1月15日追記:おかげさまで1月14日に当初の目標だった80万円を達成できました。皆様のご支援に感謝申し上げます。このおプロジェクトは1月いっぱい続きます。そこでネクストゴールは思い切って120万円にすることにしました。
元々、今回のプロジェクトが終了後に、新たなプロジェクトを立ち上げてレストラン同様に移転を迫られているFHIのオフィス兼シェルターの移転費を募ろうと考えていました。これで20万シリング(今日のレートで約18万3000円)ほどかかります。
さらにすでにカナダに移住した難民のエドリンが、出国直前に遭った大火傷の治療費の残り8万シリング(約7万3000円)、難民申請を改めて行うために一度カクマ難民キャンプに戻ってもらった16人の交通費8万2000シリング(約7万5000円)などが必要です。
住むところと仕事が安定したら、今度は別途プロジェクトを立ち上げて、難民への健康診断、ワクチン接種、治療を地域医療に取り組む病院で行い、病院の施設を改善して、地域住民の健康にも資することを考えています。引き続き、皆様のご支援、ご関心のほど、よろしくお願い申し上げます。

【画像】エドリン。レストランで調理中に顔から胸にかけて大火傷を負って一時は命が危ぶまれるほどでしたが、手術を受けて入院治療中にカナダへの難民ビザが発行されて、退院と同時にウガンダ経由で出国しました。ケニアから直接出国しようとしたのですが、極めて多額の「出国税」を要求されたため、そのような流れとなりました。
自己紹介私たちFreedom House Initiative(FHI)は、アフリカのケニアの首都、ナイロビ郊外で、LGBTQIA+難民と共に暮らすシェルターと同時に、難民に食と職を与えるためのレストランを運営しています。このページを作成したのは、FHIの日本語での広報ならびにファンドレイシング担当の植田です。
活動実績
ケニアの隣国、ウガンダでは2014年、LGBTQIA+(性的マイノリティ)を最高で無期懲役刑に科す反同性愛法が成立しました。その後、最高裁で無効化されたものの、再度成立し、2023年5月末に施行されました。最高刑は死刑で、人権運動に関わった人や不動産を貸した人にも懲役刑を科し、通報義務もある法律です。多くの人が家から追い出され、職を失いました。法成立前から、モブ・ジャスティス(リンチ)、コレクティブ・レイプ(性的指向を「矯正する」という名目で行われるレイプ)、家族や知人、隣人による暴力、殺害、警察による恣意的な逮捕、拘禁など、命の危険を感じる状況でした。多くの人が、難民申請時に性的指向を問わない隣国ケニアへと逃れ、難民となりました。FHIの創設者、モーゼス・ムバジラもその一人です。
しかし、たどり着いたケニアのカクマ難民キャンプでも、LGBTQIA+は暴力の標的となります。モーゼスは、人命保護と生活改善を求めて、デモや世界の難民キャンプ史上初となるプライドパレードを行いました。その結果、2018年に数百人単位でのナイロビへの移住が認められました。ようやく安全な暮らしができると思いきや、しばらくすると住居支援、食料支援は打ち切られ、多くのLGBTQIA+難民が路上に投げ出されました。ホームレスとなり寒さ(ナイロビは海抜1800メートルの高地にあり、寒い季節の最低気温は10度以下まで下がります)と犯罪の恐怖に震えながら物乞いをして生き抜きました。そして、うち何人かがお金を集めてスラムに家を借りました。それがFHIのシェルターの始まりです。
モーゼスはBBCやCNNなどに出演し、LGBTQIA+難民の窮状を訴えつつ、様々な妨害に打ち勝ってシェルターの運営を続けます。そして2023年3月、ナイロビ郊外に小さなレストランをオープンさせました。働けないことで低下してしまった難民の自己肯定感を向上させ、給料を支払って未来の生活設計ができるようにサポートすると同時に、レストランのある地域で雇用を創出し、地元のケニアの人々を雇入れ、地域経済を豊かにすると同時に、LGBTQIA+に対する差別感情を和らげるのが目的です。
