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『歩んで舞る』〜僕らが滋賀まで歩く理由〜

『歩んで舞る』は、”ダンサーOBA(と連れの犠牲者)が、一本歯の下駄を履いて、鎌倉から滋賀へと17日間かけて歩いて向かい、到着地の東近江市の野々宮神社の舞台で、舞を奉納する”というプロジェクトです。わざわざ歩いて向かうそのワケは、、、、。この度、このチャレンジにご協力頂ける方を大募集いたします!

現在の支援総額

1,122,000

112%

目標金額は1,000,000円

支援者数

107

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/04/08に募集を開始し、 107人の支援により 1,122,000円の資金を集め、 2018/04/27に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,122,000

112%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数107

このプロジェクトは、2018/04/08に募集を開始し、 107人の支援により 1,122,000円の資金を集め、 2018/04/27に募集を終了しました

『歩んで舞る』は、”ダンサーOBA(と連れの犠牲者)が、一本歯の下駄を履いて、鎌倉から滋賀へと17日間かけて歩いて向かい、到着地の東近江市の野々宮神社の舞台で、舞を奉納する”というプロジェクトです。わざわざ歩いて向かうそのワケは、、、、。この度、このチャレンジにご協力頂ける方を大募集いたします!

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-野々宮神社社務所にて氏子総代との打ち合わせの様子- 去年2017年野々宮神社 宮司 中島伸男氏から奉納舞のご依頼を受け 今年2018年4月28日(土)黄昏れ時に【小畑 大左衛門舞作品三部作 奉納公演】が決定いたしました。 野々宮神社の長い歴史の中で、能や神楽、獅子舞などの伝統芸能以外での現代的な舞による奉納公演は前例が無いとのこと。 依頼を受けた身ではありつつも、野々宮神社を取り巻く人々すなわち氏子さん達の御理解を頂くことこれは避けて通れない道であると考えました。 上の写真は今年3月2日、野々宮神社社務所にて中島伸男宮司と氏子総代6名との打ち合わせの様子です。 前例が無い現代舞における内容や使う楽器などの説明をしました。 伝統的な舞踊家ではない、現代的な踊り手として神域である拝殿にて舞う内容は限りなく厳かな演出でそして、作品内容としても神社で舞うということの意味をもって僕が生まれ育った鎌倉市腰越の氏神龍口明神社の神話「弁財天と五頭龍」と野々宮神社の主神「大国主命」を題材とした [ 五頭龍舞•弁天舞•大国主舞 ] の三部作とすること。 諸々とご説明させていただき、氏子総代6名の方々とも舞台に向けた志を共有したひと時となりました。 そもそも何故、次なる舞台となる奉納舞公演に向けここまで熱意があるのか。 ダンサーとして生きてきた20年の中で、初の舞台となる神社 拝殿(舞殿)。 この初舞台に上がるまでのダンサーライフにこそ、その熱意の背景があると振り返ります。 僕は元々、バリバリのストリートダンサーでした。 二年前までWDCという世界大会で日本代表としてバトル出場をしていました。 ダンスを初めたのも路上から。地元の先輩に、地元の小学校校舎入り口のガラスに写るかすかな自分の姿を見ながら踊り始めました。 バトルダンサーとして20歳から10年ほど生きてきて 踊りに採点は付けれないでしょ という事実を痛感します。 よくよく考えれば当然なことで踊りはスポーツではなく、芸術です。 何回ターンしたら何点。このダンスしたら何点。 冷静に考えれば、踊りに採点など付けれるはずがありません。 バトルに関しても、どれだけ会場をロックしたかは問われる。ただ、基本的には審査員がいて審査基準は尽きるところ、審査員の感性なり価値観でしかない。 どう考えても会場ロックしてるのに、審査では負けるという体験は何度もしてきました。 そういう意味で、バトルというのはダンスの本質というよりかは限りなく『Just a Play』即ち遊びであるという結論に至りました。 ギャング同士の戦いに、銃の代わりにダンスを使用する必要性は日本にはあまり無いと思う。 それでもバトルをする背景には、尽きるとこ「Session」ではないだろうかと考えるのが僕らのストリートダンスチーム「Rhythmalism」の基本思考です。 このバトル文化に対して自分なりの結論に達し、5年前からより本質的な踊り即ち身体表現の世界へと身を投じることになります。 つゞく 一舞一生 - one step one life -小畑‘OBA’大左衛門 【 歩んで舞る。 】特設サイトhttp://otona.be/ayundemairu/


