フルゲンスは、1994年の大虐殺の起きたルワンダの南隣、ブルンジの出身の50歳。ルワンダと同じようにフツとツチが人口の大多数を占めていますが、双方の間では激しい対立が起きてきました。
1993年に11万人が殺される大虐殺が起きたのですが、フルゲンスは家族を皆殺しにされ、元々やっていたビジネスも破壊されました。彼はその後、再び結婚して子どもを授かりますが、次に起きた内線でまた家族を皆殺しにされ、ウガンダへの難民キャンプへと逃れました。
だが、そこで家族を皆殺しにした加害者とバッタリ出会い、半殺しにされてキャンプを追い立てられ、ケニアに逃れてきました。そして、今まで隠してきた自らの性的指向について向き合うようになったそうです。今は「ハズバンド」と呼ぶ20代の男性とともに暮らしています。
私たちがナイロビを去った数日後、フルゲンスが就職できたとの知らせが届きました。住み込みでの仕事でした。フランス語やスワヒリ語はできても英語ができない彼が仕事が得られたのは正直言って意外でしたが、とても喜びました。
彼は荷物をまとめてシェルターを去ったのですが、わずか2日後に戻ってきてしまいました。雇用主は彼のことをとても気に入っていたのですが、その妻は「難民は嫌」だと頑なに反対したため、働けなくなり結局戻ってきたのでした。
「LGBT」であることを明らかにしなくとも、「難民」であることで差別を受ける事例は決して少なくありません。
一方、ウガンダ出身のメディは、ナイロビ市内の理髪店の働き口を得ました。しかし、独立できるほど充分な収入が得られないため、引き続きシェルターで暮らして職場に通うことになります。