7年前、僕は地元や地域の活性化をしたいという想いから、家族の影響もあって、地元で公務員になりました。
最初に入ったのは、学童保育室の管理、運営をする部署。
入った当時は、待機児童が多く出てしまっていた年で、入庁して2日目からは、毎日のように子どもを預けられずにいる親御さんのクレームがある、というような職場でした。
子どもを家に置いたまま、仕事にいけないという訴えは、至極真っ当なことだと思います。
それに対して、自分たちができた回答が
「空きができ次第、ご案内いたしますので、お待ちくださいますようお願いいたします。」
というお決まりのようなもの。
当然親御さんは納得してくれず、何時間も電話や窓口で対応する日々でした。
自分自身もなんの解決にもなっていない回答しかできないことに、歯痒さをずっと感じていました。
とはいえ、保育については、ただ保育所を増やせば解決するという問題でもありませんでした。
増設にも予算が必要ですが、何より大事なことが人。
預かってくれる場所に加えて、専門の人がいないと成り立ちません。
学童保育業界は賃金もあまり高くなく、ライフステージの変化とともに退職してしまう人も多く、人事や採用についても深く悩みました。
このまま、専門の人に預ける、という町の状態では、いずれ崩壊し、働けない人が溢れてしまうのではないか。
そう感じて、2年目の頃より、シェア(共有)して支えていくという考え方と地域のあり方について、個人的に外にでて勉強するようになりました。
新人職員なりに、子どもたちを町全体に見守って、親御さんが働けるようなまちづくりが必要だと思っていたんです。
その考え方になってからは、自分が地元にそういう場所を作らなければいけない!
という使命感に駆られていました。
そういう考えに至ってからは、まちづくりのセミナーやワークショップ、シェアリングエコノミーのイベントに頻繁に参加しました。
2018年に隣町の川越でゲストハウスを作るワークショップがあると聞いて、自分の参加していました。
そのワークショップでは町の人、遠くから来た人など、色んな人が混じりながら、アイデアを持って、ゲストハウス作りに取り組まれていました。
みんながワクワクした気持ちと、自分たちのできることを持ち寄って、場所が作られていっていたんです。
大人から子どもまで、世代も職業も性別も関係なしに、自分たちの協力して場所を作っていくあり方。そして作られた後も、色んな方がワークショップに使ったり、一日カフェやバーをしたり、お子さんをみてもらったり、輪が広がっていく様子。
当時とてもその場づくりに惹かれたことをよく覚えています。
自分もこういう場が作れるようになりたい。みんながお互いに支え合って、困った時に助け合えるコミュニティのような場所を。
あれから5年経ち、立場も変わりましたが、今も変わらずその気持ちは持ち続けています。
洋野町での空き家改修についても、そういった場を作れるようになりたいと思っています。
引き続きどうぞ、よろしくお願いいたします。