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こちらは、去年出雲から地元湘南へ帰って来た当時の写真です。 ともに写っているのは、短編映画「ヒノイリの風」のテーマミュージックを担当した地元湘南のパイセンでもある地球音楽士 宗田悠氏。 見てもらえれば分かるのですが、一本歯も大分けずれ眉毛も無くなりました。(眉毛は撮影の関係上ですが。。。) ともかく、鎌倉から出雲への旅が終わりました。   この後、僕は次なる舞台に向け修行に入ることになります。 その修行先は、伊豆稲取にある元旅館廃墟。 廃墟を「巨人」として見立て、バーベル片手に一本歯を履き 壁天井を壊しまくる。 「解体ダンサー」です。   事実、その廃墟は地元で有名なオバケ屋敷。 鎌倉長谷SeeSawというスタジオもそうだったのですが、 僕は何かと、オバケ屋敷と御縁があるそうで 伊豆のオバケ屋敷なる廃墟旅館も中々、凄まじかったです。   ただ当時、次なる舞台が「巨人」がメインテーマとなるため いかにして現代に「巨人」を感じ、そして「巨人」と具体的に戦えるのか。。。 鎌倉から出雲まで歩み鍛えた身体を具体的に活かし次なる舞台へと展開することの出来る修行先。 まさに、うってつけでした。   なにかに取り憑かれるように、ひたすら破壊行為を繰り返す日々を伊豆稲取で過ごしていた中。 とうとう、野々宮神社 中島伸男宮司(83歳)が再登場します。 かつて歩んでいる道中、電話越しで「我が野々宮神社の拝殿で、舞を奉納しませんか。」 というお話を受けて数ヶ月後。 なんと、中島宮司が伊豆まで来てくれたのでした。 (眉毛生えました) わざわざ滋賀から伊豆まで来た背景には、 直接しっかりと野々宮神社での奉納舞について正式にご依頼したい。とのこと。 熱い。 終戦を体験した男。 中島伸男 83歳(当時82歳) 目の奥行きの深さが、凄い。   今回、若い現代的な舞手に奉納舞を神社側から依頼することは異例だとのこと。 野々宮神社の長い歴史の中で、拝殿での奉納舞は能や神楽、獅子舞など。今日まで、現代的な踊りの奉納舞は前例が無いとのことでした。 前例が無いことを企画化する。 すなわち0から1の創造行為。 長い歴史を持つ場での新たな創造行為には大いなる勇氣が必要だと思います。 80歳を超えてもなお、挑戦しつづける姿に心から感銘を受けました。 中島宮司が僕に奉納舞の依頼をした背景には 「若い現代的な舞をする小畑OBA大左衛門の奉納舞公演を企画することにより、若い世代に神社をより身近に感じてほしい。」 かつて600人ほどいた氏子の数がココ数年で400人ほどにまで減少してしまったとのこと。 少子高齢化の影響もある中、それ以上に神社と若い世代の距離が遠くなっているからではないか。 この神社離れの現状を、今企画で少しでも解決していきたい。   さらに、 中島宮司(83歳)は、 野々宮神社の宮司として今回の小畑大左衛門 奉納舞公演 企画が、、、 「人生最後の仕事 - Life Last Work - 」 だと思っている。 とのこと。 。。。 大義すぎる。。。   この言葉を受けた私、小畑大左衛門は光栄なる想いと感謝を胸に潜めつつも ただただ、身体が震えた。 つゞく   一舞一生 - one step , one life - 小畑 ‘OBA’ 大左衛門


