風雷社中副理事長兼、責任者である庭野さんにインタビューしました。
20代後半までバンド活動をしつつ、あれやこれやとしては風雷社中「支援事業 風:fuu」の責任者へ。
どんな人がガイドヘルパーをやっているのか?
これからガイドヘルパーをやってみたい方々への応援メッセージを頂きました。
◯現在はどんな内容のヘルパー業務をしていますか?
法人の副理事長&管理者&サービス提供責任者&ヘルパーとしてもバリバリやっています。
法人運営や方向性など決める立場ではあるのですが、事業所として利用者さん&ヘルパーさんからの聞き取りや面談、管理システム構築(自社で介護業務のシステム開発)、研修開催、他事業所との連携、備品購入、職員へお菓子やアイスの差し入れ、飲みの誘い、ダイレクトに移動支援や居宅介護、重度訪問介護の現場にも日々入っています。
◯普段はなにをしていますか?
最早仕事自体が生活の一部になっているかもしれないですね。
いかんいかん、と思いつつ、業務多忙なのが実際ではあります。
休みだったり時間ある時は友人と酒飲みに行ったり、自宅でホームパーティーですかね。
料理するのが好きなんですよ。実家が居酒屋やっていたのが血なのかもしれませんが、友人だけでなく会社のヘルパーさんもうちで遊んだりしています。
あとはおじさんバンドになってしまいましたが、地元都立大学の飲み屋で知り合った友人たちとバンド活動を半年に1回?くらいライブをやっています。結成10年くらいとなりそうです。7人編成と大所帯で、Blues,Funk,Rock,Reggae,昭和歌謡など様々です。
◯ヘルパーを始めたキッカケは?
高校生の時に音楽に目覚め、ガチでバンドでやっていこうと思っていたんです。高校生の時は部活も入っていなかったので家に帰っては音楽聴いて、楽器弾いて、深夜テレビ見て過ごしていました。
始めた当初は地元の同級生とイエモンのコピーバンドをただスタジオで合わせていたりしましたが、大学同級生たちとバンドを組み、20代後半まで続けていました。日本のバンドも好きでしたが、元々好きだったビートルズに昏倒していって60-70’sの海外のアメリカ、UKロックや69年のウッドストックとかモロに影響受けました。昔、髪が長かったのもそういう影響です。。。
以降も90’sのUKロック、2000年代のガレージロックリバイバル、USインディー、オーストラリアのサイケデリックバンドなど好きなバンドが多いですね。「これ、誰も聴いていないだろうな」というバンドを発掘して聴いていたり。若干天邪鬼なところはあります。あ、音楽話はキリがないのでここらへんで。。。
最後にやっていたバンド解散の声明を出した3日後に、風雷社中を立ち上げたばかりだった元々大学の同級生だった田中さん(現風雷社中ヘルパー)から「うちの仕事やってみない?」というのがキッカケでした。
当時マーケティング会社でアルバイトで働いていたのですが「今までの人生と全く違うことやってみようかな」というのが動いた要因ではありました。マーケティング会社もバンド辞めたことを知って正社員登用の誘いがあったのですが、風雷の方が一歩早かったですね。ある種、ここが人生のターニングポイントであったという感じです。。。
三十路近くまでプラプラと好きなことやっていたので、両親も「あンたは本当に天職に就けて良かったわね!」とも言われました。果たして親孝行にもなっているかどうかですが。
◯ガイドヘルパーをやっていてどんなことが楽しかったり、良かったところがありますか?
色々なところに出かけて美味しいものを食べるのはガイドヘルパーの妙味ではあるのですが、美味しい物食べるだけではなく、その店の人と知り合いになっていくのは良いですね。
10年近く横浜中華街のとある中華屋で昼食を食べる方がいるのですが、今や常連さんとして「あー、いらっしゃい!”いつもの席ね”」と、自閉症特有ではあるのですが特定の席に座りたいことをしっかり分かって案内してもらっています。
頼むメニューもしっかり把握してもらっていて、「この子の頼むメニューは分かっているから、アンタのメニューも早く注文してよね!忙しいんだから!」と、言われることもあります。
11:30オープンで12時には満席になってしまうような人気店なのですが、すごくホームコート感があり安心することができます。全く別の地域ですが、こうして知り合いができることはとても良いことです。
地元の知り合いのお店にもご飯食べに行ったことあるのですが、「前一緒に来てくれたよね?ええと。。。◯◯ちゃんだっけ?」と自分の友達にも知ってもらえたり。
上記おじさんバンドにヘルパーと一緒にお客として来てくれた人もいて、最前列でものすごいノリ方していました。煽られたのか他のお客さんもめちゃくちゃノッてくれたり、話しかけたりしていて良いライブとなりましたね。
直接的ケアを行うヘルパーと関わるだけでなく、街や社会と関わっていくことが重要だと思っています。
長い期間関われるのも良いところかもしれません。
入職して13年ですが、当時から現在も担当として関わっている方がいれば、新たに担当となる方もいます。実際生活の一端のみ担っているのですが、長い年月関わっていると当然親しみがわきますね。学齢期だった人が卒業して成人になったり、なんだか感無量な時もあります。
ダブルワークの方でも10年以上ガイドヘルパーとして活躍している人もいます。
地域の人たち、地域外の人たち、例え風雷社中のヘルパーにならなくとも、も移動支援=ガイドヘルパーとして支えていくということがもっと増えていければと思っています。
色々なヘルパーさんと出会えるのも良いですね。
下は10代、上は80代までなかなか会社に属して出会える範囲ではないですね。
比較的アラフォー同年代が多いのですが、個性豊かな方々にオススメの漫画や映画、音楽を教えてもらい、年上の方々には昔のことや生き様を教えてもらい、常に新しいことを教えてもらっています。
◯クラウドファンディングの応援メッセージをお願いします
自分も全くの「素人」で始めたのですが、もし障害福祉のことを全然知らないという方がいれば、全然気にしなくて良いと思います。
どんな人間関係も同じで、会えば会うほどその人のことが分かりますし、分からないこともあるのは当然です。完全に分かる必要もないと思っています。その中で正解もあれば、正解でないこともある。人間の人生で常に正解のみ進んでいくことなんてないじゃないですか。
その中で対人支援として、知的障害のある人の支援として、良いこともあれば思い悩むようなこともありつつ、一緒にやっていければと思います。障害福祉を知るというより、そのうちその人のことを知り、良い関係や良い支援が築いていけると思います。ゆっくりで良いんです。
ちょっと興味をもったらまずは経験してみる!というところで良いです。
いきなりヘルパーとして稼働するのではなく、見学も受けいれているので、興味を持った方はぜひお問い合わせ下さい。ガイドヘルパー研修にもぜひぜひご参加下さい!