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さて、今日はしまうら真鯛が育つ「島浦」のお話。
(島浦で「島民泊 遊季」を営む結城豊廣さんに伺いました)
江戸時代、延岡内藤藩は参勤交代の際、最初に立ち寄る港を島浦と定めていました。
当時、船は風と潮の流れを利用して航行しており、島浦は潮の満ち引きを待つ船が集まる海上交通の要所でした。
潮の満ち引きを利用するためには
潮の流れが重要で、
船は満ち潮に乗って港に入り、
引き潮に乗って出航していました。
風や潮の影響を受けにくい島浦の地形は、船の安全な航行と停泊を支えるものでした。
ここ島浦は、現在でも赤潮が発生しにくく、台風の被害を受けにくい海域です。
当時のお殿様は島浦に立ち寄る際、あらかじめ鯛を用意しておくようにと宿泊場所のお茶屋に伝えていたのだとか。
島浦の町並みを見ながら当時の様子を想像すると、にぎやかな声が聞こえてきそうです。