2024年度の第1回ガイドヘルパー養成研修が始まりました。10月25日から11月22日まで、毎週金曜日に実施しています。会場は1日目・2日目が大田区消費者生活センター、3日目・4日目が六郷集会室、5日目がカムカム新蒲田と、会場手配の関係で3箇所を渡り歩きます。今回は少人数ながら、活発に質問が出てきて良い雰囲気で進んでいます。「障害者福祉の制度とサービス」講義の様子「知的障害者の疾病と障害の理解」講義の様子
東京都福祉局より、ガイヘル研修の指定決定通知が届きました!無事に、2024年度もガイドヘルパー養成研修が2回実施できます。引き続き、応援をよろしくお願いします!<第1回(10月コース)>◯日時10月25日(金)10:00-15:10 消費者生活センター講座室11月 1日(金)10:00-15:20 消費者生活センター講座室11月 8日(金)10:00-15:20 六郷集会室11月15日(金)10:00-15:20 六郷集会室11月22日(金)10:00-15:20 カムカム新蒲田(各日、昼食などの休憩時間を含んでいます)※上記すべての日程への参加が修了の条件となります。 補講は行いません。◯会場消費者生活センター講座室 (大田区蒲田5-13-26-101 大田区消費者生活センター2階)六郷集会室(大田区仲六郷2-44-11 六郷地域力推進センター5階)カムカム新蒲田(大田区新蒲田1-18-16 新蒲田一丁目複合施設2階)<第2回(1月コース)>◯日時 1月25日(土)10:00-15:10 徳持会館 2月 1日(土)10:00-15:20 徳持会館 2月 8日(土)10:00-15:20 徳持会館 2月15日(土)10:00-15:20 徳持会館(各日、昼食などの休憩時間を含んでいます)※上記すべての日程への参加が修了の条件となります。 補講は行いません。◯会場 徳持会館(大田区池上7-14−6)
風雷社中副理事長兼、責任者である庭野さんにインタビューしました。20代後半までバンド活動をしつつ、あれやこれやとしては風雷社中「支援事業 風:fuu」の責任者へ。どんな人がガイドヘルパーをやっているのか?これからガイドヘルパーをやってみたい方々への応援メッセージを頂きました。◯現在はどんな内容のヘルパー業務をしていますか?法人の副理事長&管理者&サービス提供責任者&ヘルパーとしてもバリバリやっています。法人運営や方向性など決める立場ではあるのですが、事業所として利用者さん&ヘルパーさんからの聞き取りや面談、管理システム構築(自社で介護業務のシステム開発)、研修開催、他事業所との連携、備品購入、職員へお菓子やアイスの差し入れ、飲みの誘い、ダイレクトに移動支援や居宅介護、重度訪問介護の現場にも日々入っています。◯普段はなにをしていますか?最早仕事自体が生活の一部になっているかもしれないですね。いかんいかん、と思いつつ、業務多忙なのが実際ではあります。休みだったり時間ある時は友人と酒飲みに行ったり、自宅でホームパーティーですかね。料理するのが好きなんですよ。実家が居酒屋やっていたのが血なのかもしれませんが、友人だけでなく会社のヘルパーさんもうちで遊んだりしています。あとはおじさんバンドになってしまいましたが、地元都立大学の飲み屋で知り合った友人たちとバンド活動を半年に1回?くらいライブをやっています。結成10年くらいとなりそうです。7人編成と大所帯で、Blues,Funk,Rock,Reggae,昭和歌謡など様々です。◯ヘルパーを始めたキッカケは?高校生の時に音楽に目覚め、ガチでバンドでやっていこうと思っていたんです。高校生の時は部活も入っていなかったので家に帰っては音楽聴いて、楽器弾いて、深夜テレビ見て過ごしていました。始めた当初は地元の同級生とイエモンのコピーバンドをただスタジオで合わせていたりしましたが、大学同級生たちとバンドを組み、20代後半まで続けていました。日本のバンドも好きでしたが、元々好きだったビートルズに昏倒していって60-70’sの海外のアメリカ、UKロックや69年のウッドストックとかモロに影響受けました。昔、髪が長かったのもそういう影響です。。。以降も90’sのUKロック、2000年代のガレージロックリバイバル、USインディー、オーストラリアのサイケデリックバンドなど好きなバンドが多いですね。「これ、誰も聴いていないだろうな」というバンドを発掘して聴いていたり。