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【石川県能登】需要に反して縮小した在宅医療支援|訪問看護ステーションを創りたい!

能登町は在宅医療のニーズが高まる一方で人材不足の問題を抱えています。震災を受けて既存の訪問看護ステーションは縮小。その反面、高齢者や医療を必要とする人は「能登町で暮らしたい」と訴えています。そんな能登町で訪問看護ステーションを立ち上げ安心して生涯暮らせる町にする為のご支援をお願いします!

現在の支援総額

2,275,000

113%

目標金額は2,000,000円

支援者数

199

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/05/12に募集を開始し、 199人の支援により 2,275,000円の資金を集め、 2024/07/19に募集を終了しました

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【石川県能登】需要に反して縮小した在宅医療支援|訪問看護ステーションを創りたい!

現在の支援総額

2,275,000

113%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数199

このプロジェクトは、2024/05/12に募集を開始し、 199人の支援により 2,275,000円の資金を集め、 2024/07/19に募集を終了しました

能登町は在宅医療のニーズが高まる一方で人材不足の問題を抱えています。震災を受けて既存の訪問看護ステーションは縮小。その反面、高齢者や医療を必要とする人は「能登町で暮らしたい」と訴えています。そんな能登町で訪問看護ステーションを立ち上げ安心して生涯暮らせる町にする為のご支援をお願いします!

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いつもプロジェクトの応援、ご支援、本当にありがとうございます。5月12日から始まったこのプロジェクト、7月19日を以って終了となりました。ご支援総額 2,275,000円ご支援者数 199人沢山の方からの温かいメッセージ、私自身も把握しきれない程のSNSや口コミでの拡散、ご支援、心より感謝申し上げます。6月末に3年間沢山の学びを頂いた輪島市の訪問看護ステーションを退職し、現在は能登町での活動ができるように準備をしております。今後の活動としては能登町の仮設住宅を巡回している団体と協力し能登町の住民の方々の現状と在宅医療を必要としている方や、能登町の医療機関・福祉事業の方との繋がりを構築しながら訪問看護ステーションの立ち上げに尽力して参ります。同時に、お礼のメッセージやリターン商品の発送準備を致しますので少々お時間を頂くかと思いますがお待ちいただけると幸いです。これからも能登半島の復興を、温かくお見守り頂けますよう宜しくお願い致します。訪問看護師 田中美穂


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皆様のおかげで目標金額の200万円を達成致しました!心より感謝申し上げます。クラウドファンディングを公開した日、数分後には3名の方のご支援を頂いて、胸が熱くなったことを覚えています。そこから沢山の方がSNSなどで拡散をしてくださったり、イベントでよびかけてくださったり、店舗にチラシを貼ってくださったり、社内ホームページでの記載や会社を挙げて応援してくださったり、毎日応援のメッセージが届き、いつの間にか能登町に訪問看護ステーションを立ち上げることは、私ひとりの夢ではなくなっていきました。そして、能登町に住んでいる方や、能登町出身の方からも応援の声やご支援を頂き、この夢が必要とされていることを改めて感じることができました。このクラウドファンディングにかかわってくださったすべての方に、心より感謝申し上げます。また、7月19日まで挑戦は続きます。一般的に訪問看護ステーションを立ち上げるには1500万円の資金が必要と言われています。こちらでご支援頂いた資金は必要な備品の購入に当てさせていただきたいと考えています。ここからはネクストゴールの金額設定をせずに、引き続き継続させて頂きたいと思っています。最終日の7月19日まで、応援よろしくお願いいたします。