ケニア料理、ウガンダ料理を提供し、休日にはお茶代を払えばプレミアリーグをケーブルテレビで見られるようにしました。植田は2023年9月に初めて訪問しましたが、朝6時台からお客さんがひっきりなしにやって来て、非常に盛況でした。
【動画】イギリスのBBCが放送したケニアにいるLGBTQIA+難民についてのドキュメンタリー番組です。FHI創設者のモーゼス・ムバジラや他の難民のインタビュー、かつてのシェルター、カクマ難民キャンプの様子がご覧いただけます。(英語です)
解決したい社会課題
ところが、繁盛していたレストランに2023年11月末、とんでもない通告が下されました。副代表のジワ(安全上の理由から下の名前は非公開にします)がローカル・カウンシル・チーフ(町長に相当)から呼び出されこう告げられたのです。
「シェルターとレストランをすぐにでも畳んで出ていけ。さもなくば火を付けてやる。お前たちは悪魔だ」
当初はワイロを要求しているものかと思ったそうですが、話をしようにもチーフは全く聞く耳を持たずともかく出ていけの一点張り。結局、わずか数日でレストランは閉鎖。本当に火を付けられそうになり、家主から「頼むから出て言ってくれ」と懇願されたそうです。そして、シェルターも2024年1月までに引き払わなければなりません。当面は小さなマンションに分散して暮らすことになります。国際的な支援団体のHIAS、ORAMの指導のもとで行っていた農業、養鶏も中断せざるを得なくなりました。しかし、捨てる神あれば拾う神あり。隣町にあるレストランのオーナーが店舗を貸してくれることになったのです。居抜き物件であり、ナイロビの物価は決して安くないので、それなりの費用がかかります。

【画像】契約予定の新しい物件。元々レストランがあったところから2キロほど離れたところにあります。安全上の理由から詳細な位置は非公開ですが、お問い合わせいただければ再オープン後にメールでお知らせいたします。
この課題に向き合う背景
わたくし植田は、コロナ前に行われた東京レインボープライドのイベントで、ケニアのLGBTQIA+難民問題を知りました。それから何年か経った2022年12月、モーゼスから連絡が来ました。「資金繰りに困っている。たすけてもらえないか」というものでした。それまでは欧米諸国を対象にしたクラファンを行っていましたが、原因不明のアカウントBANを食らって運営資金が調達できなくなっていたのです。そこで私は、この問題がほとんど知られていない日本で広報とファンドレイシングに協力することになりました。
このプロジェクトで実現したいこと
ーLGBTQIA+難民と地元の人々の大切な職場であるレストランを再開させる
ー当面の運営資金を確保してレストランの財政状況を安定させることで、安全なシェルターにする物件を確保する
ー地元の人々のためにさらに雇用を創出する
ー地元の人々が持つLGBTQIA+への偏見の目を変える
ー地域経済、ひいてはケニア経済にも貢献する
リターンについて
ご協力いただいたすべての方を対象に、基本的な状況について、わたくし植田がナイロビからZoomでご報告いたします。
1回目は正月3が日を予定しておりますが、詳細については後日メールにて連絡します。また、クラウドファンディング終了、レストラン再オープンに合わせて約1ヶ月から1ヶ月半の間隔でZoom報告会を開催します。
スケジュール
2024年1月30日:クラウドファンディング終了
2024年2月10日:いただいた金額を現地に送金、賃貸契約締結(早期振込サービスを利用)
2024年3月1日:レストラン再オープン、各地に散らばっていた難民を段階的に呼び戻す
2024年3月15日:リターン発送
資金の使い道
権利金:45万シリング
当面の家賃(3万シリング×6ヶ月分):18万シリング
24時間営業許可証取得費:7万2000シリング
従業員の健康診断費と衛生検査費:5万シリング
コーヒーマシンレンタル費:6万シリング
ソフトドリンク用冷蔵庫レンタル費:3万シリング
引越代:2万シリング
合計:86万2000シリング(2023年12月13日現在のレートで82万300円)
