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【能登半島地震】被災地の今とこれからを追い続ける新たなWebメディアの立ち上げ

能登半島地震で被災された方がふるさとでの生業を継続できるよう”被災者伴走型”のWebメディアを立ち上げ、運営したいです。ドキュメンタリー制作を通して「被災前より地域が良くなる復興」のあり方を社会全体で考えるプラットフォームとなるのと同時に、教訓を未来の災害への備えにつなげる役目を果たしていきます。

現在の支援総額

1,655,000

107%

目標金額は1,540,000円

支援者数

94

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/01/17に募集を開始し、 94人の支援により 1,655,000円の資金を集め、 2024/02/22に募集を終了しました

社会課題の解決をみんなで支え合う新しいクラファン

集まった支援金は100%受け取ることができます

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【能登半島地震】被災地の今とこれからを追い続ける新たなWebメディアの立ち上げ

現在の支援総額

1,655,000

107%達成

終了

目標金額1,540,000

支援者数94

このプロジェクトは、2024/01/17に募集を開始し、 94人の支援により 1,655,000円の資金を集め、 2024/02/22に募集を終了しました

能登半島地震で被災された方がふるさとでの生業を継続できるよう”被災者伴走型”のWebメディアを立ち上げ、運営したいです。ドキュメンタリー制作を通して「被災前より地域が良くなる復興」のあり方を社会全体で考えるプラットフォームとなるのと同時に、教訓を未来の災害への備えにつなげる役目を果たしていきます。

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《メッセージ》昨年、朝ドラ『あまちゃん』が再放送されていました。岩手県北三陸が舞台の一つとなっていて、震災のときのことも描かれています。ドラマを見ていて、私自身の震災当時の出来事を少しずつ思い出しました。電車が動かなくなったこと。学校で夜まで待機したこと。ガラケーのワンセグテレビで見た中継に茫然としたこと。友達のお母さんが車で送ってくれたこと。信号機がついていなかったこと。車でもらったラップのシソおにぎりが不安を少し和らげてくれたこと。そして、東北の人たちは今どうしているのか、あれから何を思いどう過ごしてきたのか知りたいと思いました。同時に、そんなことを今思うのは、当時ショックを受けたにも関わらず、震災のことをあまり気にとめなくなってしまったということで、自分の中で次第に過去の出来事になっていたのかもしれないと感じました。再放送が終わり3ヶ月後、能登で地震が起こりました。***報道が次第に減っていく中で。目の前の日々対処しなければならない色々の中で。時間が経過する中で。現に私のように、当事者でなければ記憶や関心は次第に埋もれていってしまうのかもしれません。また、日本という土地柄、自然災害が起こるということは仕方がないことと思えるかもしれません。でも仕方なさの中で、「本当にそのままでいいのか?」という今の気持ちを大切にしたい。だから今自分にできることをしようと思います。だから加藤さんのように現場で行動して、これからに繋げていく人に思いを託し続けたいと思います。***輪島塗やキリコ、ごいた、農業、海の風景、畜産業……。今回のTシャツデザインでは、能登の風土や営みをダイレクトに描きました(他にも数えきれないほどあるのですが)。今回の災害で深く傷ついたり、失われてしまったものもあります。それらを描くことで、能登の日常を忘れない、置き去りにしない、そして、能登のことを思い続けるためものになってほしい。一人ひとりに寄り添い、地域の人にとって理想の復興を一歩ずつ目指すこのプロジェクトの「ONE NOTO」というメッセージとともに、そんな思いを込めています。***元旦に起こった地震から2か月。今でも断水や停電が続いている地域もあるそうです。暮らしも仕事も未だ十分に再開できない現実と、災害はいつも人間の想定を超えてくる現実を見ると、まだまだヒト・モノの支援が必要であると同時に、自分自身が備えるべきこともまだまだあると身につまされます。ご支援をもとにプロジェクトも展開していきます。活動を見守っていただきつつ、被災地をサポートすることでも身の回りのことでも、できることから一つずつアクションを起こす、そんな輪が広がっていったらと思います。《プロフィール》ricky1993年生まれ、東京・町田市出身。慶應義塾大学総合政策学部卒。グラフィックデザイン会社在籍中から広告やパッケージ、店舗装飾、挿絵等のイラストレーションを手がける。


