一般社団法人デイリーストックアクション共同代表の梅沢義明様から、本プロジェクトへの応援メッセージをいただきました。
東日本大震災後、大槌町のコミュニティ構築や地域再生に長期にわたり伴走支援されたご経験から、実際に報道の減少や風化を肌で感じたこと、離れていても心で寄り添うことの大切さを言葉にしていただきました。
梅沢様、ありがとうございます。
下記、お寄せいただいた応援メッセージです。
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≪応援メッセージ≫
◇ここで受け取れる情報は支援のきっかけになるものであり被災された方々の気持ちに寄り添おうとするものです。SNSが発達した今、情報の価値は情報そのものよりもそれを伝えるひとの意図にあると感じます。手渡しするように伝えたい。愛梨さんの言葉からはそうした気持ちが感じられます。
慣れない環境で目まぐるしく変わる状況、遅々として進まない状況、被災した方々は心が追いつかないことと思います。そんな時にマイクやカメラを向けられて苦しい思いを溜め込んでしまわないかと感じる一方で、誰かに話を聞いてもらえる時間が心を保つために必要だとも感じます。
◇私が東日本大震災の被災地に移住して支援活動を始めた時でさえ何かを始められる状況ではなく、ひょっとしたら自分の任期が終わった頃にやっと始められるのではないかと感じました。そしてそれは現実になりました。
そばにいてお手伝いをして聞こえてくる声や表情からどんな未来図を描いているのか情報を整理しながらまだその時ではないと心がけて数年間ただそばにいることを自分の役目としました。
◇長期化による風化の不安は、5年目という節目を意識する頃に顕在化しました。忘れ去られるその不安を4年目にはもう皆が口にしていたと記憶しています。次の節目となる10年まで6年目以降は本当に報道が少なくなりました。
そんな時にそばにいるひと、寄り添えるひと、隣(とな)るひと、何ができる訳ではなくてもそこにいることが安心になったと後年そのことを感謝されました。離れていても心がそばにあると感じられることで力がわいてくる経験をしたひとも決して少なくありません。
◇私の経験から、今はまだ話すことより聞くことに意識を傾ける時です。見たこと聞いたことを記憶し記録し覚えておく。何かを始めるタイミングはいずれやってきます。効率化や数値化するために非効率的な時間や数値化できない作業を厭わないことがこれからの安心につながることを私は肌で知っています。
一次産業を生業としてきた地域らしく成果があるなしに関わらず汗して働いた時間を三陸沿岸では稼(かせ)ぐと表現しますが、そうした時間をともにし、記録し発信することが後の大切なことに気づくきっかけになります。この蓄積が未来の備えになります。
◇被災者は発災直後は情報弱者でもあります。しかしSNSを使い自ら発信しようとする被災者も少なからずいます。そうした声をつないでいくこと、誰かの目にとまり行動を促すようなきっかけとなることもこのプロジェクトの良いところではないでしょうか。
食べられる・入浴できる・眠れるようになり、被災した自分たちの手で避難所の環境改善が進むようになるとやはり思うのは、作業や仕事をしたいということです。「船がほしい。漁に出たい。自分はそれしかできないから…」その漁師の一言が、大きな支援のきっかけになったことがありました。言葉が持つ力を強く実感しました。
◇やり場のない怒りや悲しみの中でも自分たちの故郷のために声をあげ続けるひともいます。しかし役に立ちたいと思えば思うほど疲弊してあきらめるようになってしまいます。
フェーズが進んでいくと予算化とともに様々な専門家がやりたいことを実験するように事業が進められます。地元のひとはワークショップで疲弊して、次第に誰かに期待しなくなっていきます。出来レースに巻き込まれるような思いから自分の気持ちに蓋をします。
その時、置き去りにされるという感情が被災地を埋め尽くします。結論ありきの事業、その時感じた違和感を声にする、その時のためにも記録する、感情・心の動きを。そんな先々をも見据えて。
◇10年経って変わらなかったことがあれば13年経って始まったことがあります。できなかったことは永遠にできないのではありません。
今はまだできないけれどいつか故郷のために役に立ちたい。そう思う子供たちに対して大人がどんな背中を見せられるでしょうか。何を残せるでしょうか。
◇私が見た町には絶望の色のない世界が広がっていましたが、今は笑顔で彩りのある世界をつくろうとしています。身も心も凍るような季節に被災したからこそ、能登半島の皆さんを自分のこととして感じ力になりたいと思っているひとはたくさんいて、中にはあの時受けた恩を返そうと既に被災地で活動して帰ってきたひともいます。
大丈夫。皆さんにもいつかその日がくる。この活動に賛同するとともに私もでき得ることに心を込めて参ります。
《プロフィール》
東日本大震災の復興支援で甚大な被害を受けた岩手県大槌町に大槌町復興推進隊として東京から移住。町内外のスポーツ及び子育てイベント等の支援を通じて地域コミュニティの構築に努め復興後を見据えた地域力の再生に尽力。2019年にラグビーワールドカップ釜石開催において大槌町の事業者をとりまとめ町産品等の海の幸・山の幸でスタジアム飲食ブースに出展。大盛況となる。2018年にデイリーストックアクション実行委員会を立ち上げ家庭の食料備蓄推進活動を始める。関東大震災から100年目の2023年に法人化し一般社団法人デイリーストックアクション(以下DSA)共同代表となる。岩手県立釜石高校の防災伝承グループ夢団(ゆめだん)とともに常温保存できる岩手県産品の紹介やアレンジレシピの紹介等ご当地DSAの小冊子を作成し、3.11のイベント等で配布や活動展示を行う。
大槌町での任期満了の後、釜石シーウェイブスRFC(現日本製鉄釜石シーウェイブス)で事務局総務となり復興のその先を見据えてスポーツを通じた交流や情報発信を担う。
現在は、ライフワークとして全国の小児病棟の慰問を行うほか、2022年より一般社団法人笑顔プラス子供支援協会理事として、児童養護施設や自立支援ホームの子どもたち、ひとり親家庭の親子の機会格差を小さくする活動を行っている。2023年よりラグビーチームのクリタウォーターガッシュ昭島の運営支援を行っている。