ご支援、ご協力いただいたみなさま。クラウドファンディング実施中は、ご支援、情報の拡散、ニシヤマ家に係る情報提供、様々な形でのご支援、ご協力ありがとうございました!私の力不足もあり、目標金額には到達できませんでしたが、ご支援いただいた資金、またこれまでにいただいた情報などをもとにプロジェクトは実施したいと思います。どのような形で実施できるか、検討をしている段階ではありますが、現在の案としては以下のとおりとなっております。案1.ご支援いただいた資金に自己資金などを追加、渡航の日数、同行者をなしとして、和歌山県での協力者の支援を受けて、ディエゴ氏の渡航を実施。案2.ご支援いただいた資金を活用し、遠隔で戸籍取得、過去の情報などを取得、家系図の作成や、ルーツ探しに係る動画作成など、ディエゴ氏の渡航は断念し、遠隔でのルーツ探しを実施する。引き続き、プロジェクトの進捗は報告させていただきます。みなさまからのご支援を無駄にしないように活動を進めてまいります。クラウドファンディング期間のご支援、応援ありがとうございました!引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!
明日6月1日には映像作品の上映会も開催されます!
みなさま、ご支援ありがとうございます!クラウドファンディングの最終日となりました。最後までどうぞよろしくお願いいたします。最終日の今日から1ヶ月間、ペルーのクスコでは、エウロヒオ・ニシヤマ氏の作品展が開催されます!私がニシヤマ家に関連するクラウドファンディングを実施するタイミングでこのような作品展が開催されるのも何かの縁かもしれません。いつか日本でもエウロヒオ氏の作品展が開催され、日本のみなさんにも知ってもらえるように活動を続けていきたいと思います!
みなさん、いつも応援ありがとうございます!協力者からの情報提供などもあり、子孫であるニシヤマ家のみなさんが知らない事実が判明しました。音松氏の長男シモン氏について、これまでは冒頭の画像のように1924年に戸籍取得のために音松氏と日本に帰国、そのまま日本に残った(音松氏はペルーに戻った)とされていたのですが、米国移民帰化局(INS)の記録から以下の事実が確認されました。・シモン氏が日本に帰国したのは1921年(復航静洋丸8月17日カヤオ発、9月10日サンフランシスコ入港、横浜へ出航)だった。・シモン氏は1921年のペルー出航時、日本国籍を保有しており、日本の戸籍に登録されていた。・1921年にシモン氏が日本に残り、音松氏のみがペルーに戻った。・音松氏は1924年(復航楽洋丸10月16日カヤオ発、11月10日アストリヤ入港、12月4日横浜へ出航)に再度、日本に渡航している。クスコから列車で太平洋岸のモジェンド港に行き、そこから船に乗り換えカヤオに移動、カヤオ港から米国経由で横浜まで船で移動、更に横浜から和歌山へ移動となるので、想像を絶する長旅だっと思いますが、その旅程を音松氏は4年ぐらいの間に2往復していたことになります。シモン氏がなぜ帰国することになったのか、その理由や移動の経路や音松氏のペルー帰国の時期などについても引き続き、調査を進めていきます。残り8日となりました。引き続き、よろしくお願いします!
みなさん、ご支援ありがとうございます!今年はペルー移住125周年ということで、様々な行事が行われているのですが、観光地としても有名なリマのミラフローレス区にあるケネディ公園で、移住史の展示が行われています。日系人のアーティストを紹介する展示では、映画監督だったエウロヒオ・ニシヤマ氏の紹介がされています。https://www.facebook.com/asociacionperuanojaponesa/videos/471684511923683?locale=es_LA※スペイン語音声プロジェクト通して、エウロヒオ氏のことを日本でももっと多くに人に知ってもらいたいと思っており、引き続き、ご協力、ご支援をお願いいたします!