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★地球の裏側ペルーから日本へルーツを探しに行く!【日本を知らない日系4世】

日本を知らない日系ペルー人4世が初めて日本に渡航、曽祖父とその家族のルーツを和歌山県で探すとともに有名な写真家だった祖父フェリックス・ニシヤマと伯祖父エウロヒオ・ニシヤマを多くの日本人に知ってもらう!

現在の支援総額

240,000

15%

目標金額は1,560,000円

支援者数

15

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/04/24に募集を開始し、 15人の支援により 240,000円の資金を集め、 2024/05/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

240,000

15%達成

終了

目標金額1,560,000

支援者数15

このプロジェクトは、2024/04/24に募集を開始し、 15人の支援により 240,000円の資金を集め、 2024/05/31に募集を終了しました

日本を知らない日系ペルー人4世が初めて日本に渡航、曽祖父とその家族のルーツを和歌山県で探すとともに有名な写真家だった祖父フェリックス・ニシヤマと伯祖父エウロヒオ・ニシヤマを多くの日本人に知ってもらう!

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みなさん、いつも応援ありがとうございます!


協力者からの情報提供などもあり、子孫であるニシヤマ家のみなさんが知らない事実が判明しました。音松氏の長男シモン氏について、これまでは冒頭の画像のように1924年に戸籍取得のために音松氏と日本に帰国、そのまま日本に残った(音松氏はペルーに戻った)とされていたのですが、米国移民帰化局(INS)の記録から以下の事実が確認されました。


・シモン氏が日本に帰国したのは1921年(復航静洋丸8月17日カヤオ発、9月10日サンフランシスコ入港、横浜へ出航)だった。

・シモン氏は1921年のペルー出航時、日本国籍を保有しており、日本の戸籍に登録されていた。

・1921年にシモン氏が日本に残り、音松氏のみがペルーに戻った。

・音松氏は1924年(復航楽洋丸10月16日カヤオ発、11月10日アストリヤ入港、12月4日横浜へ出航)に再度、日本に渡航している。


クスコから列車で太平洋岸のモジェンド港に行き、そこから船に乗り換えカヤオに移動、カヤオ港から米国経由で横浜まで船で移動、更に横浜から和歌山へ移動となるので、想像を絶する長旅だっと思いますが、その旅程を音松氏は4年ぐらいの間に2往復していたことになります。

シモン氏がなぜ帰国することになったのか、その理由や移動の経路や音松氏のペルー帰国の時期などについても引き続き、調査を進めていきます。


残り8日となりました。引き続き、よろしくお願いします!

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