学校に行かなくなるのと同時期、父親の持ってるギターに興味を持ち始めた。
みんなが勉強に勤しむ頃、僕はゲームとギターにのめり込み、飽きると自転車で街を走り続けた。
中学校も卒業し、周りが高校に進学する頃、さすがに心配した母親が音楽の専門学校を勧めてくれた。成績がなくても入れる。60万円ほどの入学金を払えば入れる学校だった。面白いかもしれない。と思い行ってみたが、学校というスタイルがやっぱりどうも合わずに、3ヶ月で辞めた。親不孝すぎる。
でもその時、年上の先輩と初めてバンドを組んだ。BRAHMANのSEE OFFとRIZEのWhy I'm Meをやった。これが最高すぎた。人生で初めて自分から奏でる音が一つになってアンプから増幅して誰かに届く。
ライブハウスという空間との出会いもこの時である。
完全にいけないことをしている。日常社会の中ではやってはいけないことが、ステージ上で起きている。社会的にはダメだなこの人。そう思った。でもその人のライブはすごかった。最高にかっこよかった。社会に適合できなくてもここでなら、このステージに上がれば、テレビのブラウン管の向こうに映るあのヒーローたちみたいに、僕もなれるんじゃないか?そういう鈍器に殴られたような感覚に襲われた。
そこから僕は、さらに音楽にのめり込む。
専門学校を3ヶ月で辞めたあと、中学の同級生とバンドを組んだ。
そして来る日も来る日もギターを弾き続けた。
学校に行ってない分、いろんなCDショップに行っては視聴機にかぶりつき、新しい音を探し続けた。もちろん当時は、インターネットもまだ普及しきってないしスマホもない。
新譜の情報は、レコードや壁に貼ってある予約受付の紙だし、本や、深夜やってる音楽番組で情報を得た。足で稼ぎまくるしかなかったから、同級生の中では一番僕が早かった。だって学校行ってないんだから。
中でも、小田原のタワーレコードへは毎週水曜日に必ず通っていた。
水曜日は新譜のフラゲ日で、いち早く試聴機に新作が入る。そして気に入ったものを買う。しかも水曜日はダブルポイントデー。だから、毎週水曜日に財布のお金がなくなっていった。
★15歳のコアゼ少年。学校には気分で給食だけ食べに行ってた。
僕は学校に行かない代わりに、音楽に育ててもらった。
学校の全員が将来何になるのかもわからずに同じ方向を向いて同じことを勉強することに納得がいかなかった。そして意味のわからない校則や理不尽な先生の言いなりになることが本当に嫌だった。
僕の好きなパンクは、そんなものは全てクソ喰らえと言ってくれた。
自分の選んだ道を歩むこと、周りのいうことに流されないこと。
世の中に従うことの愚かさ。
全部教えてくれたのはそんなアーティストやバンドたちで完全にヒーローだった。
僕は証明したいと思っていた。今もそう。二度死んだ僕でも、自分で生きる道を切り拓けること。そこからがスタートなんだと。親にも家族にも恩返しがしたかった。本当に親不孝だなと思っていたし、根は真面目だし。
大丈夫だよって伝えたかった。
何より一番はあの時の自分を救いたい。自分が生きること、自分らしく表現し続けて生きることで、14歳の頃に悩んでいた僕へ償いたい。
もし、あの時に今の僕がそばにいれたらもっと明るく人生を捉えられていたと思う。
話を戻す。
なぜ僕がティピーをやっているのか?全ては
「14歳の自分を救うためにやっている。」
生きる証明のため20代前半はバンドをやっていたが、それと変わらない。ティピーはパンクバンドって言ってるのはそういうこと。同じことをやっている。もし14歳の時の僕が目の前にいたら。
「社会一般的な当たり前から外れたお前でも素敵だよ」
って声をかけたい。僕の目に届く「14歳の僕」は、本当は全員に寄り添いたい。
そんな歌を今も歌い続けている。
>続く
(昨日から毎日6本、僕のヒストリーを公開していきます。これは2本目です)