単な事情を書いた英文の手紙を書きました。スマホからベルさんの写真を2枚選び(バストショットと全身写っているもの)、コンビニでプリントもしておきました。3月13日、それぞれが用意したものを一つの封筒に入れ、宛名書きをして、祈りながら封をしました。フロリダに住むベルさんのお兄さんへ、無事に届きますように。 * * *返礼品のひとつである「出版記念イベント」の準備も進めています。進捗はまた、こちらの「活動報告」でお知らせいたします。
孤児 の付いた活動報告
このプロジェクトの目的を果たすために、9月26日〜10月1日まで、ベルさんとともにアメリカに行ってまいりました。行き先は、ベルさんのお母さんが長年暮らして亡くなった地、ノースカロライナ州です。今ここには、ベルさんの異父妹たち二人と、彼女らの家族が暮らしています。***出発当日、いきなり羽田空港〜ワシントン・ダレス空港の便が2時間も遅延するというハプニングに見舞われ、目的地のローリー・ダーラム空港に夕方着くはずが、深夜着となってしまいました。それでも空港には、ベルさんの異父妹の一人Jさんが、約束どおり車で迎えに来てくださっていました。彼女は今年リタイアし、カリフォルニアから故郷に帰ってきたばかりです。出口を出て、Jさんを見つけるため、わたしが彼女からのメッセージを読もうとスマホを覗いていたとき、前方でわっと声がしました。顔を上げると、ベルさんとJさんが抱き合っていました。***翌日の午後、ホテルにJさんが迎えに来てくれて、ベルさんの第一の目的である、お母さんのお墓参りへ連れて行ってくれました。Jさんの父親は軍人だったので、夫婦はともに退役軍人墓地に眠っています。広大な墓地に着くと、緑の芝生の中に整然と並んだ墓石の間を、ちょうど同じくらいの背丈のJさんとベルさんは、自然と手を繋いで歩いていました。そのあと、わたしたちにはビッグ・サプライズが待っていました。なんと明日、ベルさんがお母さんとともに探していた弟「ジニヤ」さんが、メリーランド州から車を5時間運転して、姉と妹たちに会いに来るというのです。昨年と今年、2度手紙を出しても返事をくれなかったので、「これは、"放っておいてくれ" のサインだね」と、諦めていた人でした。>>『GIベビー、ベルさんの物語』一部無料公開はこちら彼が会いにきてくれることになった経緯は、ご支援の返礼品『アメリカ取材の報告手記配信』にもう少し詳しく書きますので、該当者のご支援者さまは、どうぞお楽しみに(近日配信します)。もちろん、本にも書きますので、ぜひお買い求めくださいませ。 >> ご予約はこちらからこうしてアメリカ滞在三日目、ベルさんは、養子に出されていた弟、Jさんとその妹Rさん、きょうだい全員との対面を果たすことができたのです。街一番というステーキハウスでのひとときは、紛れもなく家族の集まりでした。わたしはたった一人”他人”で、少し寂しさを覚えたほどです。彼らが「家族」をとても大事にしていることが、ひしひしと伝わってきました。そしてベルさんは、家族の一員としてそこにいました。「信じられない」喜びと感動で胸いっぱいになりながら、心の中で何度そう言ったかわかりません。あらためまして、クラウドファンディングでご支援くださった方たち、励ましの声をかけてくださった方たちに、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。