最後に
レストランの再開がゴールではありません。FHIがアウトリーチできているだけで、ナイロビ首都圏には約50人のホームレス、またはスラムに住むLGBTQIA+難民がいます。また、カクマ難民キャンプには数百人の難民が苦しい中でも耐え忍んでいます。さらにはマラリア、HIV、B型肝炎などの病気で苦しむ人もいます。ホームレスになった人の間では結核が蔓延しています。
欧米諸国での難民申請を考える人もいますが、僕が話を聞いた限りでは、多くがアフリカで暮らし続け、いつかは祖国に戻りたいと考えています。差別やヘイトクライムで傷ついた心と体を休めて、生きる力を取り戻して欲しいです。また、地元経済のみならず、2030年の中進国入りを目指すケニア経済に貢献できることを望んでいます。どうか皆さんのご協力をお願い申し上げます。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
最新の活動報告
もっと見る「AKATALE」からのお願い:クラファン最終日のいま、最大の正念場です
2025/06/30 17:30こちらの活動報告は支援者限定の公開です。クラウドファンディング「潰されてしまったケニアに住むLGBTQIA難民が営むレストランを再開させたい!」にご支援くださった皆さまへ
2025/06/03 17:00クラウドファンディング「潰されてしまったケニアに住むLGBTQIA難民が営むレストランを再開させたい!」にご支援くださった皆さまへ。植田です。まず、活動報告がしばらく滞ってしまったことをお詫び申し上げます。突然ですが、現在CAMPFIREで2回目のクラウドファンディングに挑戦しています。期間は6月末まで、目標金額は370万円です。準備や周知が十分とは言えず、進捗は決して順調とはいえませんが、まずはぜひ一度ご覧いただければ幸いです。▶ ケニアのLGBT難民と雑貨ブランド「Akatale」を立ち上げたい!ナイロビ郊外のLGBT難民シェルターには、2024年6月現在で55人が身を寄せています。サポートを始めた当初は、仕事もなく閉塞感の中で過ごす方が多かったのですが、現在では就職したり、小さなお店を開いたりと、経済的自立に向かう人が増えています。これはひとえに、皆さまからのご支援のおかげです。改めて心より感謝申し上げます。しかしながら、シェルターの運営は厳しい状況が続いています。皆さまのご支援で再開したレストランは、ケニア政府の増税政策に反対するデモの混乱の中で略奪被害を受け、いまだ営業再開のめどが立っていません。シェルターを運営するNGO本部の家賃もたびたび遅れ、先月は数日間閉鎖され、中には野宿を余儀なくされた方もいました。こうした現状から、皆さまからのカンパのみに頼ることに限界を感じ、シェルターのスタッフと話し合い、雑貨ブランド「AKATALE(アカタレ)」を立ち上げることにしました。ウガンダの言葉で「市場」という意味です。コンゴ民主共和国出身のママギフトは、かつて現地で洋裁店を営んでいました。戦乱で国を追われケニアに避難しましたが、これまで洋裁の腕を生かす機会はほとんどありませんでした。現在は小さな工房で、アフリカの伝統布「キテンゲ」を使ったスカートやバッグ、巾着などの制作を始めています。ウガンダ出身のレズビアン難民ドラ(編み物)、エスター(アクセサリー)も仲間に加わっています。私は日本での販売を担当しています。雇用関係ではなく、制作と販売という役割を分担し、収益の極大化ではなく“つながり”を重視する「連帯型経済」の実践がAKATALEの目指すところです。ただし、3人の製作だけでは充分な収益を生むのは難しいため、現地の布問屋とのコネクションを持つドラに協力してもらい、アフリカの工芸品も買い付けて販売しています。あわせて私は日本国内の差別や社会問題に抗うメッセージTシャツも制作・販売しています。▶AKATALE ネットストア収益は、シェルターの運営費、難民の医療費、事業立ち上げに伴う負債返済に充てています。今後は、日本に住む難民、難民申請者、仮放免者とその家族への生活支援にも活用したいと考えています。