Arto Lindsay来日中です。 「晴れたら空で豆まいて」でのArto Lindsay x 青葉市子のライブに行って、久しぶりにArtoのステージ見て、笑って、終了後に会ってきました。青葉市子ちゃん、初めて見たけれど、素敵だった。Artoに最後にあったのはNYで見たライブだったか、東京でのライブだったか。Artoに初めて会ったのは、宮沢和史のソロアルバムのプロデュースをArtoがした時。スタジオの中の通訳を担当していました。2000年の4月1日エイプリールフール。なぜ覚えているかというと、その前の日に、それまで数年金髪だった髪の毛を「剃り」、初めて外に出た日だったから。それが、エイプリールフールで笑えるなーと思っていたから。 Artoは、スタジオの中で、録音が進む間、聞いているのか聞いていないのか、という感じで座っているんだけど、実はずっと聞いていて、「コレ」という瞬間をパッとつかむ。その「掴む」感じがとても好きで、その後、私のgreenのアルバムでも一曲プロデュースして欲しいとお願いした。私の転機ににもなった2001年の9月には、ちょうどその録音の日程を詰めようとやりとりをしていたときで、彼はその頃NYに住んでいたから、911の映像をニュースで見た瞬間、彼の家に電話をかけた。回線が混んでいて繋がらず、何度もかけてやっとつながって、あちらは朝の8時過ぎくらいだったか、まだねていた様子だったArtoに「テレビをつけて見て」とだけ言って、電話を切った。それから、丸一年以上、録音は延期して、ようやっとNYでの録音を終わって、一人でグランドゼロに行った。まだ星条旗が特にイスラム系の人たちの車や家に掲げられているのを目にしながら、最寄りの駅を降りた。まだ土埃が舞い上がり続け、それに水を撒き続けて作業が続いているところだった。なんとも言えない思いが渦巻き、何度か躊躇し、カフェに寄り、心を鎮めてようやく自分が近寄れる一番近いところにたどり着いて、そして、何をするわけでもなく帰って来た。Artoにプロデュースしてもらった音源は、そんなNYの様子を感じる側面はちっともない。春のような、ちょっとファンタジックなそんな音。ちょこっとはノイズのギター弾いてくれるかと思ったけれど、そもそもArtoはスタジオにギターを持ってきていなかった。一冊、ペーパーバックの本を片手に、聞いているのか、いないのか、ソファに座って、「そのとき」を掴んでくれたプロデュース作品が一曲、greenに収録されます。NYのほか、東京、ヘルシンキ(フィンランド)を旅した曲「fallin' in love」。来年出すよ、と言ったら、喜んでくれてました。
去年の春から、うちの庭に暮らしてきた日本ミツバチの一群。去年は強い群だったので、本当に何もしないまま、元気に夏を乗り越えていったのですが、(秋にオオスズメバチの襲来はありましたが)、今年は、私が忙しすぎて、スムシの発見が遅れて、気付いた時には、虫の息になっており、、。そこからスムシ駆除してみましたが、ダメでした、、。 そんなわけで、予定になかった、急遽の採蜜をすることに。巣箱を開けたら、こんな感じでした。 ざるに置いて、ポタポタ茶色い蜜を落としてみます。蜜ロウも使えるように精製できたらいいなあ。
5日(金)は、早朝からNHKにドキュメンタリーのナレーション収録に行き、とんぼ帰りして、午後は地元のラジオ局茨城放送のスマイル・スマイル plus i に出演してプロジェクトの案内をしてきました。ラジオを聞いてくださったみなさま、ありがとうございます。 greenのバージョンの「やさしい光」をお聞きいただいたのですが、この曲は、数年前に、茨城放送でnotes.という番組のパーソナリティをしていたときに、リリース前でしたが、エンディングテーマ曲として毎週、流れていました。今回、ラジオに呼んでくださったのは、そのnotes.のときに、つたない私のお相手をしてくれていた、木村さおりさんでした。 ドキュメンタリーの方は、 8月15日(月)午後8時〜 NHK Eテレで放送のハートネットTVシリーズ戦後71年 忘れられない、雨―認知症と沖縄戦の記憶―です。 