若干天邪鬼なところはあります。あ、音楽話はキリがないのでここらへんで。。。最後にやっていたバンド解散の声明を出した3日後に、風雷社中を立ち上げたばかりだった元々大学の同級生だった田中さん(現風雷社中ヘルパー)から「うちの仕事やってみない?」というのがキッカケでした。当時マーケティング会社でアルバイトで働いていたのですが「今までの人生と全く違うことやってみようかな」というのが動いた要因ではありました。マーケティング会社もバンド辞めたことを知って正社員登用の誘いがあったのですが、風雷の方が一歩早かったですね。ある種、ここが人生のターニングポイントであったという感じです。。。三十路近くまでプラプラと好きなことやっていたので、両親も「あンたは本当に天職に就けて良かったわね!」とも言われました。果たして親孝行にもなっているかどうかですが。◯ガイドヘルパーをやっていてどんなことが楽しかったり、良かったところがありますか?色々なところに出かけて美味しいものを食べるのはガイドヘルパーの妙味ではあるのですが、美味しい物食べるだけではなく、その店の人と知り合いになっていくのは良いですね。10年近く横浜中華街のとある中華屋で昼食を食べる方がいるのですが、今や常連さんとして「あー、いらっしゃい!”いつもの席ね”」と、自閉症特有ではあるのですが特定の席に座りたいことをしっかり分かって案内してもらっています。頼むメニューもしっかり把握してもらっていて、「この子の頼むメニューは分かっているから、アンタのメニューも早く注文してよね!忙しいんだから!」と、言われることもあります。11:30オープンで12時には満席になってしまうような人気店なのですが、すごくホームコート感があり安心することができます。全く別の地域ですが、こうして知り合いができることはとても良いことです。地元の知り合いのお店にもご飯食べに行ったことあるのですが、「前一緒に来てくれたよね?ええと。。。◯◯ちゃんだっけ?」と自分の友達にも知ってもらえたり。上記おじさんバンドにヘルパーと一緒にお客として来てくれた人もいて、最前列でものすごいノリ方していました。煽られたのか他のお客さんもめちゃくちゃノッてくれたり、話しかけたりしていて良いライブとなりましたね。直接的ケアを行うヘルパーと関わるだけでなく、街や社会と関わっていくことが重要だと思っています。長い期間関われるのも良いところかもしれません。入職して13年ですが、当時から現在も担当として関わっている方がいれば、新たに担当となる方もいます。実際生活の一端のみ担っているのですが、長い年月関わっていると当然親しみがわきますね。学齢期だった人が卒業して成人になったり、なんだか感無量な時もあります。ダブルワークの方でも10年以上ガイドヘルパーとして活躍している人もいます。地域の人たち、地域外の人たち、例え風雷社中のヘルパーにならなくとも、も移動支援=ガイドヘルパーとして支えていくということがもっと増えていければと思っています。色々なヘルパーさんと出会えるのも良いですね。下は10代、上は80代までなかなか会社に属して出会える範囲ではないですね。比較的アラフォー同年代が多いのですが、個性豊かな方々にオススメの漫画や映画、音楽を教えてもらい、年上の方々には昔のことや生き様を教えてもらい、常に新しいことを教えてもらっています。◯クラウドファンディングの応援メッセージをお願いします自分も全くの「素人」で始めたのですが、もし障害福祉のことを全然知らないという方がいれば、全然気にしなくて良いと思います。どんな人間関係も同じで、会えば会うほどその人のことが分かりますし、分からないこともあるのは当然です。完全に分かる必要もないと思っています。その中で正解もあれば、正解でないこともある。人間の人生で常に正解のみ進んでいくことなんてないじゃないですか。その中で対人支援として、知的障害のある人の支援として、良いこともあれば思い悩むようなこともありつつ、一緒にやっていければと思います。障害福祉を知るというより、そのうちその人のことを知り、良い関係や良い支援が築いていけると思います。ゆっくりで良いんです。ちょっと興味をもったらまずは経験してみる!というところで良いです。いきなりヘルパーとして稼働するのではなく、見学も受けいれているので、興味を持った方はぜひお問い合わせ下さい。ガイドヘルパー研修にもぜひぜひご参加下さい!
