こんにちは、本プロジェクトの世話人(事務局のような役割)、寺中祥吾です。
クラウドファンディングが始まって、今日で15日目となりました。
私がリヴオンや尾角光美さん(てるみん)と出会ったのは、昨年の12月。自宅から自転車でいける(といっても30分ほどかかる)喫茶店で、ゆっくりお互いの話をしてから、まだ3ヶ月ほどしか経っていません。てるみんと私にとって大事な人たちが繋いでくれて、その機会に繋がりました。
私は、昨年の9月まで、幼稚園から中学校までの子どもたちが学ぶ軽井沢風越学園と言う学校にいました。2020年に開校した4年目の学校で、子どもたちが、学校の、自身の学びの、さらに言うと自分自身の、「つくり手」であるということに向かい合い続けている場所です。
そこで気に掛けていた事の一つに「明るい場所で取り扱う」ということがあります。人と人との間には、いつだって悩ましい事態が起こりえます。それを話しやすい人との間で話して解消したつもりにならずに、当事者同士見える場所でやり取りしたいという願いを「明るい場所」と表現していました。
「子どもと自殺」というテーマに触れ、その体験の中にいる人の話を聞く中で、この「明るい場所」と言う言葉を思い出すことがあります。「自殺」に関わることは触れづらく、ややもすると、「配慮」の名の下に見えない場所へと追いやられます。
てるみんが「いのちの授業」で学校を訪れた際に、「お父さんが亡くなった子がいるので、お父さんという言葉はつかわないようにしてください」と言われたことがあるそうです。先生がその子どもを思う気持ちはよく伝わります。しかし、そうやって触れないようにしていくことで、「しんどい」と言えない環境をつくっていってしまうかもしれません。さらには、その子がお父さんとの繋がりを感じながら生きていくことから距離をとってしまうことにつながるかもしれません。
そうやって見えない場所に遠ざけてしまうことで、子どもたちが抱える生きづらさも見えづらくなって、子どもたちから発せられている小さなSOSの声が受け取れなくなってしまってはいないでしょうか。
トップページのメイン画像に「『いのちは大切』だけでは届かないものがあります」と書きました。これは、てるみんと話したり、いのちの授業を体験したりしながら、私が実感したことの一つです。自殺を選ぼうとする人はいのちを粗末にしようとしているのではなく、ただ、その選択肢しか選べないほど苦しんでいるのだと思います。それは、このプロジェクトに関わって初めて、私の中に生まれた実感でした。
みなさんにもこのプロジェクトを知っていただき、それぞれが感じた実感を通して「子どもと自殺」というテーマについて考えてほしいと願っています。