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改めまして・・2月22日23:59、スタート時の目標金額を上回る金額に達し本プロジェクトが終了となりました。ご支援いただいた皆さま、またさまざまな形でご応援、サポートいただいた皆さま、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました!!発災3日後の1月4日の活動開始からこれまでに約30名の方からお話を聞き感じたのは<被災地の外>には伝わってこない<被災地の中>のリアルな声でした。既存メディアに取り上げられない”個別ケース”や、あるケースの”別側面”であまりにも溢れ返っていたのです。30名の被災者がいれば、30通りの”被災の形”があり、30通りの”復興の形”があります。そうした出会いと発見の連続を、どうしても皆さまにもお伝えしたかったのです。私たちが発信していくメディアを通じて「被災地の誰か」から紡ぎ出される表情や言葉が、「非災地(=災害に遭っていない地域)の誰か」の心の変化やアクションを促す原動力となることを願っております。すでに能登半島地震の報道減少が始まっているなか、私たちは能登への伴走を継続していくことでしか当プロジェクトの真価を発揮できません。この度のクラウドファンディングの終了は、これから続く長い道のりのほんの序盤です。引き続き活動を見守っていただくとともに、能登を支えるアクターの一人として、さまざまなご支援に加わり続けていただければ幸いです。今後とも末永いお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。プロジェクト発足者 加藤愛梨/本山幸志郎


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《メッセージ》みなさんこんにちは。映像ディレクターの本山です。本プロジェクトの発起人の一人でもあります。普段はフリーランスで実写の映像制作やライブ配信の仕事をしています。この度は、みなさまのおかげでクラウドファンディングの目標金額に無事に達成することができました。本当にありがとうございました!今回のプロジェクトの立ち上げを通して、ご支援だけでなく、多くの応援や情報提供をいただきました。メンバー2人という小さなところから始めた新しいメディアの取り組みをやることに大きな自信を持つことができました。改めて発起人の一人として、この活動を始めた背景をお話させてください──────────────私自身はこれまで、被災の経験もありませんし、復興のボランティアに参加したこともありませんでした。東日本大震災から8~9年経ってから復興事業に関連する仕事で東北に何度か足を運んだことはありました。しかし、被災地域でどんな人の暮らしがあったのか、どんな未来があったのか、そんなところに全く想像が及ばず、現地を訪れてなお「震災」というものを「テレビの向こうの世界」止まりで認識していました。一方で、映像の仕事を続けていく中で「テレビの向こうの世界」の捉え方が変わり始めました。リアルを撮影するというのは、誰かの「起点」に立ち会うことが多いです。結婚式やらイベントやらはもちろんそうですが、中には「努力してきたことが報われなかった瞬間」だったり「寿命があとわずかな人」を撮ることもありました。そうした経験の中で、本当に当たり前のことなのですが、テレビの向こう(もしくはSNSの向こう)で人が呼吸をし、何かに四苦八苦しながらも生活を営んでいるということをよく考えるようになりました。本プロジェクトのきっかけとなったのは、2022年の静岡県の台風15号による豪雨災害でした。台風から1か月経って報道があまりされなくなった時に依然として倒壊した家屋が放置されているという現状をたまたま知り、「1ヶ月もこの状態が続いていたのか、、、」と感じたのをよく覚えています。 「その1ヶ月はどんな暮らしだったんだろう」「豪雨がなければ今はどんな生活だったんだろう」そんなことを考えました。復旧が長期化すること自体は免れない中で、映像を作る人間としてこれから先の災害のなかでできることはないか...そんな折に当時防災のNPOで働いていた加藤さんとそんなお話をする機会がありました。こうした経緯の中で、今回の能登半島地震の直後に本プロジェクトが立ち上がりました。 現場で話を聞いたり、防災の専門家としてあらゆる経験をしてきた加藤さんとの議論を経て、プロジェクトを形作っていきました。その中で大事にしたいことは、ただ事実の報道をするのではなく、「地域が求める復興のあり方についての建設的な意見を一緒に考え、発信をしていく」ということです。「建設的」という言葉には、実行性があり、必ず次のアクションに繋げていくと、そういった意図を込めています。映像は作ってyoutubeにアップしたらそれで目的が達成されるわけではありません。「テレビの向こうの世界」を少しでも観てる人に近づけるには”こうした情報を能動的に受け取り、対話し、意見を生み出していく場作りとセットで考えていく”必要があると考えています。 そんなことをこのプロジェクトを通じて取り組みたいと思っています。「被災前より良い地域になる復興」が実現できるように継続して努めていきます。 どうぞよろしくお願いいたします。《プロフィール》本山 幸志郎神奈川県横浜市を拠点に活動する映像ディレクター。ドキュメンタリー、コーポレート映像、WebCMなどの制作やライブ配信を中心に行う。1995年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。2019年よりフリーランスとして活動開始。◯Zoh Productions https://zoh-pro.com/


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昨日2月21日(水)21時31分、目標金額を達成しました!掲載開始から36日目、総勢80名超の方からご支援の手を差し伸べていただきました。心より感謝いたします。ありがとうございます!!【FINALゴールへの挑戦】+30万円!当初の目標は達成しましたが、プロジェクト終了の《本日2月22日(木)23時59分》間際までご支援を募らせてください。▼ 最後まで諦めない理由今回のプロジェクトにおいて人件費は一切いただかずに自走しているため、本来映像を公開したいスケジュールに間に合っていない現状があります。そこで映像制作にかかる一部の業務を外部委託し、少しでも早く映像を皆さんにお届けしたいと考えています。また「応援消費プラン」でのご支援を通じて”長田製麺さんへの応援消費”にもまだまだご協力していきたいです。おかげさまでこれまでにご友人へのご紹介やSNSシェアでのご協力をいただき、賛同の輪が拡がっています。どうぞ最後までご協力・ご支援のほどよろしくお願いいたします!