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被災はまだ終わっていない!6月3日、6時31分、大きく揺れた朝。揺れと同時にアラートが鳴り響き、あの日を思い出しました。ただただ怖かった。何も考えられなくなった。揺れがおさまってから家の中を見渡すと、やっと片づけた家の中は、またしても乱れた。気持ちの整理がつかないまま、家族、利用者様、在宅避難者の巡回をしていた方に電話で安否確認をしました。不思議と安否確認をしている間は気持ちが立ち冷静になれました。安否確認をしながら感じたことは、声を震わせながらも気丈に話す人が多く、能登の人はやっぱり強いなということ。そして、強さの中に能登で生きることの決意を感じました。しばらくす恵ると何事もなかったかのように仕事に行く人、草刈りをする人、学校に行く子供たち。なんとも不思議な光景に移りました。毅然とした態度でいなくては不安と恐怖が襲ってくる。ただ、この場所で生きることが当たり前のことだから普通の生活を送っているだけで怖くない人なんて居ないし、平然な人なんて居ないんだろうなと感じました。私事ではございますが、賃貸で借りていたお家もまた、一部損壊という罹災証明書が届きましたが修繕箇所がたくさんあり、持ち主様から賃貸解除の申し立てがあり引っ越しを余儀なくされました。エアコンの室外機が故障しているため本格的な夏が来る前には次の住処を決めなくてはならない状況です。震災後、職場を片づけ、事務所も引っ越し、家がやっと片づいたと思ったらまた引っ越しです。既に風化してしまった出来事のように時間だけが過ぎて行っていますが、まだまだ何も終わってないし、これからまだまだ乗り越えていかなくてはいけない事実と向き合ていかなくてはならないことが出てきそうです。「心機一転の時」と信じて気を強く持ち、一つずつ前に進みたいと思います。


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故郷を思う気持ち、故郷に残る人を想う気持ち、永遠の課題。私は、発災後、1月6日に輪島市から能登町に帰ってくることができました。その日から在宅避難者の健康チェックをしています。当時はSNSでの拡散や、知人からの繋がりでご縁を頂き多くの方のご自宅へ巡回させて頂きました。また、現在も必要な方には巡回を継続しています。巡回させて頂いた方の中で、能登町宇出津に親御さんが住んでおり、ご自身は地元を離れて暮らしている 本谷美果さん から当時の貴重なお話しを伺うことができたのでご紹介したいと思います。*******************************************これから日本全国で課題になってくるであろう問題に立ち向かう美穂さんを、私は応援します!私の地元は能登町宇出津です。60代の両親が宇出津に住んでおり、元旦の発災時、私は3歳の娘と東京におりました。当時は正確な情報も入ってこない中でテレビの中継と地元にいる友人や知人のSNSから僅かにあがってくる情報のみが頼りで、能登行きの飛行機も欠航になり現地に赴く手段もありませんでした。私の母は高血圧の薬を飲んでおり、以前から腎臓の持病を患っておりますが、かかりつけ医に行けない状況に、慣れない避難所生活を送っていました。その後も災害関連死が不安視される中、両親の健康状態に不安ばかりが募る日々でした。どうしようもできない状況をただ遠くから心配することしかできませんでした。能登町の宇出津地区は祭りが盛んなため、おそらく他県に比べて町内や地域の繋がりが深いため自分の両親だけでなく 「町内の●●さん、●●さん、ご近所の●●さん、●●のお父さん、●●のお母さんどうしとるかな…みんな大丈夫かな…」そんなことばかりが毎日、頭の中をぐるぐるしていました。私だけでなく、金沢や、能登から離れて住む友人知人からも、能登に住む両親や親戚を心配する声をたくさん聞いていました。悶々と心配することしかできない中、SNSで美穂さんが能登町宇出津で在宅避難者の健康チェックに回っている事を知り「私に何かできることがあれば言ってください」「ご両親はどこに避難されていますか?」「健康チェックに伺います」と声をかけてくださいました。病院も行政も被災し、みんなが手一杯な中でどんなにこの一言が心強かったことか。世の中、思っていてもこんな大変な時に、会ったこともない人のところに行って、健康チェックをするという行動に踏み切れる人ってなかなかいないと思うんです。本当にこんなことができる人がいるのか!と驚きました。そして両親だけでなく、ご近所の繋がりも把握して頂き、町内やご近所さん、両親の友人のところへ、通るのもやっとな道のりを出向いてくださり、隈なく健康チェックをしてくださいました。この出来事は、まだ発災後間もない1月のことでした。私自身、両親やご近所さんの健康を確認してもらえたことで、発災以来初めて心から安心できましたし、何より健康チェックを受けた母や、ご近所さん達がとてもうれしそうに話していたのを覚えています。発災以来、余震が続き、住んでいた家も傾いたり潰れたり…慣れない避難所生活で明日の生活がどうなるかもわからない状況で…実際に訪問して頂き健康状態を看護師の方に診てもらえるというのはどんなに心強かったことか。そして、それが能登町にいる看護師の方だということが両親にとっても地域の方々にとっても、そして遠くに暮らしている私のような娘の立場からしても、本当に心強いのです。生きる場所、死ぬ場所を選択できる能登町にするため、そして能登だけでなくこれから日本全国で課題になるであろう問題に立ち向かう美穂さんを私は応援し続けます。能登町宇出津 本谷 美果*******************************************令和6年1月1日の発災時に能登半島に居なかった人も、ご家族や親族、知人、友人が能登半島に居る人は、心の傷が大きく残った被災者だと私は思っています。また、当時はお正月だったこともあり実家に帰省していた方も沢山いらっしゃいましたが、ご家族を置いて自身が暮らす場所に戻らざるを得ない方も同様に心の苦しさや、もどかしさを今も持ち続けていると感じています。これは震災前も、そしてこれからも同じように「親御さんから離れて暮らす子どもの世代」は、「離れて暮らす親御さんの健康と向き合う時」に永遠の課題になると感じています。この事を、他人事と思わずに、いずれ自分の身にも起きることなのかもしれないと心の片隅に置いて頂けるといいなと思い、本谷美果さんから頂いた言葉をそのまま掲載させて頂きました。本谷美果さん、ご家族の方、大変貴重なお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。どうか、沢山の方へ、この震災で得ることができた「故郷を思う気持ち」、「故郷に残る人を想う気持ち」が届きますように。訪問看護師 田中美穂


