
今回は奈良県のイチゴについて、お話をさせていただきます。 イチゴといえば、どこの都道府県を思い付くでしょうか? 「イチゴは、平和と経済繁栄のシンボル」といわれ、戦後の高度経済成長により生活水準の向上と食生活の変化によりイチゴに対する需要が増えました。イチゴの果実、果皮はやわらかく長距離・大量輸送に適しなかったため都市部の大阪や兵庫などで多く栽培生産されましたが、都市部が工業化・都市化するにつれて栽培、生産が衰退し、代わりに近郊の奈良県が産地としての役割を果たすようになってきました。 そのため1962年から1980年までの18年間は、奈良県は全国第3位の座を占める大産地でした。 現奈良県農業研究開発センターにおいて1962年に、1957年兵庫県で育成された「宝交早生」が導入され様々な栽培方法の改良を加えつつ広く県内で栽培されるようになりました。その後1973年、オイルショックによりイチゴの販売価格が伸び悩み、また育成技術の他府県への流出による全国的な普及により産地間競争が激化していきました。 さらに「宝交早生」は品質面から長距離輸送・大量輸送に適しないため、「女峰」「とのよか」が導入され市場価値の高い「とよのか」に置き換わっていきました。しかし、「とよのか」は、うどんこ病などの病気に弱く、その対策のために生産者は多大な労力、費用が必要となり、イチゴ栽培を放棄する生産者が急増しました。 私の実家はイチゴを栽培していましたが、確かにわたしが子どもの時、父が「今年は病気でイチゴが全然ダメになった」と、嘆いていた時があったのを思い出します。 そして、この時期を境にさらに、奈良県内では土地利用の変化でイチゴ栽培の土地が減少し、土地の宅地化や工業用地への転用など、他の目的で土地が利用されることによって、1972年をピークに年々イチゴの栽培面積が減少していきました。 奈良県におけるイチゴの栽培面積の推移 またイチゴ栽培に関わらず農業は、体力的な労働や専門知識が必要とされ、農家の高齢化や後継者不足が進んでいることも、イチゴの栽培減少の要因となっていると思われます。 さらに、気候変動による異常気象や天候の変化も、イチゴの栽培に適していた奈良県での生産量減少の要因として考えられます。 しかし、2000年に「アスカルビー」がイチゴ生産者の努力により栽培が広まり、2011年には「古都華」が育成され、他の品種より糖度が高く、独特の風味(香り・味わい)を持つため、直売や契約栽培などによる出荷によって高価格で取り引きされるようになってきました。 今では、「古都華」は高級イチゴのブランド品として直売所だけでなくインターネット販売など、生産者独自の販売努力により、全国に広まりつつあります。さらに現在では新しい品種「奈乃華」「ならあかり」などが育成されています。 イチゴ「古都華」 このように、奈良県でのイチゴ栽培は歴史が古く、日本でのイチゴ栽培にも大きく貢献してきた地域です。 今では、奈良県内でもイチゴを素材とした多くの商品を見かけます。しかしそれらの多くは、料理やスィーツ、お菓子などの食品用途です。 もちろん、イチゴは食品としての価値は大変大きいです。 しかし、わたしは違う形でのイチゴの魅力を全国、及び世界中に広めたいと思っています。参考資料1)奈良県公式ホームページ2)作物研究 62:2017 p.51-55「奈良県農業研究開発センターの120年の歴史と現在」3)奈良県農業研究開発センター研究報告(54):2023.3 p.73-84「イチゴの市場動向と奈良県におけるイチゴ経営での新規参入者の現状について」