皆さん、こんにちは。温かいメッセージやご支援に心から感謝しています。ありがとうございます。
きょうの活動報告で「2度目の起業を機に『広報』と向き合う」は完結させたいところですが、明日までかかりそうです。
2回目の起業は、一昨日の活動報告(5月23日)でも述べたとおり、2006年8月のことです。実はその約2年前、2004年4月にRMCAの事務局長に就任します。RMCA(日本リスクマネジャー&コンサルタント協会)とは(何度も当活動報告で登場していますが)リスクマネジメントの専門人材を育成する団体です。当時はまだ任意団体で日本リスクコンサルタント協会の名称でした。
1997年に入社したPR会社は映画制作のトラブルが原因で退職。業務委託の立場での関わりに変わっていました。映画のトラブルを前後して、元広告代理店の営業部長を務めた経験のある人が社長になっていました。
彼の配慮のおかげで、業務委託として残ることができたのです。そのことは今でも感謝しています。しかし、その後、起業するまでの間、彼とともに会社を3社渡り歩くことになります。自己破産できずにいた時期でしたし、自己破産後、免責されなければ、会社の代表にはなれないからです。
ただ、会社は変わっていますが、もちろん主要業務は広報、パブリシティです。パブリシティには自信もありましたし、何よりこの仕事が好きでしたので、その間、変わってはいません。
そんな中、PR会社での最初の上司(入社当時、取締役/実質的な責任者)から声が掛かり、RMCAの事務局長に就任。PR会社(渡り鳥の2社目)の役員と兼務する生活が始まりました。RMCAで働く魅力は他社の広報ではなく、自らが所属する組織の広報に携われることです。PR会社はどこまでいっても他社のPRを請け負うのが仕事です。
弱小団体だったがゆえに事務局長が1人で全ての業務を担います。その重要な実務の一つが広報です。会報誌は広報誌そのもの。会報誌の制作は広報ど真ん中の業務です。大企業のリスクマネジメントに対する取り組みを取材したり、セミナーリポートを書いたりしながら、毎月発行しました。
熱心な会員たちの力を借りながら就任後、精力的に動きました。10周年記念シンポジウム開催(2004年10月)、NPO法人化(2005年9月)、NPO設立記念シンポジウム開催(2006年2月)と二足の草鞋ながら、着実に歩みを進めたのです。
リスクマネジメントに出合うことで、広報と根底でつながる概念を学び、今に続く思考、理論の土台を形づくっていた時期でもありました。
明日に続きます。