〈2024.8.3追記〉
★500万円達成の御礼&NEXTゴール700万円挑戦
ついに、プロジェクトの支援金額が500万円を達成したので、ご報告させていただきます。
この度は、皆様のご支援とご協力、本当に本当にありがとうございました!
多くの応援メッセージもいただき、前例なき挑戦への大きな勇気となりました。
「長期海外研修中のヘルパー制度利用」という、日本で初めての事例を承認いただけたのも、皆様からの応援のおかげです。(活動報告に詳細を掲載しています。)
皆様からのご支援に対して、リターンと今後の活動で必ず恩返しをしていきます。
しかし、アメリカ研修の準備を進めていく中で、今回の研修をより充実したものにするべく、アメリカ国内で行われるカンファレンスへの参加や複数の障害者団体への訪問が必要だと考えました。そのためには、介助者分の移動費や宿泊費を確保する必要があります。
そこで、新たに「700万円」という目標金額を設定し、引き続きプロジェクトへのご支援をお願いしていくことを決めました。詳細は活動報告にてお知らせいたします。
多くの方々のおかげで掴んだチャンス。絶対に後悔をしないために、この挑戦をしっかりと未来に繋いでいくために、やれることは全てやる覚悟です。
皆様ぜひ、引き続きご支援、宣伝のご協力など、応援のほどよろしくお願いいたします。
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自己紹介
みなさん、初めまして。
八木郷太(やぎきょうた)です。
私は15歳の時にスポーツ事故が原因で障害者となりました。
首から下を全く動かすことができないため、24時間ヘルパーの介助を受けながら生活をしています。
普段は、茨城県水戸市にある「自立生活センターいろは」で活動し、障害のある人が地域で生活するためのサポートをしています。
「障害のあるなしに関係なく、誰もが夢に向かって挑戦できる社会にしたい。」
そのために、私は1年間のアメリカ研修を目指しています。
しかし、私のような重度の障害者が長期で海外で学ぶことはほとんど例がなく、制度の点で大きな壁に直面しています。
研修成功までは厳しい道のりですが、私の挑戦が多くの障害者の道を切り拓くと信じてクラウドファンディングを決心しました。
みなさまのお力をお借りできますと幸いです。
私の人生と今回の挑戦にかける想いについて、少しお伝えできればと思います。
私のこと、私の障害のこと
●好奇心旺盛で活発だった少年時代
1996年に、両親の故郷である長野県で生まれた私。
3人兄弟の真ん中として、自由に・頑固に・好奇心に身を任せてのびのび育ちました。
小学生の頃の私は、遠足で行った動物園で、カバに夢中になりすぎて同じ班の子達とはぐれたり、家族旅行で港の波打ち際に夢中になりすぎて家族に置いて行かれたりと、とにかく好奇心旺盛な子供でした。
兄弟3人の写真、右が本人中学生時代の私は、幼少期から父に教わった柔道で全国大会に出場するなど、丸坊主で元気な体育会系といった感じでした。
そんな当時から、私には漠然とした夢がありました。それは「いつか世界中の国に行って、いろんな人と喋ってみたい!」
子供の頃から、行ったことのない場所、聞いたことのない言葉、異文化にすごく興味がありました。なにより英語を話す人がカッコよかったんです!「俺も英語喋れたらカッコいいな~」と中学時代からずっと思っていました。
●一瞬で崩れた夢・絶望の日々
そんな私の夢は、一瞬にして崩れることになります。
当時中学3年生だった私は、柔道の練習中に他の選手との接触でドーンと首に大きな衝撃を感じて倒れました。立ち上がろうとしても体に力が入らず、感覚すらありませんでした。ドクターヘリで緊急搬送され手術を受け、集中治療室で治療を受けました。
なんとか一命は取り留めたものの、目を覚ました時には、私の身体は自分では手も足も動かせない身体になっていました。
他の選手とぶつかった衝撃で首の骨が折れ、背骨の中を通る神経を損傷してしまったのです。
「脊髄損傷(による四肢麻痺)」という状態です。
一度傷ついた神経は元には戻らず、一生体を動かすことはできません。
病院のベッドから天井を見上げながら、「ふざけんな!なんで俺なんだよ!」と神様を恨み、悔しさと悲しさが何度も涙となってこみ上げました。
自分の人生までもがボキッと音を立てて折れたような感覚でした。
●諦められなかった夢。そして掴んだチャンス!
