【内灘町、輪島市町野、能登町柳田 野菜支援】7.10関東から日の丸復興隊の支援がやって来てくれました。トラックに満載した、キャベツ、胡瓜、玉葱。まずは、西荒屋公民館へ(液状化甚大)次に輪島市町野へ(被災時孤立、今だに道に崩れた家有)時間がなくて南志見には行けなかった帰り時に柳残りを柳田へ預ける。明日、珠洲方面へ届ける予定。土砂降りの雨の中、ずぶ濡れになりながら5時間の移動と配布作業。小中学生に戻ったかのようなスイッチが入って楽しい厳しい環境の中も、皆に笑顔が広がる始めは、誰⁈という視線で話していた方々も濡れ鼠になりながら笑顔で野菜を一人一人に届ける隊員に笑顔溢れる駐在するボランティアの方々も、手伝ってくれる。真心の絆は自然に繋がります。こうやってできていくのが社会なんだなぁと教えられます。二十代の青年も働く。本物に逞しく育って欲しいと祈りつつ。金沢に帰った夜、雨に濡れながら2時間歩いて家に帰りました。帰宅は明け方4時。3時に通り過ぎた豆腐屋さんが仕込みをしていました。なかなかタフな一日でしたが、皆様のお力添えで、人生最後の日だったとしても悔いのない日になりました。
【公費解体できない内灘の家々】冒頭の画像の異常さにお気づきだろうか。張り紙が貼ってあるから、被災した家なんだろうなとはき気付かれるはず。しかし、通常の地震被害とは異なる。右下に祠がある。なんと屋根以下の部分が地面に飲み込まれている。これが「液状化現象」である。内灘地区は、西荒屋・室を中心に、地形が全く変わる被害を受けた。河北潟に向かって砂丘部分(内灘全体)が滑るように落ち込み、液状化現象で家々が地面に飲み込まれたりした。最大で12mも家が移動してしまったところもある。京都大学の教授による調査では、「前代未聞」とのことである。(コロナを理由に早々と閉鎖された西荒屋小)問題点中には、家が壊れていなくて、地面が裂けたり変形している住宅もある。これ、実は公費解体ができないのだ。建物が半壊以上ではないので、公費解体には当たらないと判断される。だが、地面が裂けたり、隆起・陥没している土地に住めるはずがないので、整地するにしても家は壊すなり移動が必要である。しかし、解体費用の数百万円は、自腹で出すことになる。内灘町は、被災から6ヶ月目だが、地域住民の7割が未だ他地域で暮らしている。私の教え子の奥さんとお子さんとお話をしたが、壊すに壊せず、傾いた家に住むしかないので、そこに住んでいるという。自分の教え子が、そんな状態の中、家族を守って頑張っていると思うと、思いが込み上げてくる。6ヶ月目。なぜ、生殺しのままに放置しておくのか。人間は生きている。希望を失った人は、自ら命を断つ。能登半島地震でも、次々にそういう悲劇が起きているが、様々な理由で災害関連死や自死にカウントされない。「無かったことにしてよしとする。」私は、こんな日本でいていいはずがないと思っている。
この度は、本クラウドファンディングへのご支援をいただき、心より御礼申し上げます。この1ヶ月間、金沢と能登を毎週往復していました。◆田尻虎蔵商店さんについては、機械の修理が終わり、現在はお茶の生産を再開しております。 現在、被災で失ってしまった販売先の開拓が課題になっていますが、頑張っています。◆弊社オールブレイブスについては、事業の方向転換をすることになりました。 親の実家や親戚のほとんどが被災しているため、既存の自分の事業を9割停止しつつ、支援する必要があったためです。 結果は、自分の親戚というよりは、能登の再興のために全国を走りまくることになりました。 皆様からいただいた温かい心を勇気と希望に変えて、走りまくることができました。 仕事と支援の両立は難しいものだと改めて身に沁みてわかりました。 私は根っからの商売人ではないようです。 今後は、能登への支援方法を変化させてより一層共に歩みつつ、新たな事業の構築に向けて走ってまいります。◆クラウドファンディングに協力してくださった「らーご様」「紀州甘辛屋様」「日栄様」「重親様」、本当にありがとうございました! みなさまに勇気をたくさん頂きました!! みなさまの力は、能登復興への大きな力になりました。 不定期ではありますが、今後も活動報告はしたいと考えています。 Facebookでは、ややこまめにしております。 良かったら、友人登録を申請してください。 最後になりましたが、ご支援と応援をいただいた皆様の、益々の御健康と御多幸と御長寿を心よりお祈り申し上げ、石川の地から心よりの御礼とさせていただきます。泊 和寿
3月11日、能登半島地震の被災地を両陛下が3週間ぶりに訪問されました。今回は、穴水町と能登町。両陛下は、住民が亡くなられた場所では、必ず1分間の黙祷をされます。住民の方とお話しする時には、必ずかがんで、目線の高さを合わせてお話をされます。日本の天皇陛下を、世界中の王室や権力者、人々が尊敬して別格扱いをしている理由が、このお姿からも窺えます。私達も、心の支えにして頑張っていこうと思います。
【戦地にタイムスリップしたかのような状態】約3ヶ月経った今も、輪島はほぼ元旦のままです。大通りは一応瓦礫は寄せられていますが、一本横道に入ると今だに道は瓦礫が散乱し、歩くのもままならず、倒れた電柱の下を潜って進む有様です。復興作業をしているはずの外部ボランティアは1人もいません。人気が無く、シーンと静まり返った市内は、被災後に燃えたりひっくり返った車でさえ、放置されたまま錆だらけになっています。海岸で、パワーショベルが2台動いている音が聞こえるだけです。調査に同行してくれた防災士さんと一緒に歩きましたが、人っこ一人、犬猫や、春なのに鳥さえもいません。「ウクライナに来てしまったみたいや....。なんで誰もおらんのか....。」被災の様子はもちろんショックですが、3ヶ月間放置状態であることが、あまりにショックすぎて、思考が停止してしまいそうでした。ほんの一部の業種以外への再建支援はありません。復興したいと願っている、輪島市民とボランティアが輪島に入った時にどんな気持ちになるか.....。滅びゆく能登を救いたいと表明することは、実はかなり覚悟が必要なことです。誰も取り残さない!今、人間であることの真価が問われていると、身を引き締めて生きています。