【砂丘地盤の液状化】
河北潟と日本海の間には、内灘砂丘があります。
大きな大きな砂丘ですので、何本もの道が通り、町がいくつも出来ています。
海と潟に挟まれた内灘地域では、地震の揺れによる建物倒壊とは異なる深刻な液状化被害の実態が甚大でした。
「全て元通りにします!」と、被災者への声掛けから半月、2月半ば近くなっても再建の見通しが立たない中、町長は被災した地区ごと避難する“集団移転案”に言及しました。
人のいない町にするということです。
私の思い出深い小学校は、校舎が地面からちぎり取られて置かれたかのように、地面との間に裂け目ができてズレていました。
私がボランティアと訪れたときも、視察に来ていた方々がいました。
あまりの酷さにショックを受けたのか、みな絶句状態のようでした。
かく言う私も、ショックで思考が停止しそうでした。
ですが、たとえ思考が停止しても、本能で復興の為に小さな行動を起こし続けるしかない。
絶望しても歩いていれば、必ずよい変化が起きるはず。
「破壊は一瞬、建設は死闘」
だから、対処療法だけをして満足する時代は終わらせねばならない。
予測し予防することに重点を置くことの大切さ。
行動変革をせねばならないと。
そう痛いほど思うのでした。
クラファンの拡散と支援の拡大に、謹んでご協力をお願い申し上げます。