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20歳、大学生。いじめられっ子だった僕が、キリマンジャロへ挑戦する話。

自分の人生は自分で決めたい!中学受験をした理由は、いじめっ子と同じ中学に行きたくなかったから。大学受験も自分の意思でしたわけではなかった。僕はもう自分の人生の方向性を、他人に委ねたくない!そう決意し、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ一人で挑戦します!この挑戦にぜひ手を貸していただけませんか?

現在の支援総額

650,546

130%

目標金額は500,000円

支援者数

49

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/11/14に募集を開始し、 49人の支援により 650,546円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

650,546

130%達成

終了

目標金額500,000

支援者数49

このプロジェクトは、2023/11/14に募集を開始し、 49人の支援により 650,546円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

自分の人生は自分で決めたい!中学受験をした理由は、いじめっ子と同じ中学に行きたくなかったから。大学受験も自分の意思でしたわけではなかった。僕はもう自分の人生の方向性を、他人に委ねたくない!そう決意し、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ一人で挑戦します!この挑戦にぜひ手を貸していただけませんか?

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第一章 登山ゲートへ・開始早々問題発生

朝8時に起床した。自分が持つザック、ポーターに預ける2つのザックを持ち、ホテルエントランスへ。エントランスへ行くと、Kiliclimber & Safari のDirectorのジャスパーとその仲間たちが待っていた。昨日支払いが出来なかった、残りのツアー料金をカードにて支払い、出発。チーフガイド、コック、ウェイター、ポーター(荷物持ち)2名の計5名のタンザニア人と一緒のバンに乗り、登山ゲートまで移動する。正直とても怖かった。車内ではスワヒリ語で会話が飛び交い、私が入る隙がなかった。途中japani(スワヒリ語で日本人)という単語が、何回か聞こえてきたので、私に関することを話していることはなんとなくわかった。誘拐されちゃうかも、なんて考えた。私が現金を下ろしたいと申し出たため、登山ゲートへ移動する前に、モシ市内のATMへ寄ってくれた。というのも、私はこの時、現金を一銭も持っていなかった。現金がないと、登山中のスタッフへのチップが払えない。ので、ATMに寄ってもらったというわけだ。
なぜ現金を持っていなかったのか。私は羽田空港にて500USDを換金したが、その現金はツアー代で全て消えてしまった。事前にツアー代はカードで支払いをする約束だったが、Directorのジャスパーがなるべく現金で欲しいと言ってきたので、仕方なく現金で払える分は現金で支払ったのだ。この時、いくらか現金を残しておけばよかったと後悔した。
ATMの前には、AK-47を持った20代後半ぐらいの兵士が立っていた。また、これはタンザニアについてからずっと思っていたことだが、街中ではとても視線を感じる。日本人が一人で来ているのが物珍しいんだろうか。この時も、多くの視線を感じてた。ATMでお金を下ろすことさえ緊張した。しかし、何故かお金が下ろせなかった。ATMには insufficient fund の文字。そんなはずはなかった。口座には余裕を持ってお金を入れていたはずだった。「スキミングされたか?」「このままではチップが払えない」「下山後の生活はどうしよう」「リターン品購入できない」様々なことが脳裏をよぎった。すぐに口座残高を確認すると、確かに口座には十分な量のお金があった。詐欺の線が消えて一安心。チップは登山が終わったらまとめて支払うとスタッフと約束し、現金がないまま登山がスタートした。あとの問題は登山しながら考えることにした。