それでも、家族は献身的に私を支え、友人たちは変わらぬ態度で私に接し、そして励ましてくれました。
そのおかげで私も徐々に自分の状態を受け入れ、少しずつ前を見られるようになっていきました。
高校時代の柔道仲間たち
家族と一緒に(両親、兄夫婦、妹夫婦)障害を負ってからも、前向きに新たなことにチャレンジできたのは、
「いつか夢を叶えたい!」という想いがあったからだと思います。
手足が動かなくても、口に棒をくわえてパソコンやスマホを操作できるようになり、あごで操作できる電動車椅子に乗って自由に移動することもできるようになりました。
また、ヘルパー制度を利用して、一人暮らしも始めました。
口に棒をくわえてPC操作そんな時に見つけたのが、「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」でした。これは障害者が海外で学ぶための費用を助成してもらえるプログラムです。書類と面接選考を経て1年に5名程度が研修生として海外研修に派遣されます。
「これなら自分も海外に行ける!夢を叶えられる!」そう思い、コツコツと3年以上かけて英語を勉強してきました。
そしてついに、合格することができたのです!「これで、1年間アメリカで研修できる!」そう思った矢先に、大きな壁にぶち当たりました。
●立ちはだかった制度の壁。
それが、ヘルパー費用の問題です。
首から下を動かすことができない私は、日常生活に24時間ヘルパーの介助が必要です。普段は、「重度訪問介護」という日本の福祉サービスを利用して、ほとんど自己負担なくヘルパーを利用できています。
しかし、海外での長期滞在中の利用は前例がなく、制度を利用できない可能性があることを知ったのです。
ヘルパーの介助料が自費になった場合、1年間で1600万円以上という途方もないのお金が必要になります。さらにヘルパーの渡航費や現地での移動費などを合わせると2000万円近くかかります。
●自分ひとりの夢じゃない。
途方もない金額に、一時は1年間の研修を断念することも考えました。
しかし、他の障害者の仲間からも「大変だけど絶対に行くべき!」「八木君のチャレンジは必ず次に行く人たちに繋がるよ!」といった、応援や期待の言葉をたくさん頂きました。
そして、「あ、これはもう自分ひとりだけの夢じゃないぞ!」という想いが湧き上がってきました。
「自分が前例になることで、他の多くの障害者にとっての希望になれる!」
重度の障害があっても海外留学する、夢を叶える、その姿を見せることで他の障害者に大きな希望を与えられると思い、私はクラウドファンディングに挑戦することを決めました。
世界中の障害者リーダーたちとの写真
「障害で夢を諦める社会」を変える。
私は、アメリカの障害者団体で「障害者の権利がきちんと保障されるためにはどのような仕組みが必要なのか?」ということを中心に学びたいと思っています。
なぜなら、社会にはまだ多くのバリアがあり、「夢を諦めている・諦めざるを得ない障害者」がたくさんいるからです。やりたいことに挑戦できず、昔の自分と同じようにベッドから天井を見つめるしかない障害者がたくさんいます。
●「誰もが夢に挑戦できる社会」を目指して
アメリカは、自立生活センター発祥の地であり、世界で初めて障害者への差別を禁止する法律(Americans with Disabilities Act)が制定された国です。この法律により、街のバリアフリーや雇用・教育などの面で障害者の権利が保障されています。
アメリカでは貪欲に誠実に研修に取り組み、その経験を日本での活動に活かしていきたいと思っています。
アメリカで開催されたマーチの様子
最後に
正直に言いまして…、動画配信や報告会がリターン商品という今プロジェクトは、他のものに比べて「支援者のメリットが少ない」と感じる方もいるかと思います。
しかし皆様からの支援は、10年後、20年後、30年後の未来に大きな影響を与えます。
水面に投じられた小石の波紋が大きく広がっていくように、私のプロジェクトの成功が、他の多くの障害者の未来を変えていくと信じています。
「誰もが夢に挑戦できる社会」のために、ぜひともご支援をよろしくお願いいたします!
Together We can make a difference.
(共に、私たちは変化を起こすことができます。)
Together We can speak up for justice.
(共に、私たちは正義の声を上げることができます。)
Together We can help change the world.