沖縄戦を生き抜いた体験者の中に、認知症を患う人たちも増えてきたそうです。認知症というのは、記憶の整理がうまくできなくなることのようですが、その中で、沖縄戦を生き抜いた記憶、その痛みの記憶はかなりクリアに残っていて、特に沖縄戦が激化した梅雨の時期には、症状が強く出るのだそう。 失っていく記憶と、その中でも消えることのない記憶。 おばあたちの話をちゃんと聞ける時間も、あまり長くは残されていないのかもしれません。どうぞごらんください。 再放送:8月22日(月) 午後1時10分〜 http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2016-08/15.html
昨日は、大阪に行っていました。 NHK広島放送局が制作し、中国地方のNHK総合で、7月29日(金)19:30〜20:43放送の「被爆前夜の広島で、、」というドキュメンタリーのナレーション収録でした。 新型爆弾が落とされるという予告を聞いたという被爆者たちの証言。それでも、その予告は、表に出ることはなく、けれど、少なくない人たちが聞いていた話だったそうです。未来のことはわからないから、大きな声で言うのは憚られる感じ。原発事故の後に体験しました。 中国地方のみでの放送ですが、ご覧になれる方、ご覧ください。 http://fromayako.exblog.jp/26055359/ ーーーーーーー 平和記念公園で被爆遺構の掘り起こしが進む中、原爆投下前の広島の姿に注目が集まっている。 今回NHKでは、被爆前夜の様子を記録した「被爆体験記」や被爆前の街の姿を捉えた「写真」など、失われた街の貴重な記録を改めて検証。 街はどんな姿をしていたのか、そこにどんな暮らしがあったのか、人々は"前夜"をどのように記憶しているのか…。 新たな証言とともにみつめ、一瞬にして日常を奪われた人々の思いに二部構成で迫る。 第一部は「"投下予告"~8月5日 市民の記憶をたどる~」 被爆者が書き残した原爆の体験記の中に、「もうすぐ広島は焼け野原になる」といった米軍による原爆投下の予告があったという手記が複数残されている。 徹底した情報統制で米軍からの投下予告はなかったはずだが、なぜそうした記述があるのか。体験記や証言を残した被爆者の今をたどり、その証言に込めた思いに迫る。 第二部は「そこには確かに"暮らし"があった~写真でよみがえる廣島~」 7年前廿日市市内で、広島市内の川で泳ぐ子供たちや人々でにぎわう商店街など被爆前の広島の街や人々の姿を撮影した1万点を超える写真がみつかった。 被爆直前まで普段と同じように暮らしていた市民の様子を写真と映像そして証言でたどり、一発の爆弾で"日常"が奪われる戦争の悲惨さを伝える。 再放送は翌30日(土)朝10:05〜11:18 http://www.nhk.or.jp/hiros…/hibaku71/program/program_07.html
7月23日(日)につくばで、Campfire x Tsukuba立ち上げ記念のイベント 「家入一真さんと考えるクラウドファンディングの未来」が開催されました。 ゆかりのある方たちと家入さんとのトークに加えて、 Campfire x Tsukubaで現在立ち上がっているプロジェクト、近々立ち上がる予定 プロジェクトの短いプレゼンが、総勢11組! 熱のこもったそれぞれの人たちの物語と、思いを聞くとてもいいチャンスになりました。 会場に足を運んでくださった方たちも、熱を持ってプレゼンを受け入れてくださり、 とても居心地のいい空間が出来上がっていました。 家入さんにも「9.11以降に暮らしを大変革したあたりは、とても共通点があり、 応援します!」と言っていただいて、twitterでもつぶやいていただいたので、 そちら経由で見に来てくださっている方もいらっしゃるかもしれません。 このプレゼンでは「やさしい光」という歌を、アカペラで、アンプラグドで 歌わせてもらいました。この世界がやさしい光に包まれますように。