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【石川県能登】需要に反して縮小した在宅医療支援|訪問看護ステーションを創りたい!

能登町は在宅医療のニーズが高まる一方で人材不足の問題を抱えています。震災を受けて既存の訪問看護ステーションは縮小。その反面、高齢者や医療を必要とする人は「能登町で暮らしたい」と訴えています。そんな能登町で訪問看護ステーションを立ち上げ安心して生涯暮らせる町にする為のご支援をお願いします!

現在の支援総額

2,275,000

113%

目標金額は2,000,000円

支援者数

199

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/05/12に募集を開始し、 199人の支援により 2,275,000円の資金を集め、 2024/07/19に募集を終了しました

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【石川県能登】需要に反して縮小した在宅医療支援|訪問看護ステーションを創りたい!

現在の支援総額

2,275,000

113%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数199

このプロジェクトは、2024/05/12に募集を開始し、 199人の支援により 2,275,000円の資金を集め、 2024/07/19に募集を終了しました

能登町は在宅医療のニーズが高まる一方で人材不足の問題を抱えています。震災を受けて既存の訪問看護ステーションは縮小。その反面、高齢者や医療を必要とする人は「能登町で暮らしたい」と訴えています。そんな能登町で訪問看護ステーションを立ち上げ安心して生涯暮らせる町にする為のご支援をお願いします!

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能登町在宅避難者の実態#1.発災時、私は輪島市の訪問看護ステーションみなぎの利用者様のお宅に訪問していました。アラートと大きな地鳴りが響き渡る中、お家の柱が大きく揺れ動き、目の前にある物全てが倒れ、いつもの地震(震度5程度)とは比べ物にならない程の恐怖と、死を感じる時間でした。輪島市を出て私が住む能登町に帰れたのは1月6日のこと。実家の家族の顔を見てすぐに、避難所になっている近隣の中学校を訪れましたが、避難所内には町内在住の看護師が避難しており、充実とは言えない状態ではありましたが避難所を離れ、役場の健康福祉課に同様に確認しました。役場は発災から6日経った中でも避難所での看護師の配置などの確認ができていない状況にあり、知人を頼りに在宅避難者の健康チェックに巡回することとなりました。その時に出会った70代、男性、独居、前立腺癌ステージⅣのH様。民生委員の方からご紹介を頂きご縁を頂きました。初回訪問時から笑顔で受け入れてくださり今でも継続してボランティアとして訪問している方です。初めてお会いした1月6日(発災から6日目)|困られていたこと①処方されている残薬が10日間分しかない…当初はかかりつけ医の病院も被災し診察や調剤が困難な状態。病院に電話で確認。その後、近隣の病院で処方のみの対応が可能となったため、抜けなく継続して内服することができた。※年始の休み明けに受診の予約を入れていた方も多く残薬が底をつき内服できない期間が続いた方もたくさんいらっしゃいました。また、地域柄、車で1時間半~2時間かかる遠方の病院がかかりつけ医の方も多く困っている方にも同様に病院への問い合わせをして対処方法を確認する等の対応をしました。②新しい情報がひとつも入ってこない…TVが壊れて映らず、高齢独居ということもあり新しい情報を得る手段がなかなか難しかったと話していました。訪問した際にはスマホで情報を伝え、気になることを一緒に調べる等の対応をしました。※若い世代はスマホやパソコン、SNSを通して情報が満ちている中、高齢者の独居や、高齢者夫婦の方は情報が少なく、炊き出しの時間や場所、支援物資の配布場所もわからず困っている方が多くいらっしゃいました。③配食サービスが休業…震災前は3食、配食サービスを利用していましたが、震災後はどこの配食サービスも休業となり、現在も昼食分のみの配食サービスの利用となっています。訪問時に支援物資のパンや飲料水、おにぎりや、焼き芋などを持って行っくと嬉しそうに食べてくださいました。高齢者独居ということ、癌を患っていることから、管理された食事であることが望ましい理由がたくさんある中で、支援物資のカップラーメンやインスタントのカレーなどを毎日毎食続くことで震災後、体重コントロールが好ましくなく、浮腫や息切れ動機、血圧の上昇などの症状が顕著に表れていました。④水が重たくて給水場から運べない…他の方の巡回を終えて駐車場に向かって歩いているところ、H様が3リットルの水を持って歩いているのを見かけ声をかけました。するとお家で話している時のH様とは顔色が違い、喘鳴も聞かれ「しんどいけどね、歩くのもリハビリだからね」と重い水を運んでいました。それからは、巡回で訪問した際には給水所まで一緒に出かけ、私が水を持ち、一緒に歩いて取りに行くように対応しました。当時は雪が積もっていた日もあり転倒のリスクも高い日が続いていました。毎日必要な水ですが、私も毎日は行けないため、近隣の焼肉屋をしている知人に声をかけて協力を仰ぎ、持っていってもらったこともあります。※上の画像は能登町宇出津の給水所の写真ではございません。私だけの力では何もできませんでした。いろいろな方が「ここに1人で住んどる高齢の人おるわ!」「うちの親見に行ってほしい」「うちの子熱あるんやけど」「この人に聞いたら町の人のことよく知っとるわ!」とご縁を繋いでくださったからこそ出来たことです。また、町内の人との昔ながらの付き合いがある能登町だからこそ広がった輪だと思います。ご協力くださったみなさん、お声掛けくださったみなさん、本当にありがとうございました。発災から4ヵ月|H様の現在の声5月9日、巡回のため訪問した際に、H様はこんなことを話してくれました。「田中さん!え〜、今日も来たの?!あんたって人は!ありがとう!握手!田中さんの顔を見るとすごく安心するんだ!県外からきてくれてたボランティアの看護師さんたちは、もう3月でバッタリと来なくなったよ。やっぱり地元の人が、地元の言葉で寄り添ってくれるのが嬉しい。次来るまで元気で待っとるからね!また来てね!」訪問時に笑顔で迎え入れてくださり、いつも元気な姿を見せてくれるH様ですが、病気を患う独居の不安は全くないわけではないとも話します。4ヵ月経った今、ボランティア団体は格段に数が減り、在宅を巡回する対象者や回数も減ることで、更に高齢者や在宅で療養する人たちは不安を抱えて孤独を感じてしまうことが懸念されます。巡回の目的はもちろん、健康チェックですが、知った顔の人が定期的に、自分のことを気にして会いに来てくれるという安心を感じて、孤独を感じないように。「住み慣れたお家で生きていきたい」どんな方でも当たり前のようにお家で暮らすことができるように、私は訪問看護師として能登町の皆さんのお役に立ちたいと思っています。訪問看護師 田中美穂


