こんにちは、故郷喪失アンソロジー主催の藤井佯(ふじい・よう)です。
クラウドファンディングも残すところあと7日となりました!!そして、目標達成率60%を突破いたしました!ありがとうございます……!
やったあ!やったあ!
クラウドファンディング終了の4月30日まで、毎日何かしら活動報告を書こうと思っています。今回は、「表紙について」の話をしたいと思います。
故郷喪失アンソロジーの表紙

故郷喪失アンソロジーの表紙はこちらになります。ジェットコースターが張り巡らされ、その中にスペースシャトル?観覧車?がありますね。一体どこの何なんだ……。気になっていた方もいらっしゃるかもしれません、お待たせしました!
こちらは、かつて北九州市に存在したテーマパーク「スペースワールド」跡地の写真です。
元画像はこちら。
2018年1月、帰省していた際に撮影したものになります。電車が「スペースワールド駅」に停まったときに車内から撮影しました(画質が若干クリアでないのはそのためです)。
かつて、スペースワールドというテーマパークが存在しました。「氷の水族館」と名付けられたスケートリンクに、大量の魚の死骸を埋めて炎上した件で名前を知った人もいるかもしれません。
スペースワールドはその名の通り「宇宙」をテーマとした遊園地で、小規模ながら宇宙博物館なども併設していました。本格的なジェットコースターや観覧車を備えていましたが、そのシンボルはなんといってもスペースシャトルの実物大模型でした。
廃園が決まったとき、北九州市は模型の存続を検討しました。しかし維持費用を試算したところ10億円かかることが判明し、老朽化も進んでいることからやむなく引き取りを断念したという経緯があります。
轟音と悲鳴の中、「シャトル」消える スペースワールド(朝日新聞デジタル)
https://www.asahi.com/articles/ASLCN528ZLCNTIPE01D.html
スペースシャトルの模型は2018年11月に解体されました。この写真が撮られた10ヶ月後のことです。
今はもう、この景色は世界のどこにも存在しません。
私は何度か遊びに行った程度でしたが、昔からスペースワールドに対して親しみは感じていました。高校時代は、八幡東区(スペースワールドのある区です)に住む同級生が年パスを持っていて、放課後ユニバならぬ放課後スペワを楽しんでいたのを覚えています。幼少期には、「ラッキーラビット、この指止まれ〜♪」と、スペースワールドのオリジナルキャラクターたちがダンスを繰り広げるテレビ番組が毎朝放送されており、そのダンスを真似てテレビの前で踊っていました。
思い返せば、どことなく古い香りのする遊園地でした。開園は1990年のはずなのに、全体的なトーンとして1970年大阪万博の月の石展示や、宇宙開発競争を彷彿とさせるような。エイリアンパニックというアトラクションが怖かったのを覚えています。お化け屋敷のグレイ型エイリアンバージョンなのですが、典型的な姿のエイリアン人形がガタッと倒れてくるだけで怖くて、終始目をつぶったまま通り抜けていました。急加速型ローラーコースターのザターンは結局一度しか乗りませんでした。めっちゃ怖かった。よく知りませんが、跡地にはアウトレットモールが入るらしいです。スペースワールドの最寄り駅は「スペースワールド駅」といって、その駅名だけはスペースワールドが閉園した今も存続しています。
スペースワールドはすでに存在しない遊園地です。そして、その遊園地は開園時にも「どこか懐かしい香り」を漂わせてそこに在りました。この写真が撮られたころには私は故郷の土を踏んでいたということでもあります。しかし、私がスペースワールド跡地に出来るアウトレットに足を踏み入れることはおそらくないでしょう。スペースシャトルは解体されました。今残されているのは「スペースワールド駅」という駅名だけです。
いかがでしょうか。なぜ私がこの写真を「故郷喪失アンソロジー」の表紙に据えたのか、おわかりいただけたかと思います。

今回は以上になります!
『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー』、ぜひお手に取っていただけますと幸いです。
クラウドファンディングはあと7日、4月30日まで!
リターンは、故郷喪失ブックガイドや書き下ろし小説、制作日誌、特装版、コミッションなどなど盛りだくさんです。ご検討ください。
引き続き「故郷喪失アンソロジー」をよろしくお願いいたします……!!




