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《自分の気持ちを大切にしよう》コミュニケーション系セミナーin相模原

2024年に相模原市内でコミュニケーション系セミナーを開催したいです。対象は対人関係で困っている方で、コミュニケーションの改善により、人々が相愛協力できる社会作りを目的としています。

現在の支援総額

500

1%

目標金額は50,000円

支援者数

1

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2023/12/11に募集を開始し、 1人の支援により 500円の資金を集め、 2024/02/03に募集を終了しました

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現在の支援総額

500

1%達成

終了

目標金額50,000

支援者数1

このプロジェクトは、2023/12/11に募集を開始し、 1人の支援により 500円の資金を集め、 2024/02/03に募集を終了しました

2024年に相模原市内でコミュニケーション系セミナーを開催したいです。対象は対人関係で困っている方で、コミュニケーションの改善により、人々が相愛協力できる社会作りを目的としています。

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2月2日の夕方に、相模大野駅近くの施設にて、セミナーを行います。場所:ユニコムプラザさがみはら セミナールーム3時間:18:15~19:45告知URL:https://www.kokuchpro.com/event/5f12002988a24a7bd2cf94cb51d0357c/コミュニケーションに関する「伝わる」ことを中心とした対話形式のセミナーです。お時間がありましたら、お越しいただければ嬉しいです。なかなか人が集まりません。ファンドでのお願いも同様ですが、魅力不足を痛感しています。


努力
2024/01/25 14:47

努力は報われるのか。いつの世も議論されますが、私の経験では報われません。と言いましても、すぐに報われないと言う意味です。すぐに結果が出る努力は、努力ではなく運ではないでしょうか。私が思う努力とは、その時は気がつかなくても、未来に気づく宝物です。頑張っている時は、とても不安です。結果が出るのか、出ても上手くいかないのでは?など。不安は自信の低下に繋がり、努力の袋小路に入ってしまいます。私も過去に何度も努力の袋小路に迷い込み、もがいたことがあります。残念ながら、もがいても余計にキツく締め付けられ、結果的に心が疲れてしまいました。人事を尽くして天命を待つという言葉があります。自分ができることを一所懸命に行い、やるだけやったらあとは結果を待つ。コントロールできるところは自分でやり、コントロールできないことは任せてしまうと言うことです。不安でしょうが、自分を信じてみる。裏切られても、それは自分自身の問題で、次の機会までまた頑張ってみる。人生はそれの繰り返しではないかと思います。これは、他者との競争を煽っているのではありません。あくまで競争相手は自分です。自分の中にある可能性を信じることですね。他者と比較しても、何も良いことはありません。自己成長の意識が高い人は、こぞって競争する傾向があります。でも、本当の目標は自分自身です。他者は模範になりますが、比較対象ではありません。


運転資金
2024/01/24 16:45

このファンドも応募期間がもうすぐ終了します。これまで色々な形で情報の発信をさせていただきました。ほぼ、私の独り言でしたが…。ご存じの通り、NPO団体が活動をするためには運転資金が必要です。大義として、地域貢献を理念として活動をしておりますが、現時点では赤字です。しかし、大きな出費がなく講座を開講できておりますので、これも受講者の方々のお陰だと感じています。交通費が欲しいなぁ。などと思ったこともありますが、ならば自分の定期でいける範囲で講座を開講すればいい。会議室を借りるのにお金が掛かるのなら、安価なところを見つければいい。そんなことをいつも考えながら活動しています。今回ファンドで皆様に資金援助をお願いしました。資金は目標には達成しませんでしたが、毎日私のイベントページを見に来てくれる方がいることが大きな励みになっています。また貴重な援助をして下さる方もいらっしゃり、感謝をしております。すべてのことが自分の成長に繋がりました。まだファンドクローズまで時間がありますが、最後まで私の「独り言」を発信したいと思っています。


頼まれごと
2024/01/22 09:41

昔話ばかりで済みません。随分と前に、「頼まれごとは試されごと」と言うフレーズが気に入り、よく研修などで使っていました。確か、今でもご活躍の自己啓発講師の方がおしゃっていたフレーズと記憶しています。振り返ると、自分の人生の中でそう言う場面が多かったと思います。些細な頼まれごとでも、一所懸命に対応した後は、とても気持ちよかった記憶が残っています。反対に、返事半分くらいで自分の前を通り過ぎていった頼まれごとは、後になって後悔することが多かったです。もっときちんとやっておけば…という感じです。実際、人からものごとを頼まれるには、いくつかの段階があります。心理学的には、心の距離や上限関係によって、頼まれごとの段階は異なると言われています。フットインザドア法など、心理的な法略はいくつかありますが、それらに共通していることは、頼みやすいかどうか?だと私は思います。ものごとを頼みやすい人は、他者に利用されやすいと言う方もいます。全ての人が善人ではないので、その様な「よこしま」な考えで人に依頼をすることもあるでしょう。でもそういう時は、心にモヤモヤが残りませんか?少なくとも私は後味が悪い気分になります。重ねますが、私は善人ではありませんw頼まれるなら、その結果は、相手が驚くほどのアウトプットにする。その驚きは、自分と相手との絆に繋がる。私はそう思っています。


はんぶんこ
2024/01/21 17:12
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だいぶ昔の話ですが、チョコモナカを家族と半分に分けたことがありました。確か、手で割るときちんと半分にはなりませんでした。6:4位になったと記憶しています。半分にした家族は、私に6の方を差し出しました。いいよ、僕は小さい方で。そう言うと、ホント!と言う感じで笑顔を見せてくれました。チョコモナカを見るたびに、私はその家族の笑顔を思い返します。普段の生活でも、何かを当分する機会はあると思います。その時に、きちんと分けることができなかった時、皆さんはどうしますか。多い方を、当たり前のように取りますか。それとも、お互いの気が済むまで当分にこだわりますか。チョコモナカのお話でしたが、これをそのまま幸せに置き換えると、自分だけが多ければいいと言う気持ちにはならないと思います。自分の方が少なくても、相手の感謝の気持ちで自分の気持ちが満たされる。そんなことを皆さんも感じると思います。はんぶんこは、平等です。それに間違いはありません。でも、自分が多幸感に満たされるのならば、少しの損でも構わない。損した分、また頑張ればいい。それが、人だと私は思います。