
【辞めると言ってからの1ヶ月】
辞めると伝えてからの1ヶ月は、僕にとって“雑用の1ヶ月”でした。
それまで店の中をぐるぐる回っていたポジションから外され、僕はもうキッチンには入らせてもらえなくなりました。
任されたのはサービス、雑用、洗い物だけ。
料理人としてこの店に来たはずなのに包丁を持つことはありませんでした。
さらに、シェフは僕と直接話そうとしませんでした。
サービス中に何かあると僕ではなく先輩に向かって言います。
「あいつ、なんであんなことやってるんだ。言えよ」
先輩が間に入り、「それ違うからこうして」と伝えてくる。
僕には“伝言”しか届かない。
ただしミスをしたときだけは別でした。
そのときだけシェフは直接、怒鳴ってきました。
話さない。でも、怒るときだけ話す。
毎日、朝が来るのが嫌でした。
人として接してもらえていない、そう感じる1ヶ月でした。
殴られるより怒鳴られるより「いないもの」のように扱われることの方が、ずっときつい。
この1ヶ月で僕は、料理のことよりも「人が壊れていく環境」というものを知りました。

なんだかんだ言いながら、その日が最終日になりました。
仕事が終わったあと、シェフが「ご飯に行こう」と言いました。
考えてみると、二人で食事をするのは、これが初めてでした。オーナーシェフという立場もあり、今まで詳しい話をする機会は、意外と一度もなかったと思います。
その食事の席で、シェフは初めて、自分の過去の話をしました。
フレンチではない場所での修行が長かったこと。昔は寿司の修行をしていたこと。店を出すとき、「金を貸す」と言っていた前のオーナーが、結局は貸してくれなかったこと。
本当は寿司職人としてアメリカに行くつもりだったけれど、子どもができて、その道を諦めたこと。
店をオープンした当初、周りには何もなく、お客さんが全然来なくて苦しかったこと。少しずつ軌道に乗ってから、大家さんに頼んで2階を借りられるようになったこと。
今のこのビストロになるまでの話を、その夜、初めて詳しく聞きました。
辞めると言ってから一ヶ月。なんだかんだ言いながら、その日が最終日になりました。
仕事が終わったあと、シェフが「ご飯に行こう」と言いました。
考えてみると、二人で食事をするのは、これが初めてでした。オーナーシェフという立場もあり、今まで詳しい話をする機会は、意外と一度もなかったと思います。
その食事の席で、シェフは初めて、自分の過去の話をしました。
フレンチではない場所での修行が長かったこと。昔は寿司の修行をしていたこと。店を出すとき、「金を貸す」と言っていた前のオーナーが、結局は貸してくれなかったこと。
本当は寿司職人としてアメリカに行くつもりだったけれど、子どもができて、その道を諦めたこと。
店をオープンした当初、周りには何もなく、お客さんが全然来なくて苦しかったこと。少しずつ軌道に乗ってから、大家さんに頼んで2階を借りられるようになったこと。
今のこのビストロになるまでの話を、その夜、初めて詳しく聞きました。

「2年弱で、料理の希望と現実を全部見た」
その店を辞めたあと振り返って思ったのは「2年弱と短い期間だったけれど、異常なほど濃縮された時間だったな」ということでした。
それまでやったことのなかった仕事をほとんどすべて経験しました。
サービス。洗い物。焼き場。仕込み。
レストランが、料理人だけで成り立っているわけではないこと。一皿が出るまでに、どれだけ多くの役割が重なっているかを知りました。
同時に、「すべてを数字にすれば回る」という考えが、通用しない世界があることも知りました。
食材の状態。人の感覚。店の空気。毎日変わるものは、数字だけでは判断できませんでした。
それでも、毎日お客さんが喜んで食べている姿を見て、「なぜ自分は料理をするのか」その原動力を、改めて理解できた時間でもありました。
一方で、きれいごとだけでは済まない現実も、はっきり見えました。
レストランとして、従業員に十分な給料を払えないこと。休みが取れないこと。朝から深夜まで続く労働時間。
貯金が減っていく不安。職人の世界で当たり前のように存在する暴力。殴られたり、怒鳴られたりする指導。
この世界の、怖さと重さも、強く感じました。
あの2年弱は、料理人としての希望も、この仕事の現実も、同時に突きつけられた時間だったと思います。
続く…
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