【砂丘地盤の液状化】河北潟と日本海の間には、内灘砂丘があります。大きな大きな砂丘ですので、何本もの道が通り、町がいくつも出来ています。海と潟に挟まれた内灘地域では、地震の揺れによる建物倒壊とは異なる深刻な液状化被害の実態が甚大でした。「全て元通りにします!」と、被災者への声掛けから半月、2月半ば近くなっても再建の見通しが立たない中、町長は被災した地区ごと避難する“集団移転案”に言及しました。人のいない町にするということです。私の思い出深い小学校は、校舎が地面からちぎり取られて置かれたかのように、地面との間に裂け目ができてズレていました。私がボランティアと訪れたときも、視察に来ていた方々がいました。あまりの酷さにショックを受けたのか、みな絶句状態のようでした。かく言う私も、ショックで思考が停止しそうでした。ですが、たとえ思考が停止しても、本能で復興の為に小さな行動を起こし続けるしかない。絶望しても歩いていれば、必ずよい変化が起きるはず。「破壊は一瞬、建設は死闘」だから、対処療法だけをして満足する時代は終わらせねばならない。予測し予防することに重点を置くことの大切さ。行動変革をせねばならないと。そう痛いほど思うのでした。クラファンの拡散と支援の拡大に、謹んでご協力をお願い申し上げます。
【門前町の被害と復興】地震により最大4m隆起し、海だったところが陸になって海岸線が240mも先になってしまった門前町。防波堤の向こうは海で、釣りもできたのに...防波堤の向こうは、砂浜とゴツゴツとした岩場。岩に付いていた海藻が白く乾いてパサパサに風化しても、門前の復興は一向に進みません。被災から3ヶ月目。砂浜を道一本挟んだ向こうに仮設住宅が大量に建てられ始めました。横には川が流れています。能登半島地震では、津波の被害を受けました。小学校低学年の子どもが津波にさらわれたニュースは恐ろしく衝撃的でした。もし、海と川のそばに仮設が完成したら.....門前の方々は喜んで入るのだろうか?私ならば、かなりの不安があるので、入りたくない。。。。仮設ではなくて、ボランティアや復興の方々の宿泊拠点?!素早く、配慮された復興が望めないほど、能登半島は深刻で甚大なダメージ。人が帰れない町の事業者は店を畳むしかない。だから、それを防ぎたくて、このクラファンを立ち上げました。一件だけが復活しても、他の店が廃業すれば能登は消滅します。この厳しい現実が迫るのに耐えながら、能登の人々とボランティアの方々は一生懸命です。いま、能登に必要なのは、不安や絶望を忘れさせてあげることではなく、不安を勇気に、絶望を希望に、一緒に変えてあげること。私はそう信じています。この思いとクラファンを広めることに、皆様の力を少しだけお貸しください。「君をのせて」「ポニョ」を聴きつつ 2024.3.25 AM0:54 泊 和寿
【3月18日】輪島に入りました。お茶を売ってくれていたお店が焼けて無くなっています。お店だけではなく、輪島の町が見える範囲全部、焼け野原になっています。3ヶ月経とうとしている今もなお、景色は1月1日のままです。阪神大震災時の東灘区を見ているようです。ボランティアはおろか、復興に働いている人はほとんど見られません。炊き出しをしている場所へ行くと、数名の方がカレーを作っていました。昼になると10名ほどが食べに来ました。市内最大の繁華街で10名。海岸線で2台ほどの重機が動いている音以外、何も聞こえない。能登の個人に義援金が届くことはありません。復興を諦めた方が増える一方です。このままでは能登は無くなってしまいます。深刻な状態です。復興クラウドファンディングにご協力をお願い申し上げます。
【3月17日】田尻虎蔵商店のお茶焙煎の機械を修理し、稼働できるようになりました。地震当初、大きな機械が動いてズレ、ガス管が千切れて切れるなどの被害が出ました。幸い、被災が正月であったためにガスの元栓が閉められており、ガスが漏れて大きな被害になることは避けられました。機械が修理された後も、被災前と同じようにお茶を焙煎できる設定に戻すのに大変苦労したそうです。なんとかお茶作りを始めていますとのこと。水道は、同日に外回りだけ復活しましたが、泥水が出てくるので当分は飲食用には使えないとのことでした。みなさんの、ご支援に心から感謝申し上げます。https://youtu.be/fuvnV986TlA
【備考欄に何を書くか】支援を決めて、住所など必要情報を書いていくと「備考欄」が必須となります。能登へ励ましの言葉をいただければ幸いですが、書く内容は何でもよいです。迷ったら、「楽しみです!」と書いてください。ややこしくてすみません。