話は戻り、 2017年3月28日に鎌倉を出発し、 28日間の徒歩道中を経て 2017年4月24日に出雲大社へと到着。 翌日4月25日に短編映画「ヒノイリの風」クランクイン。 夕方に到着してから数時間後にはヘアメイクが入り 睡眠はほぼとらず撮影に挑みました。 身体は極限状態の疲労感に達するものの なぜか心は明快で、撮影本番に向けて意識が完全に集中していました。 撮影時の奇跡的な出来事等は、また改めて書かせていただくとして とにかく、撮影現場そのものが映画でした。 無事、二日間の撮影を終え28日間をかけて歩んだ道中を 帰りは普通にロケバスに乗り、帰路は9時間。 徒歩だと、鎌倉〜出雲 片道28日間。 車だと、出雲〜鎌倉 片道9時間。 この移動時間軸の差には、身体感覚が根本からグラグラしました。 車は、まるでタイムマシン。 本当にそう思いました。 かつては車も電車もなかった時代。 徒歩 - 人間の足を利用した自力な行為 その行為が、現代の移動手段では最も不効率であること。 たしかに車や電車は移動所用時間の圧倒的な効率化を生み出しました。 ただ、28日間に味わったドラマと 高速に乗っている9時間のドラマ。 どちらがドラマティックだったかと言われれば、どう考えても28日間のドラマだった。 効率化により得たものは計り知れない。その恩恵を僕も現代人として日々いただいている。 僕だって普段は電車も使うし、車も使う。 ただ、謎に現代人として世捨て人レベルな行為として30歳過ぎにもなる男が歩きだし実感した体感。 それは、現代における‘便利’や‘効率’などを追求したことにより 失った「何か」でした。 今日まで人間が追い求めてきたもの。 それは10人10色で、様々。 ただ現代の風潮として最近よく問われていること。 AI化による「人間の尊厳」 カフェでもロボットがコーヒーを持って来てくれる時代。 AI化により、人の職が奪われる時代。 まるで手塚治虫漫画のような時代が近づいてきている。 その時代の中、身体表現者として生きている自分。 つい最近ストリートダンス雑誌を作成するとのこと、インタビューを受けた際に インタビュアーに問われた問い。 『 「表現もAI化する。」という考えに対して、ダンサーとして何か一言。』 僕なりにだした答えは、 「ロボットダンスをロボットが踊っても、ヤバくはない。」 でした。 若者が言うヤバいという言葉の意味を深めると、「驚き」ということではないかと思います。 ヤバい = 驚き 表現において、「驚き」はどのような時に生じるのか。 ロボットダンスにおける驚きを解剖していくと 有機質な人体が無機質な動きをすると、ビックリする。 すなわち、有機質と無機質という対極的要素が共存し表現されたとき 人は驚きを感じるのではないかと思います。 これは滑るはずのないカカトが滑っている「ムーンウォーク」の視覚的な驚きと通じます。 あくまでロボットダンスは人間という有機的な生物が踊るからこそ、「驚き」すなわち「ヤバい」のだと思います。 そして、 人間の尊厳というのは案外手元に存在していると感じます。 その一つに、「無条件」な行為が上げられると思います。 子供が、絵を描くのも踊るのも その姿に「条件」は見当たりません。 もちろん、お母さんに喜んでもらいたいなど、そのような想いの背景はあるのかもしれません。 ただ、僕らは誰だって一度は子供だったから分かるように 「ただ、やりたいからやってる。」 という「無条件」な衝動を知っています。 藝術における本質は、「無条件」であると岡本太郎氏は言います。 無条件な心もち、すなわち初期衝動(わくわく) この初期衝動(わくわく)にこそ藝術すなわち文化の源流が流れているのではないでしょうか。 わくわくを感じる、この心こそ人間の尊厳ではないだろうか。 そして、その無条件なる初期衝動(わくわく)にこそ、人間こそがもつ「こころ」の素晴らしさがあるのではないだろうか。 そして、その「こころ」を体感する媒体として この我が「身体」が存在するのではないか。 誰しもが必ず一人一つずつ持つ「からだ」 この「からだ」は、ヒトが生涯もちつづける所有物。 所有物というと語弊があるかもしれないけれど、事実、生まれて死ぬまでの間に生涯付き合い続ける「からだ」 この「からだ」がもつ実感すなわち体感こそ 人間の尊厳に間違いないと思う。 スマホやパソコンなどは身体超えて頭脳の拡張媒体であると思います。 ネット社会における身体感覚の損失は、多大であることは間違いないと思われます。 ただ、そうであっても事実いまこうしてタイピングしている今も 我が指が存在して、我が指が動いて成している行為です。 いくらネット社会により身体感覚が失われようとも 「からだ」は存在し続けます。 僕は、そのコトを表現したい。 そのために身体表現 - 踊りを踊っているのかもしれないし、 人間の超基礎活動、身体表現の基礎 歩む 徒(いたずら)に歩むのかもしれません。 身体感覚を最も身近に即、再起させてくれるのは 人間活動として最も基礎的行動なる 「歩む」 ことなのではないだろうか。 そして、この「歩む」行為は 世界全人類共通身体活動ならび身体感覚。 誰しも必ず、歩み、生きる。 この最も基礎的行為であり最も身近に存在する誰しもがもつ共有身体感覚にこそ、普遍的な身体表現が存在するのかも。 前回の鎌倉から出雲までの徒歩は、先ず手前に自分自身が体感し体現することを求めた。 ただし今回の鎌倉から琵琶湖は前回の半分という距離も含め、改め「歩むことを表現」する必要性を感じている。 人が歩むことは、人のもつ自由をも表現する。 その自由は、今ここ自分の足下に広がっている。 この一歩は、誰しもが自由に踏み出せる事実。 僕は、2018年4月8日(日)鎌倉市腰越 龍口明神社より その一歩を踏み出し、歩むことをダンサーとして表現して舞りたいと思います。 「歩んで舞る。」step by walk , to be dancing   って、、、中島宮司との話に戻れなかったというオチに!!汗 次回には中島氏との話に戻れるだろうか。。。 くーー、、、恐れ入りますが、 引き続き、更新していくので、どうぞ、きながにお付き合い頂きましたら幸いです。 つづく。 一舞一生 - one step , one life - 小畑OBA大左衛門    


