
まずは「アイサイ橋」まで!
みなさん、おはようございます!
日々、私は水源の山にいます。
そこは、山の神が座し、先人が守り抜いてきた涵養(かんよう)の森。
いま、貯水タンクから600メートルほど下った場所で、
私は土と岩に向き合っています。
背中には重いリュック、片手には位置情報アプリ。
正確な標高を確認しながら、一歩ずつ配管を敷設する作業です。
標高141メートルの水源から、開拓地の95メートルへ。
命の水を届けるための、文字通りの「生命線」を引く大切な工程です。
◆ 無心の中で響く「森の音」
毎日、たった一人の山の中。
同じ作業の繰り返しに、
「読んでいるみなさんも飽きてきたのでは?」とふと思うことがあります(苦笑)。
劇的な変化があるわけでもなく、
気の利いたひらめきが降ってくるわけでもありません。
ただ頭を真っ白にして、岩を避け、苔むした大地に配管を這わせる。
そんな孤独で単調な作業の中、集中が極まった瞬間にだけ、
ふとした「気づき」が舞い降りることがあります。
遠いゴールを見上げると足が止まりそうになるけれど、
そんな時は「今、踏み出せる一歩」だけに集中する。

「よし、まずはアイサイ橋まで繋ごう!」
具体的な目標を口にすると、作業に一本、芯が通るような気がします。
◆ 「静寂」から「生命の躍動」へ
ここでの営みは、哲学的な思索というほど大層なものではありません。
けれど、先人たちの息遣いや、岩間を通り抜けてきた
「鎮守の雫の冷たさを肌で感じるとき、
自分がこの森を守り再生させる
「守里(しゅり)」の一員なのだと、静かな確信が湧いてきます。
今はただ、「来るべき日」のことだけを夢見ています。
5月になれば、この静かな山あいに300羽の鶏たちがやってきます。
あのかわいい鳴き声が響き渡る光景を想像するだけで、
重いパイプを運ぶ足取りも少しだけ軽くなる。
この不器用で、地道な、真っ白な集中力の先にある「生命の輝き」
それを見るために、今日も私は標高141メートルから、想いを込めて水を繋ぎます。