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リターン協力者|したひら鮮魚店の奥様にお話しを伺いました!世界農業遺産認定の町、能登町宇出津にある「したひら鮮魚店」さんは1912年に創業し、地元の宇出津港で毎朝仕入れる新鮮な魚を全国にお届けしている魚屋さんです。私は、訪問看護師でありながら能登の海を愛し、能登町で海女さんになりたい夢をもっており、少しの間、宇出津港の朝の競り場に足を運んでいた日がありました。その時にメラメラとオーラを放ち、水揚げされた魚やイカ、タコ、貝類を的確に目利きし競り落とす「したひら鮮魚店」の親子に出会いました。次から次へと目利きした美しい魚を競り落とす3代目の下平勝則さん。そして競り落とした魚を、黙々とひとり、迅速かつ丁寧にその場で神経締めや、血抜きをしていく4代目の真澄さん。ただ海が好きなだけの素人の私でもわかる112年の長い歴史を感じるものが「したひら鮮魚店」さんにはありました。そして、今回お話しを伺ったのは、4代目の真澄さんの奥さんである扇さんです。扇さんは、元気の塊のような人で、震災後もインスタグラムを通して、水道が出ない中での暮らしの工夫や、それでも明るく元気に「したひら鮮魚店」を再開したこと、移動販売で少し離れた山間地や僻地の方を応援してくれていました。そんな扇さんに今回はお話しを伺いましたのでご紹介致します!**************************************「なぜか能登町で生きていく未来しか想像できませんでした」震災時、家族で出かけていて能登町にいなかった私たちは一刻も早く能登町に帰ろうと車を走らせましたが地割れに阻まれて能登町に帰ることができず県内の親戚の家に数日泊めてもらい、生業にしている魚屋を営業することも、生活していくことも困難なのではと思い、夫婦で話し合いました。そして余震が続く中で夫ひとりが先にぐちゃぐちゃになった自宅に戻り、その数日後に子供2人と私も自宅に戻ったのは、2024年1月13日のことです。発災から13日、能登は変わり果て、自宅も傷だらけ。それでも帰ってくると「やるしかない」という気持ちになりました。なぜか能登町で生きていく未来しか想像できませんでした。それが私たちの能登なんです。とても不思議なんですが能登町で生きていくことを決めた理由はあるようでないのかもしれません。ただ、暮らしの続きを始めようと思っただけかもしれません。皆さんに生まれ故郷、育ててもらった故郷があるように能登町という土地に育ててもらった私たちの故郷に恩返しをしたい。傷だらけの能登町に元気を吹き込み、誰からも愛される能登町になるように私たちは魚屋として頑張ります。「私の母親も看護師をしていました」私が小さいころから、具合が悪くなった人を見ると真っ先に助けに行く母でした。見ず知らずの人に寄り添って介抱している母の姿を何度も見たことがあります。地震で母が住む家も柱が傾き、床も抜け、住める状態ではなくなりました。そんな中、大事な物だけ家から出すときに「パルスオキシメーター(動脈血酸素飽和度を測定する装置)どこいった!」と探していたんです。その時私は思わず笑ってしまいましたが母の「看護師」の姿を見せられたようでした。能登町は限界集落と言われ、さらに被災し過疎が加速して助け合える人も減りました。二次避難されている高齢者や医療を必要とする方は能登町に帰ってくることが難しくなり困っています。田中美穂さんは、私の「親友」と呼びたい大切な人です。田中美穂さんは本気で看護の気持ちを持っている方です。彼女は本気です。人見知りな彼女が、ここまで熱い気持ちを持ってクラウドファンディングに挑戦すると決め、今も不安と闘いながら頑張っています。彼女は訪問看護ステーションを立ち上げて能登町で生きると決めた人たちに寄り添いたい一心なんです。能登町で訪問看護や在宅医療を必要とする方に寄り添いたい彼女に、今は皆さんが寄り添ってあげてほしい。彼女のためにも、能登町のためにも、皆さんのご支援が必要です。能登町で安心して「生きる場所」と「最期の場所」を自由に選択できるようになりますように。そして能登町にご家族がいる方は、どうか田中美穂を信じてください。皆さんの大切な人が救われますように。したひら鮮魚店  下平 扇**************************************▼したひら鮮魚店さんのお刺身が食べられるリターン商品〈食べて応援!能登のお刺身盛り合わせ〉・2人前:15000円のご支援を頂いた方へのリターンとしてご用意致します。・4人前:25000円のご支援を頂いた方へのリターンとしてご用意致します。・6人前:35000円のご支援を頂いた方へのリターンとしてご用意致します。皆様のお力添え賜りますようお願い申し上げます。