(共に、私たちは世界を変えることができます。)
by Judith Haumann(偉大なる障害者運動家 ジュディ・ヒューマン)
最後までお読みいただきありがとうございました。
八木 郷太
支援金の使用用途
集めた支援金は、以下の用途で使用させていただきます。
・現地で生活するためのヘルパー費用
・現地でのヘルパー分の交通費など
・その他、ヘルパーに関する費用
最新の活動報告
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積み重ねた事実が自分を労う
2025/11/26 13:26ご支援いただいた皆様応援していただいている皆様本当にありがとうございます。もっと英語を頑張っていれば…。もっと積極的にいってたら…。もっと早く挑戦していれば…。もっと、もっと…タラレバ、タラレバ…。研修期間中ずっとこれの繰り返し。たまに感じる充実感の裏で、その10倍の悔しさを感じながら過ごした日々でした。そして気付いたら、帰国まで残り2週間⁉俺の研修これで大丈夫か⁉しかし、研修報告書を書くためにこの10ヶ月を振り返ってみると、そこには四苦八苦しながらも、着実に歩んだ努力の足跡がありました。・粘り強く交渉した重度訪問介護の海外長期利用・英語についていけず心が折れた渡米直後のUCバークレーの授業・必死に現地ヘルパーを探して繋いだ介助体制・引き受けた事を後悔するほど緊張したワシントンD.C.での発表・弾丸計画でタフな旅だったコスタリカのCIL訪問などなど…振り返ると、まぁまぁ色々がんばって挑戦したな〜と思ってきました。次はこれをどう今後に活かすか?何を経験し、考え、学んだか。みなさんにいい報告ができるように、一つずつ見つめ直して、整理していきます!でもそれは帰国した後にやります!20年後も30年後も思い出すであろう、このかけがえのない時間を、今は大切に過ごそうと思います。さて、新しい動画をアップしました。ぜひご覧ください!【障害者のアメリカ研修】#30 大量の●●がある倉庫に潜入!心揺さぶる熱いインタビューも!引き続き、応援よろしくお願いします。八木郷太 もっと見る
100年先まで守る。だからバリアフリーにする。
2025/11/12 16:58ご支援いただいた皆様応援いただいている皆様本当にありがとうございます。バリアフリーは破壊ではなく、義務だと思うんです。ヨセミテ国立公園は、自然遺産を守りつつ、誰もがそのレガシーを体感できるようバリアフリー整備がされています。しかし、自然遺産や歴史的建築物は、バリアフリーではない場合が多いです。「レガシーを守るためにはバリアフリーにはできない」そんな意見も見られます。しかし、本当にそうでしょうか?レガシーを守るということは、「その価値を多くの人に伝える」ということでもあります。多くの人がその価値を知ってこそ、レガシーは後世に残るのです。そして、人類の努力の歴史は、価値の保存と、バリアフリーの共存を可能にする最新技術を生み出し続けています。例えば、Chain Waiter(段差昇降機) がその一つです。完全自立型のため、既存建築物への影響は最小限で設置できます。技術を駆使することで、より多くの人に価値を伝え、よりよい形で後世に残していけます。バリアフリー化は破壊ではありません。価値を伝え、100年先まで守るために行うべき義務なのです。これについて深く考えるきっかけになった出来事、車椅子で入れなかった2つのお店については、また後ほど書こうと思います…。さて、そんなヨセミテ国立公園を訪れた新しい動画をアップしました。ぜひご覧ください!【障害者のアメリカ研修】#29 ついに、ヨセミテ国立公園!大自然に包まれた。引き続き、応援よろしくお願いします。八木郷太 もっと見る
便利になったらバリアが増えた。
2025/11/02 12:07ご支援いただいた皆様応援していただいている皆様本当にありがとうございます。車椅子がロボットの邪魔になる...?先日、昼飯を食べようと大手チェーン店に行った時のこと。車椅子で利用しやすそうな広めの席を見つけて、そこを使おうとしたところ、「ここだと車椅子が通路にはみ出て、ロボットが通れなくなるから…」店員さんはそう言って、申し訳なさそうに私を店内の1番奥の席に案内しました。どうやら配膳ロボットは、車椅子が通路にはみ出していると進めないようです。怒りよりも学びを感じました。なるほど。テクノロジーの進歩は、新たなバリアを生み出す危険もあるのか。ワシントンD.C.のカンファレンスで聞いた、自動運転車が車椅子を「ゴミ箱」と判定した事例を思い出しました。最新技術は、多様な意見を反映して活用できないと、逆に新たな差別や障害を生み出してしまいます。テクノロジーは全ての人のために!効率化と包摂化の両立を!そのために、障害者もアンテナを張って、自分たちの声をしっかり届けないといけない!そう痛感した、とあるランチタイムでした。(写真は全く関係ない、CILオフィスのハロウィンの飾りつけです。)さて、新しい動画をアップしました。ぜひご覧ください!【障害者のアメリカ研修】#28 最近の出来事まとめました!学びも遊びもたっぷりと!引き続き、応援よろしくお願いします。八木郷太 もっと見る




八木さん、いろいろな障壁こそ、底力が発揮され、新たな道をつくることと信じています。 身体に気をつけてね。応援しています。長位