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鎌倉〜出雲までの767km 2017年3月28日〜4月24日までの28日間 うち、2日休みで26日間連続で一日約35km〜40km 約30kgのバックパックを背負い 一本歯と地下足袋の兼用し歩んだ 身体結果報告   腰痛•膝痛•足首痛 一切無し!!!   この事実は、、、 わたくしにとっては衝撃でございました。 もちろん筋肉痛など含め身体全体は極めて疲労状態でありましたが 関節痛が一切なかった事実。。。 なんなら、 ダンサーとして慢性的な腰痛と右膝痛が、治ってしまった。   あまりにも謎、、というより衝撃であったが故 この事実を自分なりに解明してみました。   やはり、先人が利用していた「道具」を用いいたことによる結果だと考えました。 すなわち「一本歯」と「地下足袋」。 双方ともに共通するのは「前側重心」であるということ。 二本歯の下駄は前の歯が先に削れることを正しい歩行とするように、 日本人本来の基礎身体活動の重心は 「かかと」ではなく「つまさき」にあったこと。 この「つまさき」すなわち「前側重心」により、何の効果が発生するのか。 端的に述べると、「足首という名の逆関節が蘇生する。」 猫の足をイメージしてください。 (猫の足の絵、、わかりづらくてごめんなさい。。) 猫の足のカカトの位置は、人間に比べ遠い位置に存在します。 そのため、猫には膝関節に合わせて逆関節も存在し一見、鳥の足を連想させます。 その逆関節は、猫にとっての足首ですよね。(詳しくは呼び名等違ったらごめんなさい) ただ事実として、膝に加えて足首という名の逆関節すなわち二段階関節により あの凄まじい猫の動作能力が生じるのだと思います。 猫のカカトほど離れてはいなくとも、人間にも足首は存在する。 つまさき前側重心にすることにより足首が、逆関節としての機能を再生させる。 人間にも、膝-足首と二段階関節が存在すること。 など足首という逆関節すなわちクッションは、歩行時のショックを腰へ届く前に吸収する。しかし、ソールを持つ靴なりのカカト歩行では、歩行時のショックがカカトを通して腰へ直に伝達する。 腰痛は基本、習慣痛と言われています。 なので一本歯や竹馬などを利用して、習慣的にカカトから直に腰へ与えていたショックを一瞬でも和らげると 自分でもびっくりする早さで腰痛が治ったりします。 ともあれ、この鎌倉〜出雲までの28日間徒歩の旅による身体感覚として 世界でも稀な徒歩道具「下駄」をもつ国「日本」 この「下駄」が、この「国」から姿を見せなくなったのは ここ数十年の話だと思います。 日本の歴史で考えるならば、西洋靴が輸入され社会の中心となったのはつい最近のことです。 それまでは、当然のように日本人は下駄を履いていた。 「足元」のアイデンティティの損失は、意外と大きいのではないだろうか。 もちろん、だからといって下駄を履かないと日本人ではないなんてことを言っている訳ではありません笑 そのような意味ではなくて、かつて先人が用いていた先人の知恵なる「道具」を「足下から見直す」ことはとても有意義ではないかと考えます。 ともあれ、今回の『歩んで舞る。』プロジェクト 徒歩ツールとして、なぜ 一本歯と地下足袋を利用するのか。 その背景に出来るだけ迫ってみました。 この「歩んで舞る。」を通して、二度目となる徒歩活動により身体ともに頭脳を整理し 踊りを精神(こころ即ち道)として共有することを目的とした 「舞士道」 と合わせ 「日本人身体蘇生論 -前側重心(ゲタ)の衝撃-」 も展開させていきたいと考えております。 『歩んで舞る。』の経緯から、かなり話がディープな方向へいきましたが。。。 次回、 2018年4月8日に出発する「歩んで舞る」プロジェクトと2018年4月28日奉納舞公演におけますキーパーソン 中島宮司(83歳) 彼とのお話に、戻りたいと思います。 つゞく 一舞一生 - one step , one life - 小畑‘OBA’大左衛門


