カンヌでの初洗礼を受けた翌日。
午前中は映画監督の催すマスタークラスに参加。
講師は「イブサンローラン」などを監督した Bertrand Bonelloと最新版「ブレードランナー」や「メッセージ」の監督、Denis Villeneuveでした。2人とも短編からキャリアを積み重ねて世界的な監督になっています。確かここでだったか「短編は長編と比べ予算が少ない分、実験的なことを試すのに適している。それに仮に失敗したとしても取り返しがつく」というようなことを話していたように思います。後は演出に関しては、撮る前にシナリオは書くがそれはあくまで現場で撮るための下書きで、映画自体で現場での空気管を大事にしているようなことを話していたかと思います(記憶が正しければ。。。)
その日はニース国際映画祭の後にカンヌに立ち寄っていたイギリス在住の日本人監督の梶岡さんと昼に再会。
さすが俳優だけありkoshino michikoオリジナル仕立ての真っ白なタキシードにサングラスで数年ぶりでカンヌの群衆の中、1発でわかりました。今回は3年くらい前に日本とニューヨークとロンドンで撮影した杉原千畝のドキュメンタリー短編をニース国際映画祭(カンヌ映画祭の前半にやっている)で上映したとのことで、東京チームでロケから音声、撮影、スチールなど技術でかかわった作品が世に出たと聞き嬉しかったです。カンヌは海辺の町でボートが港にたくさん停泊しています。多くは金持ちのバカンス用のものらしいですが、各国のパビリオンが貸し切りでパーティしたり、パパラッチに狙われないようにセレブがひそかに忍んでいるとの話も。雲一つない乾いた青空の中、旧市街方面に向かい歩きました。ニースでの話、映画祭の政治的なパワーゲームの話、日本の映画界の影などの裏話もしながら、また共に一緒に作ろうという話をしました。梶岡監督は今は夏目漱石のドキュメンタリーを撮り終え(僕も一部都内でインタビュー収録でかかわっている)編集を始めるとこのようです。俳優としても監督としても力のある方なのでいろいろと学ばせてもらっています。
その後は、急ぎ足で会場に戻り、Cinéfondation Selectionの回に赴きました。
これは学生映画部門のコンペです。この映画の部門を知ったのは去年のアジアのショートショートフィルムフェスティバルがきっかけでした。ここで上映されるのは、映画学校や映画学科の学生の作品ですが、学生なんてとんでもない。すぐにプロのバイヤーが買い付けてもおかしくないくらい位の内容、技術の質の高さで日本のプロも顔負けの作品ぞろいです。2時間で6本近く上映され、そのうちの最後の中国の作品、「DONG WU XIONG MENG(The Storms in Our Blood)」SHEN Di監督 Shanghai Theater Academy所属が非常にユニークで面白かったです。細かい映画評は書きませんが内容としては、22歳のアフリカの黒人女性が中国の北東部の田舎にある村に父親を捜しにくる話です。黒人など村に1人にいるかいないかのような共産主義時代の雰囲気が残る農村に突如、「あなたの子です」と認知しに来るとういうコメディです。すごい才能が中国にもいるんだなと思っていたら、なんと全世界の学生映画で2位に選出されたようです。今年は残念ながら日本人はおりませんでしたが、世界のレベルの高さを思い知る事件でした。このレベルが学生で撮れたら、もうすぐにプロとして長編で世界的映画祭の賞を狙えるのだろうなとお世辞なしに感じさせるものでした。
http://sub.festival-cannes.fr/SfcCatalogue/MovieDetail/9e918009-820f-4df4-84bd-568798d8e8fd
https://www.festival-cannes.com/en/festival/films/dong-wu-xiong-meng
その後も短編から長編へという題でのトークでした。サンダンス映画祭のプログラマーや映画会社からプロヂューサーを交えての対談でした。一般の方にはあまりなじみがないかもしれないですが、実は長編のダイジェスト版として予算獲得とプロモーションのために短編をとる監督はかなり多く、今回もそのように短編の監督からどのようにしたら長編に繋げていけるのかというのが題材でした。今回僕はマーケットで各国の映画会社のセールスやバイヤーにも売り込みをかけましたが、そこで感じたのは長編をとっていないとやはり監督としてどこか認めてもらえてないなと感じたことです。もちろん短編映画の市場が非常に狭く買い手は少ないというのが世界的な事実ではあるのですが。そこで、先にあった小さな失敗を短編で多くしてできるだけ失敗するとダメージの大きい長編での完成度を高くするというのが戦略の一つだというようなことを話していたかと思います(たしか2週間前の記憶をたどると。。。)また詳しい理由は忘れましたが同じジャンルに絞り作品を撮り続けていくのが大事だとも確か話していました。そのほうが依頼する側として、こういう傾向の作品を作る人と指名しやすくなるのと、平均的に全ジャンルをカバーするよりも一つと得意分野で突き出ることが差をつけるうえで大事であることもおそらくその理由でないかと思います。
その夜もハッピーアワーに参加しました。しかし情報過多でどうも何をだれと話したかあまり記憶にありません。河合さんもブレンダンさんもこういうのは苦手と置き去りにされてしまい。さてどうしたものかと思いきや、確か神戸からいらした垂水劇団のご一同と挨拶をしニューヨーク在住のセールス・買い付けの方などと知り合いになりました。あと河合さんの引き合いで48HFP Best shortの日本人監督とお話しさせていただき、いかにして2日で短編撮影したかの秘話も聞きました。
その夜は、会場外を軽く散歩し、早めに引き上げたと思います。ホテル近くのピザ屋でブレンダンとピザを買い、遅くまで河合さんも交えて色々映画の話を話していたと思います。
書いているとどんどん記憶が掘り起こされてきますが、今日はこの辺で。