風雷社中に所属しているヘルパー歴12年のnakatogoさんにインタビューしました。青年期かつて引きこもりでありましたが、現在はヘルパーとして活躍中。これからガイドヘルパーをやってみたい方々への応援メッセージを頂きました。◯現在はどんな内容のヘルパー業務をしていますか?風雷社中でフルタイムでヘルパーをしています。ガイドヘルパーとして朝の通所支援、ホームヘルパーとして居宅介護(入浴支援など)、日中帯は散歩支援。。。などなど。夕方も同様な内容で動いていて盛りだくさんです。また、知的障害のある人の単身独居の自立生活支援のヘルパーとして生活全般を支援しています。◯普段はなにをしていますか?ギターを弾いたり、ラーメン食べたり、家を掃除したり、散歩してブラブラしたり。。という感じです。◯ヘルパーを始めたキッカケは?若い頃、バンドで食っていこう!と意気込んでいましたが夢破れました。。。バンドを辞めた頃、叔父が音楽ボランティアをやっていて、叔父のバンドに参加しました。ボランティアバンドとして障害者施設で演奏していたところ、障害者に関わる仕事をやってみようと思ってヘルパーとして仕事をし始めました。◯当時からガイドヘルパーはやっていましたか?品川区の有償ボランティアで身体障害のある人のガイドヘルパーをやっていたり、視覚障害のある人の同行援護をやっていました。知的障害の方ではダウン症の当時高校生だったころから10年近く担当していまして、図書館に行ったり、散歩したりして過ごしていました。◯ガイドヘルパーをやっていてどんなことが楽しかったり、良かったところがありますか?利用者さんと一緒に出かけていると、自分1人だったら行かなかったようなところに一緒に行くことで、新たなことに気づくことがあります。例えば品川区民公園に行ったのですが、1人だったらビール1缶飲んですぐ帰るくらいなのが、一緒に散歩することで「こんなキレイな公園だったんだぁ」と気づきました。あと、ガイドでは一緒に昼食を食べることがよくあります。ご本人も街中華が好きなようで、いつも中華屋を目指して外出しています。自分がオススメの新馬場「一品樓」に行きました。ラーメン&炒飯セットをペロッと食べてくれて、オススメした甲斐がありましたね。通学支援についても印象に残ったことがあります。自分自身、高校には行っていなかったのですが、利用者さんの通学支援で登校することによって、自分の人生ではできなかったことが一緒に成し遂げられた、ということがありましたね。定時制だったため、4年間付き添いで登校していました。◯クラウドファンディングの応援メッセージをお願いします「ガイドヘルパーから始めよう」というキャンペーンが以前ありましたよね。SNSでこのキャンペーンについて知ったのですが、その時に風雷社中の人たちに出会い、「みんなガイドヘルパーをやってみよう」という取り組みにとても賛同しました。ちなみに中村代表とはこの時に直接初めて会ったのですが(X(旧ツイッター)での知り合いだった)「nakatogoくんはもっと怖い人だと思っていた」と言われました。自分は10代の大半を引きこもりで過ごしていまして、そういった境遇でも今の自分があり、ヘルパーとしてやっていけるようになりました。同じような境遇の人たちも、過去のことを気にせずに1人でも多くの人たちがまずガイドヘルパーをやってみてチャレンジみてもらえればと思います。
かつて風雷社中でもガイドヘルパーとして活動していた、中里さんにインタビューをしました!中里さんだけでなく、転職や家庭の事情などで風雷社中でガイドヘルパーを続けられなくなる方もいらっしゃいますが、ガイドヘルパーを経験した人が街に増えると、おのずと障害のある人が過ごしやすい街になっていくと思うので有り難いです♪~元ガイドヘルパー 中里さんインタビュー~◯現在何をしていますか?飲食店に置いてある業務用調理機の修理技師をしています。◯ガイドヘルパーを始めたキッカケはなんですか?休みの日にやることが無いなぁ、と思っていた時に友人のSNSの投稿を見て興味を持ち、そのまま友人に紹介してもらいました。◯どんなことが楽しかったですか?当時会社員でしたが暇を持て余していた自分にとっては利用者さんはもちろんご家族や同じガイドヘルパーさん等、人間関係が広がっていくのが刺激的で楽しかったです。また、夏のプールからのラーメンのお出かけは個人的な毎年の楽しみでした!◯クラウドファンディングの応援メッセージをお願いします自分は今は別の仕事に携わっていますが、今でもガイドヘルパーをやってた経験が活きているなと思う場面が度々あります。そんな経験をさせて頂いた風雷社中さんには感謝していますし、これからもどんどんガイドヘルパーやりたい方が増えるよう微力ながら応援してます!