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20歳、大学生。いじめられっ子だった僕が、キリマンジャロへ挑戦する話。

自分の人生は自分で決めたい!中学受験をした理由は、いじめっ子と同じ中学に行きたくなかったから。大学受験も自分の意思でしたわけではなかった。僕はもう自分の人生の方向性を、他人に委ねたくない!そう決意し、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ一人で挑戦します!この挑戦にぜひ手を貸していただけませんか?

現在の支援総額

650,546

130%

目標金額は500,000円

支援者数

49

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/11/14に募集を開始し、 49人の支援により 650,546円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

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20歳、大学生。いじめられっ子だった僕が、キリマンジャロへ挑戦する話。

現在の支援総額

650,546

130%達成

終了

目標金額500,000

支援者数49

このプロジェクトは、2023/11/14に募集を開始し、 49人の支援により 650,546円の資金を集め、 2024/01/31に募集を終了しました

自分の人生は自分で決めたい!中学受験をした理由は、いじめっ子と同じ中学に行きたくなかったから。大学受験も自分の意思でしたわけではなかった。僕はもう自分の人生の方向性を、他人に委ねたくない!そう決意し、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロへ一人で挑戦します!この挑戦にぜひ手を貸していただけませんか?

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第十三章 人間万事塞翁が馬

この日はバランコキャンプ(3900m)から、最後のキャンプ地であるバラフキャンプ(4700m)を目指す。従来のマチャメルートでは、この間にあるカランガキャンプ(4000m)で宿泊するはずであったが、前日にガイドのジャコブから、1日行程を短くしないか、と提案があった。事前のキリマンジャロ登山の下調べで、この提案をされることはある程度予想していた。彼らが提案しなかったら、私の方から提案するつもりであった。彼曰く、今後、良い天気が続くかわからないから、今のうちに登ったほうが良い、とのことだった。彼らにとっても早く下山すれば、早く家族と会え、次の登山ツアーに行くことができる。登山シーズンは稼ぎどきであるはずなので、できるだけ多くのツアーに同行した方が、稼げる。また、私自身、この時点で高山病の症状は一切出ておらず、体力的にも全く問題なかった。この提案はwin-winなわけだ。
だが彼らの方から提案してきてくれたのは、私としても好都合であった。というのも、私はこの登山が終わったら、彼らの会社が主催するサファリツアーにも参加する予定であった。せっかくアフリカに来たのだ。本物のワイルドライフは見ておきたかった。1日早く下山するということは、サファリまで1日暇ができるということだ。彼らの方から提案してきてくれたおかげで、行程を早める分、同額でサファリを1日伸ばしてくれないか、と交渉することができた。2日間のサファリが同額で3日間に延びた。ラッキー。
後日談であるが、このサファリのホテルが最悪であった。エアコンもシャワーもなく、虫が入り放題の部屋。この交渉をしたせいで、このホテルに2泊もする羽目になった。こんなことなら、交渉せずに、良いホテルの部屋で、ビールを飲みながら登山中でたまっていたアニメを消化していたかった。人生における幸不幸は予想できない。

第十四章 ライアンとローラ

7時にバランコキャンプを出発すると、すぐ目の前にこの日の難所であるバランコウォールが聳え立っていた。バランコウォールは300mほどにもなる急登である。遠目にバランコウォールを登る登山者たちの列が見えた。これは日本で言うと、槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳山頂までの光景に似ていた。トレッキングポールをしまい、作業用手袋をつけ、登り始める。現地のポーターたちは頭に20kgの荷物を乗せ、この急登を登っていた。彼らの体感とバランス力には本当に驚かされる。槍ヶ岳のような急登を覚悟して登り始めたが、見掛け倒しであった。1時間ほどであっさり登り切れてしまった。バランコウォールを上り切ると、開けた場所に出た。どうやら定番の休憩スポットらしい。バランコウォールを上り切ったものたちが、休憩していた。天気は良く、キリマンジャロの頂がくっきりと見えた。また反対方向には、タンザニアで2番目に高い山である、メルー山(4566m)が見えた。メルー山はキリマンジャロの西側70kmに位置している。メルー山は成層火山であり、過去の大噴火の前はキリマンジャロよりも標高が高かったとする説もあるらしい。近くに見覚えのあるアジア人の男女がいた。この二人は登山初日からよく見かけていた。アジア人は珍しいので、よく目につく。おそらく私と同じ入山日で、行程が同じなのであろう。男性は大柄の筋肉質で、特徴的な柄の長袖コンプレッションシャツを着ていた。女性は小柄であったが、登るスピードがとても早かったのが印象的だった。どちらも20代後半ぐらいだろうか。ちょうど、お互い休憩中であったので、話しかけることにした。男性はライアン、女性はローラと名乗った。中国人らしい。彼らは中国国内の5000m級の山に登ったことがあり、5000m以上の山は今回が2回目だと言っていた。彼らも私のことを認識していたらしく、お互いよく見かけるよねと言う話をした。お互い無事頂上に辿り着けることを祈り、彼らとは一旦別れを告げ、バラフキャンプを目指す。

第十五章 前夜

バランコウォールを経て、カランガキャンプに到着した。ここで昼食にするらしい。昨日の昼食のようにランチボックスかと思いきや、なんと昼食を食べるためにわざわざテントを立ててくれていた。2日分の行程を1日で登る分の配慮であろうか。ご飯もちゃんとしたものが出てきた。この昼食で出てきたフライドポテトはとても美味しく、ぺろりと全て平らげた。このポテトが後の私の体に多大な影響を与えることとなる。昼食を食べ終え、3時間ほど歩くと、無事バラフキャンプへ到着した。標高は4700m。ラバタワーが標高4600mであったため、未知の領域である。夕食を終え、テント内で日記を書いていると、ガイドのジャコブがテントに来た。今日の23:00に起床し、23:30に出発するらしい。これには僕も驚いた。想定よりも出発時間が早かったからである。今の時刻は19:00。あと、4時間で出発である。今日はすでに、のぼり1200m、距離10kmを歩いていた。これが行程を1日早めると言うことか、と痛感した。明日はバラフキャンプ(4700m)からステラポイント(5756m)を経て、キリマンジャロ山頂のウフルピーク(5895m)を目指す。ウフルピーク登頂の後、ムウェカキャンプ(3070m)まで一気に下山する。のぼり約1300m、くだり約3000mの行程である。ついに明日、七代大陸最高峰セブンサミッツ、その一つ、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロに登頂できるのである。高揚感と緊張感を胸に、体力をできるだけ回復させるため、すぐ寝支度をし、19:30に就寝した。

血中酸素濃度88% 身体異常なし。

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