中島宮司からの出逢いから旅の話に一旦、戻ります。 photo by Yoshihiro Saeki 鎌倉から出雲までの28日間徒歩の旅。 この道中、本当に色々ありました。 ともかく人情物語の連続。 時には、 焼き肉屋の親父さんに他人丼をご馳走していただき宿を提供していただけたり 時には、 設備工事の親方が帰宅途中ぼくらが歩いている姿を見かけ、彼の自宅に泊まらせてもらったり。。。 旅の語源に「他人の家の火を使う」即ち、他火。 まさに、他火の有り難さを骨の髄まで感じる徒歩の旅。 人情という無条件なる人間愛を、心より体験させていただきました。 リアルな人情物語を現代を生きる若者の一人として、あまり体験したことが無かったように思う。 とくに現代、ネット社会において「リアルな日常体験」が稀になってきている中。 この28日間の人情物語は、どこかで必ず人は生きていて、人は各自それぞれのドラマを生きているという事実を深く学ぶ日々でした。 人一人ずつのドラマすなわち映画を、人一人ずつが生きているのだ。 私を私と言えるのは私しかいない。 当然な自分という唯一無二の存在を改めて認識したとき初めて他人という他者を認識し、同時に自分一人では何もできないことを痛感する。 自分の顔なり背中は一生、自分の生目で見ることはできない。 もちろんカガミなり映像、写真を通して見れば見れるのかもしれない。 けど、この二つの目。すなわち生の目で、自分の顔なり背中を直で見ることはできない。 自分を直で見ることが出来るのは、向かい合わせに存在する他者の生目だ。 自分の代わりに、一生見れない自分の顔や背中を見てくれている他者。 舞台で踊る人間としてツクヅク感じることがあります。 それは、 ステージで踊っている自分の姿は一生、自分では見れないこと。 映像で見ることはできる。けれどライブで自分の踊りは見ることができない。 当然な事実だけれど、ふとたまに思う。 自分が踊っている姿を生で見てみたい。別にこれはナルシストとかじゃなくて、、、反省点を打ち出す上でのチェックがしたいという想いが中心ではありつつ、、20年ほど踊ってきて一度でもいいから生で自分の踊りを見てみたい!って純粋に思うんです汗 悪しからず。 ステージで踊りながら観客席から自分を観ることは生涯、無理。 しかしステージで踊りながら見える光景は、観客一人一人の姿。 そこで、思う。 一生自分では見れない自分の姿を、お客さんが見てくれているのだ。 お客さんの目を通して、記憶を通して、自分を見るのだ。 ならば、見ていただいている自分の踊りなり姿が自分で観ても恥ずかしくないよう One Stage One Life 一つの舞台に全命をかけることの意味が、より深くなる。 って!!大分、話がそれましたが尽きるところ 旅における心得として、人は一人では生きれないことを深く学びました。 次回は、学んだ心得に対し具体的に得た身体結果についてを書きたいと思います。 心というソフトに対して身体というハード。 この順を追わなければ、また歩む意味に繋がっていかないのでゴワス汗 引き続きCheck it out つゞく 一舞一生 - one step , one life - 小畑OBA大左衛門