ご登場いただく、いすみの手塚先生に、中島デコさんのお嬢さんのウェディング@ブラウンズフィールドで会いました(ドレスコードがデニムだったので、二人とも、とても結婚式に参列しているようには見えないけど、田んぼ風景にはピッタリね)。
「手塚先生」と呼んでしまうのは、紹介してくれたデコさんが、ずっとそう呼んでいるから。高校の生物の教師をされていましたので。
以前、「パーマカルチャー井戸端会議@ちば」の活動でトークをお願いしたときのプロフィールをご紹介しますね(注;2015年のものです)。
手塚幸夫(テヅカユキオ)
生物教員として35年間勤め、昨年退職。1987年より複数の自然保護団体の事務局長を務める。現在は、夷隅郡市自然を守る会事務局長。
1997年から稲の力にゆだねる米作りを始める。2008年からは、耕作放棄された谷津田の再生に取り組んでいる。
生物多様性の地域戦略作り関わり、ちば生物多様性県民会議代表、生物多様性いすみ戦略策定委員会副委員長を務める。
2015年6月、房総の野生生物と生物多様性に関する研究・情報発信する組織として、「房総野生生物研究所」を設立。
手塚先生に初めてお目にかかったのは、たぶん10年くらい前。
六ヶ所村の問題をとりあげた「放射能がクラゲとやってくる』(七つ森書館)の著者・水口憲哉 さんの勉強会がブラウンズフィールドで開催されたときでした。
「生物多様性」といったら、手塚先生!
というのが、私の認識でしたので、半農半教師でいらしたのを知ったのは、ずっとあとになってからでした。
私が会う10年前からお米を作っていたんですね〜。
ということは、「半農半教師歴20年」ってことですね〜〜〜〜〜!!
その後、おしょうゆも造られていることを知り、「パーマカルチャー井戸端会議@ちば」で福島の高校の演劇部を呼んで、公演がてら保養合宿をしてもらった際、手塚先生の手造りしょうゆを提供していただいたのでした。
Facebookでこのクラウドファンディングをシェアしてくだったときの投稿文はこちら。
↓ ↓ ↓
とても新鮮で先進的な響きを感じた半農半Xという言葉、10年以上の時を経て丸みを帯びてフツーに感じるのは、私だけでしょうか。
塩見さん&吉度さんが模索する「いまとこれから」と、私にとっての「これまでといま」を整理しておくいい機会になればいいなあと感じています。
・・・・・・・・・・
「半農半教師歴20年」のお話、めちゃくちゃ楽しみです!!