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私がクラウドファンディングに挑戦することを公開した時に石川県内で働く看護師さんからメッセージを頂きました。「地震の前から能登町の自宅に帰りたくても資源が少なく、帰れない方がたくさんおられました。能登の在宅医療の充実を心より願っております。」「能登半島で生まれ育って、最期を能登で迎えられてよかったと思える人が増えてほしいです。能登町の在宅医療の実態が厳しい中で、田中さんのような方が居てくれてよかったです。一緒にお仕事ができるのを楽しみにしています!応援しています!」このメッセージを読んで、改めて答え合わせができた気がしました。能登町に住む人は、近隣のかかりつけ医の他に、七尾市や金沢市の病院にも通院している方が多くいます。また、大きな手術が必要になると遠方の病院で手術をして自宅に帰ってくるケースが多くあります。頂いたメッセージのように震災前も能登町では在宅医療の資源が少なく「生きる場所」「最期の場所」を自由に選択できない状況でした。震災後は若い力が能登を離れるなどの人材の不足と、建物の損壊などにより在宅支援事業の縮小が加速しています。入院先の主治医が「能登の家に帰っても、これだけの在宅支援者がいるなら安心して退院支援ができる」と思ってもらいたい。在宅支援を支えるには「在宅医」「協力医療機関」「訪問看護師」「薬剤師」「理学療法士」「ケアマネージャー」「ホームヘルパー」「福祉用具専門相談員」などの多職種の協力が必要になります。その中で訪問看護師は主治医やケアマネージャー、ホームヘルパーなどと連携して病状の確認、医療処置や医療相談、療養のお世話などを行います。緊急時の対応とともに利用者様や家族の心身のケアにあたり、介護指導を行うことで家族ケアの中心の役割を担っています。在宅医療が整っていれば「退院して能登の自宅に帰っても大丈夫だ」と思ってもらえるような、そんな訪問看護ステーションを立ち上げたい、そんな訪問看護師でありたいと思っています。私は、まだまだ勉強中ではありますが、主治医からの訪問看護指示に応じて、0歳児から高齢者、精神の方まで、日ごろの食事介助、経管栄養管理、排泄介助、内服管理や、入浴介助や清拭などの清潔ケア、褥瘡防止ケアや処置、フットケア、口腔ケア、人工肛門や人工膀胱のストマ管理、カテーテル管理、点滴や注射管理、HPNポンプやPCAポンプ管理、人工呼吸器の管理や吸痰などの医療行為、認知症ケア、終末期ケア、疼痛緩和ケア、看取りのケアなどを必要とする沢山の方とご縁を頂き、沢山の経験をさせて頂きました。(厚生労働省ホームページより引用)訪問看護を必要とする方は、高齢者だけとは限りません。どんな方でも住み慣れた自宅で暮らしたいと「生きる場所」を自由に選択できるように、どんな方でも大切な人が住む心地のいい場所で「最期の場所」を自由に選択できるように、お手伝いできたらと思っています。石川県内で働く看護師さんからのメッセージは、私の不安な気持ちに強く追い風を吹かせ、背中を押してくださいました。「帰りたい」と思っている能登町の方が安心して帰れる場所になるように尽力して参ります。訪問看護師 田中美穂