ケニアの難民が作った製品が、遠く離れた日本の難民の支えになる。それは、支える側と支えられる側の固定的な関係を超える、新たな連帯のかたちです。彼らもこのプロジェクトに胸を躍らせています。いずれは、その逆の流れも生まれるかもしれません。さらに、バングラデシュでは、迫害を受け首都ダッカから地方に移住を余儀なくされたヒジュラ(第三の性)の方々からも、同様のモデルを活用した支援の相談を受けています。ですが、私個人の貯金でまかなうには限界があります。負債はすでに700万円を超えました。そこでこのたび、正式に「株式会社FHI(仮称)」を設立することにしました。ケニアのNGOと同名です。商品や材料の買い付け、完成品の輸送(郵送よりも直接運んだ方が安全かつ安価です)にかかる交通費を含め、継続的な支援体制を構築するため、今回あらためてクラウドファンディングに挑戦しています。6月3日現在、ご支援は115,000円。目標額370万円には程遠い状況です。この活動報告を通じ、再度のご支援を心よりお願い申し上げます。▶ CAMPFIRE|ケニアのLGBT難民と雑貨ブランド「Akatale」を立ち上げたい!また、6月8日(土)・9日(日)に開催される東京プライドでは、TGJPさんのブースの一角で出店いたします。5月にケニアから持ち帰った新作や、日本で制作したTシャツ・グッズも多数揃えてお待ちしております。場所は代々木公園、原宿駅から公園に入り渋谷方面へ進んだ売店近くの「ブルー1番」ブースです。ぜひお立ち寄りください。▶ ブース地図また、X(旧Twitter)のアカウントも立ち上げました。こちらで頻繁に活動報告を行っていますので合わせてご覧ください。▶AKATALE差別に抗う。着て抗う。 ケニアLGBT難民×日本の難民・移民と共に意思表示するブランド。 #WearToResistこの後も、9月14日のさっぽろレインボープライドを皮切りに、金沢・大阪・仙台などのプライドイベントや、東京で開催予定の難民・移民フェスへの出店を予定しています。改めて、皆さまのご支援を賜りますようお願い申し上げます。株式会社FHI(仮称)代表植田祐介 もっと見る
ブルンジから来た難民が住み込みの仕事を見つけてシェルターを去ったのですが…
2024/09/10 19:00フルゲンスは、1994年の大虐殺の起きたルワンダの南隣、ブルンジの出身の50歳。ルワンダと同じようにフツとツチが人口の大多数を占めていますが、双方の間では激しい対立が起きてきました。1993年に11万人が殺される大虐殺が起きたのですが、フルゲンスは家族を皆殺しにされ、元々やっていたビジネスも破壊されました。彼はその後、再び結婚して子どもを授かりますが、次に起きた内線でまた家族を皆殺しにされ、ウガンダへの難民キャンプへと逃れました。だが、そこで家族を皆殺しにした加害者とバッタリ出会い、半殺しにされてキャンプを追い立てられ、ケニアに逃れてきました。そして、今まで隠してきた自らの性的指向について向き合うようになったそうです。今は「ハズバンド」と呼ぶ20代の男性とともに暮らしています。私たちがナイロビを去った数日後、フルゲンスが就職できたとの知らせが届きました。住み込みでの仕事でした。フランス語やスワヒリ語はできても英語ができない彼が仕事が得られたのは正直言って意外でしたが、とても喜びました。彼は荷物をまとめてシェルターを去ったのですが、わずか2日後に戻ってきてしまいました。雇用主は彼のことをとても気に入っていたのですが、その妻は「難民は嫌」だと頑なに反対したため、働けなくなり結局戻ってきたのでした。「LGBT」であることを明らかにしなくとも、「難民」であることで差別を受ける事例は決して少なくありません。一方、ウガンダ出身のメディは、ナイロビ市内の理髪店の働き口を得ました。しかし、独立できるほど充分な収入が得られないため、引き続きシェルターで暮らして職場に通うことになります。 もっと見る






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