第二章 孤独のトザン

登山ゲートである、マチャメゲート(1800m)は思っていたよりも人で溢れていた。現地のスタッフはもちろんのこと、登山客もたくさんいた。8割がヨーロッパ系、2割がアジア系といったところだろうか。私のように一人で来ている人はほとんどおらず、各々の家族、友人と談笑していた。僕も友人と来たかったなあ。孤独な登山の始まりである。ガイドのジャコブが準備ができたと言いにきた。どうやら入山の手続きが終わったらしい。ジャコブと私で登山を始める。その他のスタッフは先に行っているらしい。登山をしていると、他のツアーのポーターらしき人たちが、私を抜かしていった。彼らは自分の荷物のほかに、20kgほどの荷物を頭の上に乗せて登っていた。ものすごい体幹と体力である。首おかしくならないのかなあ。そんなことを思った。ジャコブは50歳ぐらいの男性ガイドで、寡黙なイメージだった。登山中僕が質問をしてもあまり会話が続かない。単純に僕の英語力不足はあるが、それにしても会話のキャッチボールができていなかった。僕が質問すると、答えて、会話終了。この人と1週間行動を共にするのか、と少し憂鬱な気分になった。ジャコブは僕とは会話をあまりしなかったが、すれ違う現地のタンザニア人とは楽しそうにスワヒリ語で談笑しながら登っていた。もしかしたらあまり英語が得意ではないのかもしれない。タンザニアは国語(national language)はスワヒリ語で、公用語(official language)はスワヒリ語と英語である。よって英語は通じると思っていたが、個人差があるのかもしれない。タンザニアは元々はイギリスの植民地であった。その後、1961年に独立しタンガニーカ国となり、1963年に同じくイギリスの保護領から独立したザンジバルと合邦してできた連合共和国である。英語はイギリス植民地であったときに流入してきた。それからは中等教育以上では英語が用いられてきたが、2015年にジャカヤ・キクウェテ大統領による新教育制度により、国内の学校における使用言語を、英語ではなくスワヒリ語へと変更した。アフリカの国で、使用言語を外国語ではなく現地語にするのは、初めての取り組みらしい。この新教育制度制定には様々な背景があると思うが、この制度が制定されたということは、タンザニア人において、国語であるスワヒリ語の方が、英語よりも話しやすく、好きなのだろう。こう考えるとガイドのジャコブが、私と英語で会話したがらないのも、納得ができる。歴史上、植民地になったことがなく、言語に関してもずっと変化していない日本人である私には共感できないことなのだろう。
ジャコブの歩みはとてもゆっくりであった。正直もっと早く歩きたかったが、我慢した。また、ジャコブの後ろを歩いていると、あることに気がついた。すね毛が一切生えていなかったのだ。チョコレートの様なとても綺麗な足をしていた。50歳でキリマンジャロの登山ガイドをしているタンザニア人のジャコブが、明日から登山だから毛剃っとくか、と足をツルツルにしてきたことは考えにくい。紫外線が強すぎて、毛穴が死んでしまったんだろうか。体毛の機能は紫外線から肌を守ることだとすると、メラニン色素が強い黒人はそもそも、体毛を生やす必要がないのか。どちらにせよ日本の脱毛は高額なので、羨ましい限りである。
キリマンジャロ国立公園のジャングルをひたすら抜けると、マチャメキャンプ(3000m)へ到着した。日本でいえばすでに相当高い位置にいる。

第三章 想像以上のサービス

キャンプにつき、手続きを済ませると、先に行ったスタッフがテントを設置してくれていた。テント内で着替えをしていると、ウェイターが、お湯、石鹸、コーヒー、紅茶、ミルク、ポップコーン、ビスケットを持ってきてくれた。体を洗って、好きなものを食べて休憩しろとのことだ。どうやら登山後は毎日同じサービスをしてくれるらしい。普段、テントの設営や食事は全て自分で行なっているため、とても豪華に感じた。コーヒーは粉状のインスタントコーヒーで、キリマンジャロだからと少し期待したが、あまり美味しくなかった。ポップコーンは最高に美味しかった。塩加減が絶妙であった。ティータイムが終わりしばらくすると、夕食が運ばれてきた。白身魚の揚げ物と、ポテトフライ、野菜炒め、バナナ、アボカド、キューカンバースープだった。驚くことに、白身魚の揚げ物とポテトフライは熱々で衣もサクサクだった。おそらくその場で揚げてくれていた。標高が上がると酸素濃度が下がる。よって当然、調理器具の火力も下がるのだが、それなのに揚げ物とはなかなか高火力の器具を持っているんだなと感心した。そして何より、普通に美味しかった。野菜炒めはとても味が濃く、ビールが欲しくなった。

第四章 トイレ

文量的に第三章に書いてもよかったが、内容的に分けることにした。食事を終えトイレにいった。くそ汚かった。トイレでする概念はあるらしいが、的を外さない努力を怠っている。トイレットペーパーを日本から持ってきて大正解であった。この日は22:00に就寝した。

血中酸素濃度96% 身体以上なし。

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