毎日平均150km車を走らせ、次なる舞台になる場所を探しています。
予算の問題、立地の問題でなかなか“ここ”といった場所にはまだ巡り合えていません。
良いなと思った土地だったとしても、飲食店出店不可や建築制限がある“用途地域の区分”という壁。
売りに出ている土地は一通り見たといっても過言ではない状況で思いついたのが、
“農地を購入し、半分を宅地改良、半分は畑として残す”
というアイデア。
当店のもう一つの顔として、完全無農薬の自家菜園の畑があります。
毎年試行錯誤を重ね、昨年は畑5年目で40品種近く育てられるようになりました。
新たな場所に移ることになったとしても、自家菜園を持てる環境であれば良いなと考えています。
とは言え、まだ移転するか否かも決まっていない状況で、明確な“活動報告”としてお伝えするにはかなわず、これまでの経緯を少し書かせていただこうと思います。
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あまり皆さんが想像するようなきれいなエピソードではない為、今までお話しすることはほとんどありませんでしたが、実は移住当初は石川のことは全く知りませんでした・・・。
石川県に移住したのは2014年12月のこと。
きっかけは2016年春にオープン予定の奥能登のレストランでシェフをやらないかとお誘いのお話をいただいたから。
当時僕はフランス・カンヌの二つ星レストランで副料理長をしており、そろそろ次のステージへ、と考えていたところでしたので、とても魅力的なお話だと感じました。
石川県はおろか、日本海側の町にも行ったことが無かった僕は、プロジェクトが始まる1年前に帰国し準備をすることに。
その準備期間にやっていたお店が今となっては知る人ぞ知る“夢喰庵”です。
当時、羽咋近郊には本格的なフランス料理のお店も多くない中で、恐る恐る900円のランチプレートから始めたお店は、地域の方を中心に沢山のお客様にご来店いただくようになりました。
そんな矢先で、プロジェクト自体が急遽立ち消えとなってしまい、途方に暮れることに。
お金もなければ、先行きも白紙・・・。このプロジェクトを持ってきた方はもちろん、晴れ間の見えない冬も、石川にいることも嫌になった時期がありました。
当時のお店の売り上げでは生活も苦しいまま、石川に残っている理由もなくなったことから東京での仕事を探し始めたころ、ミシュランガイドの調査員が石川を調査しているとの情報が。
“もしかしたらビブグルマン(リーズナブルな価格でおいしい料理が食べられるカジュアルなレストランに付けられる評価”くらいならもらえるのではないか・・・?“と淡い期待を抱き、もしそうなれば記念にもなるし、ミシュランガイドが出版されてからお店を閉めようということになりました。
蓋を開けると、能登地区の西洋料理店では唯一の一つ星の評価☆
それからはいろいろなことが好転し、大家さんのお住まいを間借りする形で営業していた夢喰庵から移転リニューアルオープンしたのがこのラ・クロシェットになります。
・・・次回へ続きます。