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令和メディア研究所主宰 下村健一様から、本プロジェクトへの応援メッセージをいただきました。時に情報の伝え手として、時に伝え手をサポートする立場として、また受け手側のリテラシー教育にも広く、そして長きにわたってご活躍されています。そんな下村様から、当プロジェクトの目指すビジョンやその背景にある課題へ大いにご賛同いただきメッセージをお寄せいただくにいたりました。下村様、ありがとうございます。下記、お寄せいただいた応援メッセージです。──────────────≪応援メッセージ≫伝えるべき現場からWEBメディアで動画発信―――という着想自体は、今どき特に珍しくは無い。そんな中、僕がここを推すのには、ワケがある。●[震]は収まっても、[災]は続く。だが現場に《外から来る》報道陣は、どうしても《帰っていく》しかない。他にも報じねばならぬテーマが、彼らにはたくさんある。だから、必然的に被災地報道は減っていくしかない。でも、現場に暮らす者が発信の当事者ならば、報道は減らない。日々様相を変えていく[災]の姿を、日常の中で伝え続けることができる。―――このチームはそれがわかっていて、そんな発信を手伝おうとしている。●大規模災害には、避けがたく”有名被災地”と“無名被災地”が生まれる。《外の人》が伝え手である限り、そのマンパワーは限られているから、万遍なく一隅を照らす事は難しい。でも、まさにその一隅に暮らす人が発信の当事者ならば、何も難しい事は無い。こんな支援のニーズが今ここにありと、自ら狼煙(ノロシ)を上げることができる。―――このチームはそれがわかっていて、そんな発信を手伝おうとしている。●復旧よりも、復興ははるかに難しい。どうしても[再び災害に遭わないために]を最優先課題に据える《外の人》と、[何を失ってはならないか]を大切に持っている《中の人》では、悪気はなくともベクトルはズレる。そうした外と中のズレや、中どうしのズレを丁寧に補正していくには、《中の人》がそれぞれの思いを折々に細やかに声に出していくしかない。黙っていたら、ただ巨大土木工事の音に圧倒されるだけだから。―――このチームはそれがわかっていて、そんな発信を手伝おうとしている。●被災地の映像を外から眺めている人たちは、自分たちの居場所も“未災地”に過ぎないという認識がなかなかできず、永遠にこんな目には遭わない“非災地”だと無意識に思い込んでいる。実は、被災地の人たちもまた、発災の寸前まで多くは「まさか自分たちは」と思っていた。そのリアルな悔悟に立脚して、それぞれの居場所(職場なり学校なり家庭なり)に何が足りなかったのか/今どう改めようとしているのかを痛切に当事者目線で語ること。それはきっと、《外の人》たちの[自分ゴト化]への架橋となる。―――このチームはそれがわかっていて、そんな発信を手伝おうとしている。●代表の加藤愛梨と僕が初めて会ったのは、まだ彼女が高校生の時。「僕たちの阪神大震災ノート」プロジェクトのメンバーとして、一生懸命に動いていた。初対面の日、制服の彼女は風邪気味でマスクで顔を覆っていたが、唯一見えていた《目》の力が、僕の記憶に強く残った。物事をまっすぐ見つめて、何が必要かを見出そうとする眼力。―――以来今日まで、彼女の目は変わっていない。期待を込めて、応援したい。《プロフィール》TBSアナウンサーからフリーキャスターへ転身、「筑紫哲也NEWS23」「みのもんたのサタデーずばッと」等で報道現場25年。 2010年、民間任用で内閣審議官に着任。民主・自民の3政権で約900日間、首相官邸の情報発信に従事。 「振り回されない情報の受け取り方・発し方」を指導テーマに、東京大学客員助教授、慶應義塾大学特別招聘教授、関西大学特任教授などを経て、現在白鴎大学特任教授。 若手メディア人の勉強会「令和メディア研究所」主宰、「インターネットメディア協会」リテラシー部会担当。小学校教科書(5年・国語)執筆から企業研修まで、幅広い年齢層のメディア教育を実践中。 ◯主著『答えはひとつじゃない!想像力スイッチ』第3巻(2021年)汐文社『窓をひろげて考えよう』(2017年)かもがわ出版『想像力のスイッチを入れよう (世の中への扉)』(2017年)講談社『10代からの情報キャッチボール入門』(2015年)岩波書店『首相官邸で働いて初めてわかったこと』(2013年)朝日新書『マスコミは何を伝えないか』(2010年)岩波書店『報道は何を学んだのか』(2004年)岩波ブックレット◯Facebook https://www.facebook.com/kenichi.shimomura.359