クラファン メイン記事本文についかしたいのですが、
まだ間に合わないのでこちらに
構成は
・引きこもり時代の話
・自身の引きこもり脱出の話
・有名な父親の跡を継ぐという重さ
・ゲーム内 富豪ランキングNo.1獲得について
元ネットゲーマーの引きこもりと経歴を言いますが、以外にガチの引きこもりだったと認識されないようで、色んな人と話すのが好きな、人生終わった、諦めた系の引きこもりでした。
引きこもりからの脱出というのは、当時の心境も覚えていますがとても難しく思います。 自分自身の場合、同じITに関する仕事やシステム管理者など同様の職業は選べないなと思っていましたし、もう一度社会で働くことができる自信なかったり。今は克服していますが、メールを見る事や電話に出るのが怖くなってしまった時期がありました。
都内で一人暮らしで、ネットゲームをしている時も、仕事から帰ってきたであろう時間帯にログインして、ネットゲーム仲間に対して仕事をしてる風を装ってみたり、このままではいけないなと思う事も数々ありましたが、再就職で空白期間何していましたか?と聞かれるのが想像されることで、それ以上考える事をやめていました。
今思うと、そのように重くなる前に手をうたないといけないのかもしれないし、そういう状況になった場合は尚更、小さな一歩、軽い一歩でないと、とても重くなった心は動かせないのかもしれません。ゲームでいう、最初はレベルの低いクエストからはじまり、自身が段々成長して、面白くなっていくような、そういう経過を経て脱出できるのかなと。
経験側として、本人側の気持ちも分かりますし、親側としてもどうしたら良いか分からず辛いものですよね。親に今のままではダメでしょ、仕事しなさいと言われても、どうしても本人は反発しますし、そのままでいけないのは本人も良く分かってる事でもありますし、心を癒す期間も必要だったりします。時間をかけてゆっくりきっかけの種を撒いていく必要もあるのかもしれませんね。
さて、私自身の引きこもりからの脱出の経緯は、れんこん業界で育種家として有名な父親が亡くなったことが、引きこもり脱出のトリガーでした。一度ひきこもり時代に都内の部屋に父親が来たことがありまして、扉のチェーン越しで部屋には入れなかったですが、れんこんを教えてやろうか?と言われましたが『結構です』と返したのを今でも覚えています。
ここで父親に教わっていたら、今の金坂蓮魂は無かったでしょう。『俺は他の人より理解力があるぞ』と昔、父親に言われた記憶がありますが、たぶん父親でも今の自分の栽培技術については理解は出来なかったでしょうし、短期間で直接販売の経営システムを構築もできなかったかと思います。
話は戻りまして、父親が亡くなってから父親の事をとても意識するようになりました。生前は親とはあまり話はしないので(男親とはあまり話をしないのが一般的かもしれません)、嫌いなのかなとか思っていましたし、高校以降は勉強するのも、もういいかと辞めてて、勉強する気もないので高校卒業しても2浪してました。
見かねた父親が新聞の専門学校の募集記事一覧を持ってきて『好きなとこ行くか家から出てけ』と言われ、そこで目に留まったのが情報処理専門学校のゲームプログラミングゼミでした。専門学校はプログラミング専攻で情報処理科なので、基礎的なIT関係の勉強は一通りやり、マイクロソフト系のソフトウェアの使い方は基本やりますが、現在のチラシや画像データのデザインは専門分野ではなかったので、就農してからやりながら学んでいった事になります。そんな経緯で就職してから就農までは今までの流れになります。自分の人生はホントにゲームに関する事で繋がってます(笑
そんな流れを経て茨城で40~50日研修して、実家に戻って就農しましたが、実際に農業をやってみるとハードな辛さがあります。1か月仕事して、3か月休んで、また1か月仕事して半年休んでと、なぜ仕事を自分は頑張れないのだろう?と泣いた時期もありました。
自分がどうしたら頑張れるのか?やりたい事であれば続けられるのでは?という事で始めたのが栽培技術研究で、今に行き着くという事になります。研修先の人には、『そんな事一人前になってからやるんだよ!』と言われ、一般的には当然なのですが、その当時の自分のモチベーション作りには必要だったのと、それがなかったら今は無かったですね。
話は戻り、父親が亡くなってから就農決めるのに2か月ほど悩みづづけました。それは、父親はれんこん業界で有名なので『その次男の息子が継いだよ』、『やっぱり辞めたんだって』と言われるだろうと。
就農したられんこんを辞め親の顔に泥を塗る事は出来ないし、普通のれんこん農家で終わりたくないし、やっぱりあの父親の息子なんだと評価されたい。今はもう叶う事は無いですが、父親に認められたい。そんな気持ちがありました。そんな事もあり、就農当初は父親が出てくる同じ夢を8回近く見ている記憶があります。
最近は父親が夢に出てくることは無くなりました。育種を教えて欲しかった、自分の経営の支え強みが欲しかったのが、今は絶対的な自信がついたのが大きいのかもしれません。
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就農してから初めて気が付いたのですが、自分は農作業が大好きではないという事で、親の品種を残したい気持ちがあるけど、重労働の大変さに気持ちがついていかなかったのが就農当初です。今は自分のブランドを販売していきたいというモチベーションだったりします。
就農当初は、市場出荷という形だったのですが、モチベーションが上がらない理由が分からなく、後々分かったのは販売や商売が好きだということでした。実は改めて考えると、ネットゲームでも、武器や防具の装備強化素材をダンジョンのボスを倒して手に入れ、露店の他の人が販売してる商品が安ければ購入して価格を上げて販売するなど、市場価格調査をしていて、どんな商品が需要があるか、ということをやっていたので、ゲーム内 富豪ランキングNo.1を獲得していました。研究者かつ商人気質なのだと思います。