クラウドファンディング開始から、2週間。
すでに70%を達成し、約70人の方に関わっていただいています。
たくさんの方に関わっていただけて、とても嬉しいです。ありがとうございます。
今日は、私が生まれ育った「広島」に対する想いを綴りたいと思います。
私が「原爆」という言葉を知ったのは、5歳のときでした。
幼稚園でならった「アオギリのうた」をきっかけに、少しずつ自分が生まれたまちが持つ記憶をたどっていったように思います。
家から見える被服廠や御幸橋にある写真、小学校の校庭にあるアオギリなど、
記憶のかけらが紡ごうとする景色を見ることは、私の日常でした。
広島というまちだから、「原爆」を考えなければならないのかなぁ…と、なんとなく思いつつ、自分自身が考えた「考えるべき」ことではありませんでした。
なんとなくが、はっきりと「考えるべきこと」に変わったのは、中学校で出会った『空白の学籍簿』がきっかけです。
私が通っていた中学校では、毎年8月6日に向けて、朝読の時間や総合の時間に『空白の学籍簿』を朗読するということをしていました。
『空白の学籍簿』は、第三国民学校の被爆に関する証言をまとめたもので、後身の中学校の生徒たちとまとめ、1980年に発行したものです。
「原爆って怖いなぁ」と思いながら、読んだり、聞いたりする中で、私が原爆を考えるきっかけとなった言葉をかけられます。
「空白の学籍簿の空白には、色々な意味がある。もともとは空白ではなかった…ということもあるし、空白を先輩たちが埋めていった、ということでもある。でも、今も空白のままになっている箇所は、もう二度と埋まらない。そういう空白も、この学籍簿にはある。」
この先生の言葉を聞いたとき、私ははっとしました。
もう二度と埋まらないということは、思いもしなかったのです。
確かに生きていたはずなのに、二度と埋まることのない空白をもつ学籍簿。
生きていたことすらなかったことにされる、「原爆」とは何なのか。
今でも、このことを考えます。
私には、「原爆」によって今も起き続けていることを、考え続けることしかできません。
翻訳活動も、証言集を読んで「原爆」を考えることから始まります。
そんなふうに、「原爆」を考える人がいてもいいのではないかと思っています。
クラウドファンディングや活動を通して、関わってくださるみなさんにとって、「原爆」を考えるきっかけになることを願っています。