おはようございます。
私の初めてのクラウドファンディングへの挑戦を
暖かく見守り、応援してくださり
本当にありがとうございます。
今年の藍建ても始まり、いよいよ忙しくなってきました。
皆様に美しい藍の色をお届けできますように。
今日は藍染めについて少しお話をしたいと思います。
一言で「藍染め」と言っても
その中にはさまざまな染色方法があります。
言葉もいろいろ。
本建て、醗酵建て、割建て、混合建て、化学建て、
本藍染め、正藍染め、合成藍、などなど。。。
そもそも「藍を建てる」とは、発酵という手段を用いて水に溶けない藍を可溶性にして染液を作ることを言います。
藍草(蓼藍)は、三〜四世紀(弥生〜古墳時代)に大陸から日本に持ち込まれましたが、初めは生葉染めが行われており、奈良時代ごろから太陽熱を利用した醗酵が始まったそう。
蒅を作るようになったのは室町時代と言われています。
藍草の中に藍の色のもとが含まれているのですが、それは微量であり、大量に染めるのは難しく、色がなくなれば染められなくなります。
また、醗酵は微生物の力なので、管理も調整も簡単にはいきません。
人々は、なんとかして藍の美しいブルーを布に留め身につけようと、長い長い年月を藍と対話し続けてきたのですね。
江戸時代の街には藍染めの布が溢れていたと言います。
紺屋もたくさんありました。
そして明治時代には、コールタール(石炭を得るときの副産物)から、藍と同じ成分が発見され、「合成藍」(化学藍、人造藍、インディゴピュアなどとも言います)が開発されました。
これは、植物の藍と違い、雑物や栄養が入っていない100%藍の成分であり(つまり、ピュア、「純粋」なのですねww)、藍色を大量に素早く染めることを可能にしたのです。
便利で安価な合成藍は日本中の紺屋にも広がり、藍農家や蒅の生産者は激減しました。
戦時中に、腹の足しにならない藍の生産が禁止されたというのもありましたが。
現在では、世界中の「藍染め」と呼ばれるもののほとんどが合成藍だそうです。
そして、元々、藍の美しさや香り、機能性を気に入っていた日本人は合成藍の暗い紺色や臭いや色落ちするという使い勝手の悪さから、藍から離れていったのだそうです。
では現在、少数派となってしまった「本藍染め」ですが、こちらも詳しく見ていくと以下のように呼び分けられます。
植物を使った醗酵の藍建てをした液に、合成藍を混ぜる建て方を、「割建て(混合建て)」といいます。
また醗酵建てにも、灰汁で醗酵させる「本建て」と、苛性ソーダや石灰などを使った「醗酵建て」があります。(化学的に見ると灰汁も苛性ソーダも石灰もアルカリだから同じだそう)
そして発酵させて微生物が酸素を使うという働きを化学的に行うために、蒅に還元剤という化学物質を入れる方法が「化学建て」。(こちらも化学的には同じだそう)
私が行うのは、灰汁で醗酵させる「本建て」ですが、「割建て」も「醗酵建て」も「化学建て」も化学的に見れば全て変わりはありません。
原料に植物の藍からできた蒅を使っていれば、全て「本藍染め」と呼ばれ、染められた製品を見て識別するのは困難です。
(使ってみれば少しはわかります。本建ては、色落ちしません。しかし、「色落ちこそが本物!と思っている人は少なくありません。トップ画像にある本『正藍染』にも、本藍染めは「手でこすると、藍色が肌に移りますし」「本藍染めの着物を着た場合は、半衿や足袋にもほのかな藍色を滲ませます」と「本藍染め」についての記述がありますが、「本建て」が色落ちしない事は書いてありません。知らないのです。)(『正藍染』泰流社 昭和52年発行)
結局だいたい同じなら、なぜわざわざ大変でお金も時間もかかる「本建て」をするのか。
それは、私が藍染めを化学的に見ていないから、なのだと今氣付きました。(今かい)
藍は生きており、私にとって、いつもそばにいてくれる人のような存在です。
いつもそばにいてくれる人には、美味しいものを食べさせてあげたいし、
体に悪そうな食べものは極力避けたいし、
長生きしてほしいし、
暖かい部屋でゆっくりと眠ってもらいたい。
そんな感じ。
そんなふうに大切に染められた衣服を
身に纏うことって
とても幸せなことだなと思うのです。
藍の溢れた江戸の人々は、
とても幸せそうに満足そうにニコニコと笑っていたと聞きました。
化学の進歩のおかげで今の生活は豊かになっているとも思うし、
とても感謝しています。
ただ、この世界には化学では計り知ることの出来ないことが
まだまだたくさんあるのだと感じます。
それを見て体験してみたいのです。