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今回は私が障害者雇用の時代にどんな転機があったのか、まとめました。
家と職場を往復して、繰り返し作業に従事した、あの8年間。
体調が悪く、苦しい経験が何度も脳内を回る中
「このままの生活でいいのだろうか?」と疑問を持ち、外に出ようとしていました。
2007年から2014年まで、ご覧ください。
★自分史(障害者雇用)★
2007年04月 特例子会社で正式に働き始める
2008年07月 英会話・スポーツジム・料理教室・ボイストレーニングを相次いでスタート
仕事とは異なる、右脳を使った創造的な活動ばかりでした。
(習い事での苦労話はまた別の機会に)
2008年12月 銀座のカウンセリングルームで「アスペルガーじゃないの?」と初めて言われる
2009年03月 右目を二重まぶたにする手術
それまでは左右で目の大きさが異なっていた。これは自分に自信を持てない要因。
2009年07月 発達障害で定評があるらしい診療所に行く
ところが3分で診療終了。所内には重度の障害者が多数いたのが印象的。
2010年02月 銀座のカウンセリングルームに行くのをやめる
担当していた女性のカウンセラーと合わないと感じたため。
2010年09月 当時は錦糸町にあったカウンセリングルームに通い出す
10分だけ近況を尋ねて、後の50分は難しい話を聞かされるだけ
何を言われたか記憶にないが、終了後は頭がスッキリしていた。
2011年03月 「薬を飲んでいたら自己治癒力が働かないのでは?」
自分の意思で薬を飲むのをやめる。
2011年08月 カウンセラーから宗教勧誘される(宗教勧誘事件)
しかし、これは「もう相談に来なくて良い」という合図だと気がつく。
2011年09月 朝会への参加を始める
自分の発表で頭が真っ白になったり、対人トラブルを起こしたり・・・
2011年10月 障害基礎年金が打ち切られる
その後、収入減のため、習い事は全てやめることになる。
2012年06月 社長「減った分の収入は補填できないから、就職活動していいよ」
午前中は仕事をして、午後からハローワークに行く生活が始まる
2012年10月 都内のジャズライブにて。隣に座っていた人から新しいつながり
作曲家・音楽プロデューサー「設楽幸嗣氏」と出会う
定期レッスンを受ける余裕はなかったが、歌と演奏を聴くだけで、新しい学びを得る
2013年06月 一般雇用にも障害者雇用にも相手にされない
一般雇用「スキルが足りない」 障害者雇用「こんな元気な人はいらない」
2013年07月 午前中は仕事、午後からハローワーク、夜は・・・
日雇いの事務所移転で働いて、目をまわす
2013年09月 職場内の生活相談員との対立が増える。
職場の抱える問題がいくつか見えてくる
2014年03月 仕事が決まらないまま退職
2014年11月 一般雇用の派遣の事務を始める
★ここまで★
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