アンニョンハシムニカ!百美+(ヒャクビ)です。
現在、8月27日(火)から始まる展示会に向けて準備しております!!
展示会では百美+のこれまでの活動アーカイブも展示します。それに先駆けて、2024年4月14日に行った習志野・八千代エリアのFW報告を2回に分けてお届けします。
是非ご覧ください!(^^)
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百美+ではこれまで2回のフィールドワーク(FW)を実施してきました。場所は船橋と、習志野・八千代の2エリアです。
FWの一番の意義は、実際の虐殺が行われた(あるいは関連する)現場を自分たちの目で見て足で歩いてみることで、文字で読んできた歴史的事実を実体験として体感することだと思います。
百美+ではさらに、各FWごとのアートの要素を加えたFWを展開しました。
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◎巡ったスポット
プラッツ習志野に集合→徒歩で①プラッツ習志野南館ポーチ前の坂→②京成大久保駅前の踏切→③高津観音寺→④なぎの原→⑤(途中で大和田新田の無縁仏之墓通過して)長福寺→八千代市市民会館にてWS
◎各スポット
①プラッツ習志野南館ポーチ前の坂・・・朝鮮人虐殺現場
②京成大久保駅前の踏切・・・朝鮮人虐殺現場
③高津観音寺・・・朝鮮人遺骨、慰霊碑、鐘楼
④なぎの原・・・朝鮮人殺害現場
⑤萱田の長福寺・・・遺骨、追悼碑
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1.プラッツ習志野に集合→徒歩でプラッツ習志野南館ポーチ前の坂→京成大久保駅前の踏切
最初にプラッツ習志野に集合しました。グラウンドルールの確認と資料配布、自己紹介などを経て同じ敷地内にある虐殺現場まで歩いて行きました。
プラッツ習志野は市民活動の施設であり、敷地内の公園には家族連れも多く穏やかな場所でした。
最初の集い
グラウンドルールを説明するメンバー
そのまま京成大久保駅前の踏切へ移動しました。人の通りが多い踏切でした。証言の朗読をしました。
踏切側の惣菜屋さんでお昼を購入して再びプラッツ習志野へ戻りました。
美味しそうなものがたくさん並ぶ昔ながらのお店
2.習志野~高津観音寺~なぎの原
数台の車に乗り分けて八千代市高津観音寺へ移動しました。
習志野から八千代市への移動の際中に、かつての陸軍関連施設があったエリアや旧陸軍習志野病院(現済生会習志野病院)前を通過して見学して行きました。
高津観音寺に到着したら、最初の学習会で作成した地図を用いて位置の確認をしました。それから関東地震韓国人犠牲者慰霊詩塔(1990年韓日仏教関東地震殉国慰霊協議会より建立)、朝鮮人慰霊碑(1999年「関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」と地域住民により建立された)そして1985年に韓国からの素材で建立された普化鐘楼を訪れました。
ここで百美+のメンバーが、この地で行われた虐殺と遺骨発掘の歴史の証言を読み上げました。なぎの原で虐殺された人々の遺骨の掘り起こしには大変な時間がかかったそうです。(1998年9月24日発掘)しかし最終的には発掘され、この高津観音寺朝鮮人慰霊碑のもとへ納骨されています。
無名のまま亡くなられた朝鮮人のお一人お一人を偲ぶお線香をささげ、また敷地内にある韓国からの資金や材料で建立された鐘楼の鐘をつくなどしながら、しばし思いを馳せる時間をここで持ちました。
地図を見せるメンバーたち
用意した資料を用いて確認する参加者たち
メンバーが慰霊碑の前で資料を読み上げる
普化鐘楼の鐘は自由につくことができる 平和への思いを託す
高津観音寺に納骨された人々が虐殺された現場、なぎの原は寺から歩いて移動しました。5〜6分程度の距離です。
到着したなぎの原は、住宅街の中にある空き地でした。200坪くらいの旧住民の共有地だったそうです。以前は出入りができたようですが、今は立札が立っており部外者の立ち入り禁止の警告がされていました。特に、慰霊訪問者も名指しされており、どういった経緯でこのようなことになっているのか疑問に思うところです。
虐殺された6人の朝鮮人は、発掘時の様子からすると丁寧に埋葬されていたそうです。こぶしの木が、場所の目印として、あったそうですが今はすでに木の姿はありません。百美+ではこのこぶしの木を展示会場に作品として再現することにしました。皆さんの哀悼の意を表す場になればと願っています。
なぎの原は住宅街の中の空き地でした
警告を記した立札は少なくても2本立っていました
なぎの原は長く滞在はできず高津観音寺へ引き返しました
鐘楼と桜が美しい時期でした
今回はここまで。
萱田の長福寺〜八千代市市民会館でのWSについては、次回報告します!